正しいやりかたの復権
皆の声を集めることぐらいバカらしいことはない。
環境保護とか、イルカを救えとか。なんだか胡散臭いスローガンに酔った連中が、 今でも道で叫んでる。
みんな目線が狂ってる。もうバリバリ(死語)に自己啓発入りまくり。
この手の連中は、目的を達成するのに募金を呼びかけるんじゃなくて、 募金活動をやってる自分に酔うために、何かの目的を探す。
スローガン。団体活動。説得や交渉。署名活動。シンポジウムやワークショップ。「みんな」の声。
これほど胡散臭いものはない。
思考停止を促す言葉
「環境保護」とか。「アフリカの子供達を救え」とか。地域医療とかEBMとか。
「みんな」の目から見て「正しい」スローガンというのは、切り返すのが難しい。
ゴミの分別収集の問題などもそうだ。本当は、分別してリサイクルするコストよりも、 分別収集するコストのほうがよっぽど高い(らしい)。とりあえず全部燃してしまって、分別のコストを 削減したほうがエネルギーが節約できる。
それでも、「地球に優しい」なんていうのを信じる連中にそんなことを話そうものなら、 「地球の敵に認定される。
自分だって、環境問題の専門家でもなんでもない。多分相手だってそうだ。 「みんな」と「非専門家」では議論にならないから、結局相手を説得できない し、だいたい向こうだってそんなことは望んでいない。
反論しにくいスローガンに集まる連中というのは、理論がその中で完結してしまっているから、 外の人間が何を言っても「敵の攻撃」としか思ってくれない。
そういう集団を切り崩すのに、一番有効なのが「主催者はこんなに悪い奴」という人格攻撃だ。 人は人に集まり、理論には集まらない。理論がどんなにすばらしくても、 それを唱える人間に魅力がなくなれば、人は離れていく。
反論しにくいスローガン同士がぶつかり合うと、お互いに相手のドグマを崩せないから、 最後は人格攻撃の泥沼状態になる。某創○学会とか、相手の人格攻撃をあれだけ執拗にやるのは、 たぶんこんな理由だと思う。
目的のために犠牲を強いる
スローガンの達成のために何かを我慢するのはしかたがない。
この発想は間違いだ。
「より良い医師養成のため」「患者さん中心の医療の実現のため」に募金を集めたり、集会を開いたり。
お題目のために何かを諦める。何かおかしい気がする。 集まる暇があるのなら、その分外来をさばいたほうが よっぽど患者さん中心だ。利益も上がるし。
「個人が自分の利益を追求していたら、いつの間にか全体の利益に寄与していた。」
そんなルールを考えるのが政治って奴だと思う。現実にはなかなか難しいけれど。
世界中の誰もが不利益をこうむらないスローガンなど、そうあるもんじゃない。
誰かが不利益をこうむるならば、その「誰か」は必ず抵抗する。抵抗を排除するには、 どうしても「力」に頼らないといけないところがある。
何かの要求を通すのは簡単だ。権力や影響力を持った人と、一緒に酒を飲めばいい。
学生の頃はずっとこれをやっていた。本当は、みんなの意見をまとめて、 合意の上での多数決を採るのが民主主義なのだけれど。
若気の至りで自治会などというものに 手を出していたけれど、「みんなの声」を集める行為は1度で懲りた。
波を起こすのに旗を振る
波には2種類ある。
外洋では、どちらも同じ波に見える。ところが、両者の持っている力はまるで違う。
普通の波は、海の表面だけが波打っている。だから、陸地が近づいても波の高さは変わらないし、 打ち寄せれば消えてしまう。
津波は違う。海のそこからの大きなうねりが表面上は普通の波に見えているだけだから、 陸地に近づくとどんどん大きくなるように見える。破壊力抜群。
何かのスローガンを掲げて人の力を集める行為というのは、 旗を振り回して風を起こして、その力で波を起こそうとするようなものだ。
波はおきるかもしれない。でも、津波は絶対に作れない。
効率が悪いことおびただしい。旗を振るぐらいなら、 旗ざおを突っ込んでかき回したほうが、よっぽど 力が伝わるのに。
「みんなのこえ」を集めるコスト
人の声を集めて何かやるのは大変だ。
- 人の声を集めるコスト
- やる気のある仲間を探すコスト
声や人を集めるためのコストというのは、それによって得られる力との収支が絶対に引き合わない。
新興宗教系の人たちの活動が続くのは、「人を集めるためのコスト」をゼロで計上できるからで、 「普通」の人は掛け声だけで集まったりはしない。
「みんなの声」が自分の思惑と違っていたときは悲惨だ。面白そうだと思ってはじめた仕事は 微妙にやる気のおきないものになり、それでも集めてしまった「みんなの声」の手前、 無理して続けざるをえない。
声を出してくれる人は多くても、手を出してくれる人はとても少ない。
自分の意志ではじめたことなら、少々のマンパワーの不足は気合で乗り越えるけれど、 そうでない時は大変だ。自分の思いとは違う、「みんなの声」によるやらされた感 は、旗を振って人を動かそうとした人なら誰でも体験しているはずだ。
声を集めて何かをやる「正しい」手法は、コスト(お金以外のいろいろ含めて)的に絶対に 引き合わない。少なくとも、学生時代はそう思ってた。
代わりにやっていたのは、もっと「正しくない」やりかただ。
1000人の署名より1本の酒
大学自治会というところは、たいていは体育会や文化会と仲が悪い。
「みんな」の力を集める自治会のやりかたが「正しいやりかた」ならば、体育会や文化会、大学祭 実行委員会といった面々は、まったく「正しくない」やりかたをする。
大学祭。失敗すると困る。日程も決まっているし、大学生だけじゃなくて受験生だって来る。 模擬店だって出る。食中毒が出たりすると、相当困る。
スローガンなんていう漠然としたものを相手にするのと、「祭り」とか「大会」とかいった具体的な ものを作るときとでは、優先事項が全く違う。
前者の優先事項は、手続き的に「正しい」ことだ。みんなの声に従えないとき。会の流れが 一つにまとまらなくなったとき。自治会流というのは、民主的な議決が原則だ。 それが間違っていたり、あるいは議決の流れいかんでは目標の達成がおぼつかないときでも、 その議決が優先される。
大学祭は逆だ。最優先事項は、予定日に「祭り」を行うこと。手続きが正しいかどうかなんて知ったこっちゃない。
役所の書類は、大学のハンコを偽造してでも間にあわせる。予算がちょっと足りなくても、祭り直前には 申請している余裕なんか無い。下級生のバイト代で適当に穴を埋める。 白紙の領収書をいっぱい切っておいて、 後から適当に穴を埋める。
目的を達成するのにどうしても「力」が必要なときでも、「正しくない」連中はいちいち署名を集めたりはしない。
力を持った人の所に酒を持っていって、一緒に飲む。その人のところに行けないなら、 その人を知っている人に 紹介してもらう。頭は下げなくちゃいけない。「みんな」からは顰蹙を買うかもしれない。 それでも圧倒的に速いし、なにより確実だ。
「みんな」は旗振り役を裏切るし、熱はすぐに冷める。 一緒に酒を交わした個人は、「みんな」などよりよほど親身になってくれる。
ネットは正しいやりかたを復活させるか
正しいやりかたの問題点は簡単だ。
- 「声」や「人」を集めるコスト
- 乗っかるに値するスローガンのフィルタリング
インターネットは、人と人とをつなぐコストを劇的に低下させた。
「声」を集めるのは非常に簡単になった。「人」を集めるのは相変わらず 大変そうだけれど、それでも「みんな」に呼びかけなくてもよくなった。 興味のある人は、自然に集まる。呼びかけるスローガンが、 乗っかるに値するぐらい魅力的なものならば。
胡散臭いスローガンや、偽善の利権に乗っかろうとする連中をフィルタリングすることも、 インターネットは可能にした。
スローガンで人を動かすといえばマスコミの得意分野だけれど、近年はその成功率が 下がっているように見える。
マスコミは、どうしても「マス」を相手にする仕事だから、世の中の全ての専門家を 納得させるスローガンは作れない。とくに、そこに利権が隠れているとき、 誰かにそれを見抜かれる。
ネット上で時々おきる「祭り」は、マスを相手にしなくてもいいから、より専門性の高いアピールができる。 規模は小さくても、参加した人の納得度は高くできる。
正しいやりかたの復権
納得づくで参加する「祭り」というのは、本当に楽しい。正しいやりかたで何かを成し遂げられると、 そのときの満足感は得られた結果以上のものがある。
目標を達成すること自体も、もちろんうれしい。それ以上に楽しいのが、祭り自体の持つ高揚感とか、 みんなと共有するある種の共犯者意識みたいなものとか。
便宜上、保守を任じているけれど、本当に好きなのは混沌だ。
熱狂できるなら、乗っかる思想は何だっていい。祭りは、見るより参加するほうが絶対面白い。 暴れられるなら、世の中のルールをもっと複雑にしてくれるなら、 社民@売国党に投票したってかまわない。
無力な個人の集団が力を発揮できるのは、まさにそんなときだから。
ずっと使ってきたし、何度も助けてもらったのは影響力を持った個人の力だけれど、 本当にほしかったのは「みんなの力」だ。
公平な議論。「正しい」闘争の結果の正しい勝利。
「正しいやりかた」とか、「みんなの力」とか、いかがわしくとも魅力的なこの正体不明のものは、 それに乗っかれれば本当に楽しい。
それで何かを壊せるならば、もっと楽しい。 「正しい」やりかたで自治会を引き継いで、先輩方の作ってきたものを全部否定したとき、 自分はとてもいい気分だったから。
最近、学生さんのグループ(一部医師)が厚生省と交渉して、 国家試験の問題を全文公開させることに成功した。
本当は非公開だった文書。 印刷だってわざわざ刑務所の中でやるような代物だ。
厚生省なんて、昔は学生レベルでは全く相手にならなかったし、 「酒」の力なんか全く通用しない、固い役所だ。
目標を持って、人を集めて、正規のルートで国と交渉して何かを達成する。
自分はこうした「正しい」やりかたを全くできなかったけれど、うまくいってほしい し、何よりもやっている人たちが活動自体を楽しめればいいなと思う。
その人達と思想信条を共有できるかどうかは分からないし、 その人たちが「サヨク」の思想の子供達なら(全然違うらしい)、その時点で敵認定してしまう だろうけれど、少なくとも彼らは、自分の頃の方法論ではできなかったことを やっている。「みんな」の力は国をも動かす。それを現実のものにしている。
それだけは確かだ。