外来でトラブる2種類の患者

言葉の与える印象は大事だ。

子供の頃から言葉だけは厳しくしつけられたから、人前で猫をかぶるのだけは上手だ。

生まれた頃から、デフォルトは「ですます」調。一人称は「私」。学生の頃はそれでは弱いから、 一人称は「俺」。言葉ももっと乱暴なものに改めた。

卒業以後。営業用の言葉の基本は「ですます」。それだけだと 言葉が硬くなりすぎるから、すこし「べらんめえ調」を混ぜている。

同僚との会話。普段はゆっくり過ぎるぐらいの丁寧語。 忙しかったり、議論を通したいときだけは語調を変える。 話の通りが格段に良くなる。

外来業務。いろいろと気は遣ってる。

  • 分かりやすくゆっくりしゃべる。
  • 目線は必ず患者と同じ高さ。腕は組まずに大きく開く。
  • 口をなるべく大きく開けると、表情が豊かに見えて親しみが増す。
  • 高齢者でも名前に「さん」づけ。赤ちゃん言葉は禁忌。

言葉の気遣い。ていねいな態度と、ついでに正しい医学の知識。ここまでやってやっと必要条件。 十分条件にはまだまだ足りない。

怪しげなサプリメントに大金をつぎ込む人。 「ジュースは控えてください」と注意すると、コーラをがぶ飲みして血糖値を上げてくる糖尿病の患者。 タイプは全く違うけれど、どちらも共通するものは同じ。こういう人達は、目の前の医者の意見を 根本的に信じていない

健康になるためなら死んだっていい

医者の薬以外に何種類ものサプリメントを試す人、健康マニアの人にとっては、 大切なことは「良く」なることだ。

良くなることと、治ること。一見同じゴールなのだけれど、 マニアも度が過ぎてくると、このあたりがずれてくる。

彼らにとっては、薬を飲むこと、健康食品を購入することというのは、 自分の体を「良く」するための変革の手段だ。

コントロールがよくなった糖尿病や高血圧。セオリーどおりならば薬を減らすところであっても、 こういう人達は「落ち着いたから減薬しましょう」では納得しない。

健康を求める人、生活を変化させることで「良く」なろうとする人達にとって、 大切なのは「良い」未来だ。今まで死ななかった過去の実績は問題にならない。 未来派の人に過去を強調しても、「こいつ全然分かってねえ…」と信頼を失うのがオチだ。

薬を飲む目的は、現在の自分の体を元に戻すことではなくて、数年先によりよくなった 自分の体を手に入れるため。だから、薬を減らしたり、「弱い」薬へ変更したりするのには 抵抗がある。黙って変更したりすると、サプリメントの量を増やされる。

こういう人達に減薬を提案する際は、こちら側から未来のプランを提案するのが効果的だと思う。

  • 春先になったら検査をして、落ち着いているようなら薬を減らそうと思います
  • HbA1Cが6まで下がったら、今飲んでもらっている薬をもっと「体にやさしい」タイプに変える予定です

データが良くなったこと。病気が「治った」方向へ向かっているのは偶然ではなく、 いろいろなことが想定内で進んでいるのだということを明示的に会話を進めると、けっこううまくいく。

コーラを飲む糖尿病患者

ジュースを控えてくださいといわれて、ソーダやコーラを飲む糖尿病の人。 ようやく人工呼吸器が外れたと思ったら、さっそく喫煙所に向かう喘息の人。

ちょっと良くなると、子供の薬をすぐに中断してしまう親御さん、 「お金は払うから、注射一発ですぐに直してくれ」と要求する患者さんも、たぶん根本的には同じ 思考回路で動いている。

こういう人達は、「元気だった頃の自分」、今まで死なずに元気にやってきた自分というものの イメージを大切にしている。

医師が行う治療、あるいは、外来で要求する生活習慣の「改善」とか、「節制」といったものは、 本人達にとっては一番大事なもの、「今まで元気にやってきた自分」というイメージを 傷つけるものだ。

こういう患者さんは、基本的には保守的な人が多い。自分だけが(悪い意味で)特別だと 思いたくないから、今までやってきたことを変えることを極端に嫌がる。

無理強いしても反発されるだけだし、コントロールが悪くなったり、あるいは医者が 要求した「改善事項」を守らないと叱ったりしても、症状がよっぽど悪くならないかぎりは 聞き入れられない。

こういう人達にとって、大切なのは「進歩」とか「改善」などではなくて、 これまでの生活習慣に戻れるのかどうか。「他のみんな」と同じ状態に、 自分が戻れるのかどうかだ。

保守的な人に対する殺し文句として多用しているのは、 「みんながそうやっていますよ」という言い回し。 その薬を飲んだり、あるいは新しい生活習慣をお願いしなくてはいけない人というのは なにも特別な人ではなくて、同じようなことをしている人は世の中にはたくさんいますよ、 という提案をしている。

  • ステロイドの内服を始める人に「その量は、喘息で入院する人が服用する量の半分ぐらいです」と、もっとたくさん服用している人がいっぱいいることをアピールする
  • 降圧薬を開始するときは「まずは、一般的な量の半分ぐらいから始めてみましょう」と、多数派に比べて少ないことを強調する

こちらの人については、この方法だけだとまだ足りない印象を持っている。何を言っても守ってくれない人は守ってくれない。それでも、通院を続けてくれるだけ、まだかろうじて絆は残ってる。

マーケティングの上流と下流

ちょっと前、サントリーの「ボス」という缶コーヒーのコマーシャルが話題になった。

もともとは、おしゃれなCMで売っていたブランド。矢沢永吉が「最近、バカが多くて疲れませんか?」とやっていたのは たしかこのコーヒーのCM(注:間違いでした)だった。

「バカが多くて…」の意味しているのは、「ボスを飲んでいるあなたは、当然バカじゃありませんよね?」というメッセージで、 この頃のCMは、ターゲットを上昇志向の強い中流に絞っていた。

最近は、この「ボス」のCMのターゲットが変わったのだという。

自動販売機でボスが100円で売られていた。九州限定で販売されている100円ボスは、 普通の190g缶よりちょっと小さめで170gだった。 ふと思った。サントリーは缶コーヒーという飲み物に見切りをつけたのではないだろうか、と。 (中略)いまだに缶コーヒーを飲んでいる人は、健康意識も低くオシャレでもなくグルメでもない、金銭的にもあまり裕福ではない、社会的に下流の人間だ・・・サントリーはそう判断したような気がする。

まず広告。ボスの広告といえば、いつもアイディアを凝らした若々しくオシャレなCMで話題になったものだけれど、今年のボスはなにか違う。タモリを使った古臭いセンスのCMで、これまでの斬新さがまるでない。でも、下流の人間に合わせた分かりやすいベタな表現に敢えてした、ということなら理解できる。 次にキャンペーン。これまでボスジャンとかボス電とか、プレミアム感のある景品をボスは提供してきたイメージが強いのに、今年は総額2億円が当たるという即物的なギャンブル企画だ。これもギャンブル好きな低所得層を意識的に狙っているふしがある。 インサイター:サントリーのコーヒー戦略に見る「下流マーケティング」より引用

世の中を上流、中流下流に分けると、下4割は「下流」に分類されるという。

コマーシャルというのは、お客を持ち上げてなんぼ。自分のお客さんの中に、 上流の客と下流の客がいて、それぞれに戦略を変えていこうというのは、 サービス業に従事する人間としては非常な抵抗がある。

少なくとも、その意図が「下流」と分類された お客さんにばれたとき、大変なリスクがあるような気がする。

下流の患者」は存在するのか?

医者がこんなことを考え始めると、もうお互いの信頼関係なんかあったもんじゃない。

それでも、人に合わせて複数のマーケティング手段を使い分けるという考えかたは 魅力的だ。少なくとも、全ての人に同じ態度で対面していると、上手くいかないケースはけっこう多い。

  • これからの未来に不安を募らせる人と、今まで死ななかった過去をよりどころにする人。
  • 「良く」なるためなら不連続なイノベーションを許容できる人と、今までの生活習慣を変えるのを拒む人。

前者の人は、ただ「正常になった」だけでは納得しない。過程を重視するし、数字を残すことにこだわる。 後者の人は、たとえばHbA1Cなどどうでもよく、今までどおりお酒が飲めるかどうかにしか興味がない。

2種類の人に、2種類の方法。けっこう上手くいきそうなのだが、問題なのはどういう人が、どういう 考えの持ち主なのかが全く分からないこと。

何回かの外来を経ていくと、大体読める。それでも、初診で来た人がどういうカテゴリーの人なのか、 それを見定めるのはまだ全然できない。

入院中のムンテラ。悪くなったときのフォロー。 外来以外のコミュニケーションの場はいくらでもあるけれど、 2種類の人がいたとして、じゃあ2種類の戦略をどう使い分ければいいのか、 それぞれのタイプに対してどういう 方法論で攻めればいいのか。まだ全然分からない。

集中治療を離れて外に出て、たぶんこれから当分一般内科。あと10年ぐらいすると、 ノウハウたまるだろうか…。