専門医志向と「即戦力」志向

専門医を目指すのは楽しいのだろうか?

  • 始めはかけだし、使いっ走り。
  • そのうち手技を覚えて、自分でも何か「やれる」ことがだんだんと増えてくる3年目。
  • 一人立ちを始めて、「やれる」と思っていたことが、実は全くイけていなかったことに 気がついて、泣きそうになりながら勉強を始める7年目。

勉強のモチベーションというのは、「あいつは使える」という周囲からの賞賛だった。

患者さんをよくしたいとか、医学の進歩のためとか、そういったお題目はどうでもよかった。 結果としてそうなることはあっても。

専門家の抱えるジレンマ

「使える奴」という声を集めるためには、その状況へ最適化しなくてはならない。 ところが、同じ状況に最適化しすぎてしまうと、もはや「使える」などという声は聞かれなくなる。

最適化を極めた専門家というのは、もはや病院の部品や空気の一部だ。 「その人がいてありがたい」どころか、もはや「そこにあって当たり前」。 その人がいなくなると、困るを通り越して、病院というシステム全体にガタがくる。

専門性を極めるということは、一つの状況への最適化を極めるということだ。

専門家は、自分が守備する狭い領域のことで手一杯で、その他の問題には対処する時間が無い。 兵隊の位も上がる。医師の仕事以外の雑務も増える。手を出す時間、「腕を見せる」時間は ますます減り、専門を極めて施設の環境の一部と化した専門家は、無能化する。

  • 「病院長うぜ」
  • 「あのバカ使えね」

どこの病院にいっても、院長級の医師というのは研修医の陰口のターゲットだ。 本当は、そんなわけが無い。相手は専門を極めたベテランなんだから。 でも、病院長が手術に入ったの、3年前が最後なのも事実。

賞賛が無いままに仕事を続けるのはいやだ。

満足感というものに「絶対」はない。だから21世紀になっても宗教が残る。

価値というのは相対的なものだ。 自分がやってきたこと、勉強して来たこと。 他人から点数を付けられるのには吐き気がするけれど、誰かから査定されない 限り、自分ではその価値を見極められないのもまた事実だ。

専門性を極めるという志向には矛盾がある。

自分が今いる山の頂点を高くするためには、「底辺」の大きさをより長くする必要がある。 このためには、弟子を増やさなければならない。 同じ専門性を持った人間が増えれば、それだけ仕事が分担できるし、それは結局 お客さんのためにもなる。

ところが、多くの弟子を作ったところで、山を構成する「土砂」の量、病気の数は変わらない。 後進が育つと、山の底辺は大きくなる。この結果、山は四方に引っ張られ、 山の高さはどんどん低くなる。専門家を頂点とした「山」は、気がついたら「丘」に、 技術が極められ、それを習得するのが当たり前になってしまうと、 専門家はもはや専門家ですら無くなってしまう。

たとえば麻酔科。昔は極めて特殊な技術を要した専門家集団の技術は改良され、 簡単な手術であれば医者で無くても麻酔がかけられるようになった。

本当は、「万が一」の時には本物の麻酔科医でないと対処が不可能で、そのために 専門医がいるのだが、万が一は本当に万が一にしかおこらない。 「万が一」が「千が一」ぐらいだった頃を知っている人が引退してしまうと、 今度は「万が一」を見たことの無い専門家が登場する。

本物の急変を見たことの無い人を専門家と呼んでもいいのか。 この人は、本当に「万が一」がおきたらそれを乗り切れるのか。誰にも分からない。

即戦力志向というやりかた

本当の専門家になるための条件は2つ。専門家としての技量と知識を持っていることと、 「万が一」の状況を経験して、乗り切ったことがあること。

技術を持っている人は増えても、急変の現場を乗り切った経験を持つ人は減っている。

こういった方法とは逆に、技術や知識を習得することをしないで、 「万が一」の経験ばかり集積するやり方というものは「なし」だろうか?

本当は、1回経験したぐらいでは全然駄目で、専門領域の急変を何度も見ないと「みた」とは 言えないのだが、それでも経験値の差が一番大きいのはゼロと1との間だ。

「即戦力」とは、雪かきだろうが便所掃除だろうが鉄砲撃ちだろうが、 その時必要な業務を自律的に理解し、そのうち自らが最も効果を発揮する場所に自主的に移動し、 同僚に任せられるところは任せられる人の事を指す。 (中略)「即戦力」即「専門家」という誤解は日本だけではなく世界中にあるが、 専門家は「専門場」を用意して始めて力を発揮する。砲台が出来て始めて砲兵を呼べるのだし、 飛行場なしで空軍の運用は出来ない。本当の即戦力はよってむしろジェネラリストになる場合が多い。 「即戦力」の役割は、「専門家」のために「橋頭堡」を築くことである場合が多い。 一旦「橋頭堡」が出来てしまえば、あとは「専門家」が「専門力」を発揮する環境が整う。 そして「専門家」に陣地を明け渡したら、「即戦力」は即次の現場へと向かうべきである。 たとえその現場がもうその社内に残っていないとしても。 404 Blog Not Found:ゼロから育てるって言われても

昔勤めていた病院グループでは、よく医局が飛んだ。

  • 「○○病院で内科医がいなくなった」
  • 「○○病院で内紛があって、医者がみんな辞めたらしい」

なんだかんだいわれても、病院の中には医者がいないと病院は機能しない。 医者がいなくなって、病院が機能しなくなっても中には患者さんがいる。 「医者がいなくなりました。退院してください」は許されないので、 何かあるたびに、よくこういう病院へ応援に飛ばされた。

最初の頃は、副院長とローテーションの研修医。 年次が上になって、そのうち一人でいきなり飛ばされたり、 あるいは研修医と一緒に派遣されたり。

行く時は大変だ。

どんな状況なのかの前情報はほとんど無い。機械だって点滴だって、使い慣れたものは使えない。 じっくり腰を据えて何かやるなんてもちろんできない。

昔はよくトラブったけれど、何度も飛ばされているうちにだんだん慣れた。

始めにやるのは火消し

医者がいなくなっても、その病院の「流儀」というものは病棟に根強く残っている。

受け入れ先の病院が求めているのは「現状の維持と回復」であって、「改革」ではない。

応援にいった医者がよくやるのは、「あの病院はやり方がまずかったからこうなった。 当院の「正しい」やりかたを伝授してやろう」と考えることだ。

家が火事になったとき、まずやらなくてはならないのは火を消すことだ。

原因追求、責任者を叱ることは後でもできるけど、「火」は今消さないと、家は全焼するし、 最悪自分だって死ぬかもしれない。

失敗した病院にまず必要なのは、一刻も早く日常を回復させることだ。 こちらから「正しい」やりかたを持ち込んでも、反発されるだけで上手くいかない。

「異常無し」だけは徹底してもらう

どうせ40人とか50人とか、回診すら満足にできない人数を受け持たなくてはならないので、 一人で全員を見まわるのは絶対にできない。

研修いがいるときは研修医、そうでないときは病棟スタッフの協力というのは 欠かせないのだが、そういうチームの体制すらもすり合わせる時間は無い。

こんなときに気を付けてもらっていたのは、異常が無かった患者さんであっても 「○○さんは異常がありませんでした」と報告してもらうことだ。

応援に来ているときは、外来中は病棟のことはすっかり忘れ、病棟を見ているときは 外来のことなど忘れている。安定している人の報告が無いとき、その人はもはや 「いない人」になってしまい、気がついたら何もせずに5日間が経っていた…などということが 本当におきる。

受け入れ先の病棟スタッフに、「目の前のこいつ(自分のこと)の記憶は一切信用しない」 ということを徹底してもらうと、外来や病棟、救急といったそれぞれの状況にあたる際、 自分のリソースを「その場」にすべてつぎ込むことができ、何とか病院を回せる。

その場をしのぐのに全力を尽くす

忙しい病院では、一人の患者さんについて「2度目」は無いので、 できることはその場で全部やる。

熱が出たらその場で血液培養とって抗生物質、呼吸不全になったら 様子を見ないでとりあえず呼吸器準備、頭痛が来たら(ほぼ)全例CT。

治療の効率は悪い。医療経済的にも正しい方法ではないし、医学的にもベストからは程遠い。 それでもこうする。

忙しくて医者が自分しかいないような状況では、一番に優先すべきは 自分の頭のメモリを最大限に空にしておくことだ。

一人を経過観察すると、その人の問題がいつまでも頭のリソースを占拠する。 外来で1日に診察する人が50人ぐらい、様子を見る人を増やせば増やすほど、 頭の中には小さなタスクが同時に進行する状態になる。

ミスは増える。頭のOSはそんなによくできていないので、一つのタスクがうまくいかなくなると、 しばしばカーネルを巻き込んで落ちてしまう。様子を見ていた複数の患者さんは放置され、 最悪ミスが連鎖する。

誰かに助けを求められない状況では、一度にやる仕事は一つづつ。経過を見る人、長い目で 診察しなくてはならない人を診るときには、カルテに「未来の自分へのメッセージ」を書いておき、 次の瞬間その患者さんのことは忘れるようにする。

最後に帳尻あわせ

応援先で場当たり的なことをやっていると、「なんとなく入院、なんとなく退院」になってしまうケースはよくある。

食欲不振で入院して、ダラダラ点滴して退院とか。原因不明の頭痛で入院して、 よく分からないけどおさまったから退院とか。

実際それでも治るものは治っているし、急変を作らないで小人数で急場をしのげたならば、 応援に来た医者としては十分仕事をしているのだが、問題なのは引継ぎのときだ。

その場をしのぐのに、全力を挙げてきた医者と、もっと「正しい」成長のしかたをしてきた医者。 お互いの分化の衝突がおきるのは、その施設から、もっとちゃんと動いている病院に患者を紹介したり、 急場をしのげて「正式な」医師が新たに赴任してきたときだ。

どんな形であれ、衝突という現象は、おきなければおきないほうがいい。

相手の医師が、急場をしのぐことの大変さを知っている人であれば話は簡単。

「大変でしたね…。後は我々で。」

これで話は通るし、お互い不愉快な衝突無く、引継ぎは終了してしまう。

困るのは、そうでないときだ。

  • ICUの先生は、長期の予後のことまで興味ないですからね…
  • これだから、○○会の先生は…

育った分化の違う医者同士の会合というのは、ヤクザの出入りと同じだ。 なめられたら負け。

負けると疲れる。こちらは相手にお願いするほうだから、「勝つ」ことは許されない。 だからぶつかると絶対に疲れる。ぶつからないようにするためには、自分が紹介する 患者の経過というのを、相手の文化に合わせてプレゼンテーションしなくてはならない。

治療をするときにいつも考えているのは、この人にとって、入院という物語の「オチ」 は何だろうか、ということだ。

前の食欲不振の例では、「腸炎を疑ったが血液データに異常がないので退院、 後の検査は外来でやる予定」とか、「腹部手術の既往があり、イレウスを疑い入院、 点滴と絶食にて経過を見たが、排ガスもあり症状も回復したため退院」とか。

物語は、入院してからの経過を見て考える。その上で、この人の「オチ」にはあと 何が必要なのか、その検査をオーダーして、次の人に引き継ぐ。

全体を通した検査計画を立てて、正確な診察を積み重ねる方法論はもちろん大事。 一方、部分部分は適当にやって、最後に帳尻をあわせる方法論というのも、 けっこう上手くいく。

そして次の現場

「即戦力」志向の医者が活躍するのに、もっとも幸せな現場というのは、被災地だ。

どんな患者がくるのか予想出来ない、どんな機材が使えるのかすら分からない状況。

万事が万事、危機管理のストラテジーで動く世界というのは、「即戦力」を志向する 医者にとっては一番力を発揮できて、また動きやすい舞台だろう。

世界が安定してきて、もっと「正しい」ことをやる先生方が病院に戻ってくると、 その人達の専門領域は、専門家に任せるようになる。

今まで自分でやっていた血糖管理は、糖尿病の先生へ。患者にかかる医者の数は、 病院にやってきた専門家の数に比例して増加する。 「即戦力」であった医者の出番は徐々に減る。人が増えれば急変は減り、 急変に強い、「何でもできる」医者の出番は徐々に減る。

戦場の鉄火場で大活躍した平気というのは、平和な世の中では博物館行きになる。

小学校の頃に買ってもらったゴツい万能バサミ。缶だろうが板だろうが何でも切れて、 そのへんの紙から、人にはちょっと言えないような物まで何でも切って遊んでいたけれど、 もっといい文房具を買うようになってからはめったに使わなくなった。30年近く経っても まだ切れるのには感心するけれど。

「即戦力」であった医師もまた、病院に平和が戻ると行き場を失う。

何でもできる医者がいまさら専門を持っても、昔からそれしかやっていない医師から見れば ただの劣化コピーだ。即戦力志向と専門医志向、2つのストラテジー間の転職というのは なかなか上手くいかない。

世界が結晶化して、各々がやることが決まってきた職場では、 もはや何でもできる医者などには出番はない。

引き際の問題というのはけっこう難しくて、そもそも本当に「引く」必要があったのか、 それとももっと前から自分の居場所というのはここには無くなっていたのか、 相当先になってから振り返らないと解答は分からない。

分からないけれど、とりあえず鉄火場に飛び込むと、 考えている暇はなくなる。

それだけは経験上、断言できる。