地域で気分よく働くのに必要なもの

地蔵に注意を払うことが少なくなった気がする。

本学の裏の交差点には、昔から交通安全祈願のお地蔵さんが立っている。

数年前、どこかのバカが地蔵の首を蹴り飛ばしてから何度か修復されたが、 そのたびに「首なし地蔵」が交差点を見おろす(目が無いけど…)ことが繰り返され、 最終的に薬師如来像に置きかえられた。強度の関係からなのか、こちらの像に なってからはまだ首はつながっている。

聖なるものは移動できない

神様は、その場所、その血にくくられて、力を発揮する。 地と血の読みが同じなのには、多分理由がある。

漫画「うしろの百太郎」の中で、主人公たちがエジプトで事件に巻き込まれた際、守護霊の百太郎はこう伝える。

エジプトでは、私とは「霊的な管轄」が違うので、私は助けることができない。

結局、物語では百太郎がエジプトの神様に話をつけ、そちらの神様が主人公を助ける。

いずれにしても、神様とか霊といった存在の神秘性というのはその場所に依存している。

神社や寺。大きな石や、村一番の古い大木。動かないもの、いつもそこにあるものというのは、 昔は何でも信仰の対象だった。

社会的な地位と移動量は逆比例する

ムラ社会」が当たり前だった頃、ムラの人というのは、常にそこにいることが求められた。 寺の住職や医者。ムラの重鎮クラスは常にそこにいた。

農地を放り出した人は「村八分」にされたし、日本のサンカ、ヨーロッパのロマ族といった 放浪する人達というのは、社会的な身分は低い者とされた。

こうした考えかたは、もちろん政治的な理由もあったのだろうけれど、 世界の規模が小さく、お互いの絆が強い社会では、ある種当然であったような気もする。

お互いの絆が強い社会、クラスター(集塊)化した小さな世間というものの中では、一人一人の 役割が重要になる。昔なら、一つの村の規模はせいぜい数百人。 そんな狭い社会の中では、メンバー一人が抜けるだけで大きな穴となる。

移動手段も無かったし、お互い移る動機もそんなに多くは無かっただろうけれど、 何よりも社会を維持しつづける動機として、「移動しないもの、いつもそこにあるものを神聖視する」 という考えかたが自然発生したのだと思う。

世界の変化と地域の崩壊

移動する手段の限られた時代。

様々な世界をみてきた人達というのは、一つの地域を維持してきた人達にとっては 驚異だったはずだ。

どんなパラメーターであっても、優劣を比較することはできる。

前の村の方が気候がよかった。前の村の方が作物が豊かで、飢えは無縁だった。

選択肢が増えれば、最善解に人が群がる。

本当は、人が群がった時点で最善解は最善解でなくなってしまい、人の群れが右往左往 していく中で、またどこかのバランスに落ち着くのだが、人が移動を始めた時点で 多くの村は崩壊の危機に瀕することになる。

今の地域医療がそうだ。地域医療は、もともとは大学、あるいは大きな研修病院を中心とした「小さな社会」に 分かれることで、それなりにうまくいっていた。お上が余計な移動手段を持ち込んだものだから、 研修医が大移動を始めて地方は崩壊だ。

ずっとそこでやっていくことの価値が落ちている。

いつもそこでやっていく人ということは、今日では尊敬の対象でなく、 当たり前のインフラとして認識されるようになってしまった。

尊敬とか崇拝とかいったものは、群れ社会の中では一種の通貨として機能する。

流通する貨幣の総量はいつの時代も同じ。その時の社会のルールに応じて、 貨幣を集めるのが誰なのかは刻一刻と変わる。

経済活動と同じく、こうした貨幣の収集というのは一種のゼロサムゲームだ。 誰かの元に尊敬や崇拝が集まるとき、必ず別の誰かが割りを食う。

社会のある場所に止まって、常にそこにいて活動する存在というのは、 昔は貨幣を集める立場だった。

社会は変わる。地蔵の首は飛び、貨幣は別の誰かの元へと 持ち去られた。

大きな世界ではコネクターが注目される

世界は膨張し、その構造はだんだんと変化する。

小さな村だけが転々としていた時代。村の中での人の絆は強く、 村人は強力なクラスター(集塊)を作っていた。 隣の世界である別の村とをつなぐコネクターの数は少なく、またその地位は低かった。

世界は膨張する。大きな世界では、各個人(ノード)ごとの情報の伝達は、 その世界の大きさに比例して遅くなる。巨大な伝言ゲームの世界だ。

ところが、遠くはなれたノード同士をつなぐ弱い絆が何本かあるだけで、ノード同士の隔たりは 劇的に少なくなる。こうしたランダムネットワークの状態では、 その何本かの絆を断ち切るだけで 世界は崩壊してしまうけれど、今の世界のネットワークは、もちろんそんなことはない。

インターネットを代表とする現在の大規模ネットワークは、スモールワールドネットワークと呼ばれる。

スモールワールドネットワークでは、2つの存在がネットワークを形成している。

個々のノードは強力なクラスターを形成している一方、 各々のクラスター同士は、何人かのコネクターの持つ弱い絆で結ばれている。 こうして出来上がったネットワークは、 クラスターネットワークのように強靭で、ランダムネットワークのようにすばやい情報伝達を可能にする。

小さな集落しかなかった過去。コネクターの地位は低く、むしろその存在は村の存在を脅かすものとして タブー視された。

現在は違う。大規模ネットワークである現在社会を、文字通り「小さな世界」のように 強靭ですばやく運営しているのは、コネクターの力が大きくなったからだ。

世界に流通する尊敬の貨幣の量は、常に一定だ。コネクターの力が大きくなった社会では、 貨幣はコネクターに集まった。クラスターのメンバーの地位は地に落ちた。

地域でずっと働くのに必要なもの

移動しないこと、そこでずっとやっていくことというのは、 ネットワークの強靭さを保つ上では、遠くの弱い絆を持つこと以上に大切なものだ。

クラスターとコネクターとは対立する競争相手などではなく、世界に強靭さと すばやさとを与える大切な2つの要素だ。

現在社会。優秀な人の目、はコネクターのほうに注がれる。地域医療のように、 そこでずっと同じことをするという選択は、 時代遅れで割りの合わない、バカな選択に思われてしまっている。

地域医療が好きだ。

脳梗塞が好きだ 誤嚥の管理が好きだ 褥瘡処置が好きだ 不隠の対処が好きだ

田舎の中小病院で行われるありとあらゆる医療行為が大好きだ

行き場のない寝たきり老人の転院先を探すのが好きだ 転院先の外堀を埋めて、力業で承諾を勝ちとった時など 胸がすくような気持ちだった

家族の歪みを見るのが好きだ 動けない義父の介護を押し付けられた三男の嫁が マウントポジションから何度も何度も 義父に拳を振り下ろしている様など感動すら覚える

公務員の横暴になす術も無く耐えるのが好きだ 生活できない心不全の患者が体よく追い返される同じ窓口で 普通に歩ける役所の身内に生保が即決されるのを見るのはとても悲しいものだ

保険会社の書類攻勢に蹂躙されるのが好きだ 数十枚もの書類を書かせ 難癖を付けては保険の支払いを渋る某外資系の保険屋に 卑屈な愛想笑いを返すのは屈辱の極みだ

いわゆるお医者さん的な部分。 人の生活の美しいところ。醜いところ。 世の中の矛盾。 普段は巧妙に隠されている、人間の野生。 この仕事は面白い。冗談で無く本当に。

できれば気分よく続けたいけれど、そのためにはやはり 気分よく地域に埋もれられる環境を作らないといけない。

昔話の時代。お地蔵さんは、雪の日なら米俵を担いで歩けるぐらいに パワフルだった。現在、地蔵は力を失い、 今では酔っ払いのミドルキック一発で交差点に沈む。

信仰の力で地蔵を再び歩かせるのは相当大変そうだけれど、 せめて地蔵の首の飛ばない社会にしないと、 次に蹴られるのは地域の医者だ。

以下続く。