分かりやすいマニュアルへの試行錯誤(1)

あるセカイ系の妄想

内容さえすばらしければ、1つの文章、1冊の本というものには世界を変える力がある。

そんな童貞臭いセカイ系の戯言を、昔は本気で信じてた。

研修医だった当時、聖路加だの虎の門だの、大手のブランド病院は「研修医が書いた」と称する レジデントマニュアルを次々と発表していた。あんなもの、絶対使うもんかと思いながら、 下級生の買ったやつを分捕って見てみると、結構便利。くやしかった。

沖縄中部病院のレジデントマニュアルも、なぜか手元にあった。 「研修医当直御法度」という題名で市販されている。「本物」は、売られているやつよりも はるかに質素な装丁で、ポケットに入るように版形も小さい。 左翼過激派の地下文書(なぜか手元にたくさんある…)を連想させる迫力があり、 これはこれで滅茶苦茶うらやましかった。

自分達の病院にもそうした形になるものがほしい。

結構多くの人達が同意してくれ、当時1年生の同級生全員のメモ帳を回収。 休日返上でワープロでデータ化して、みんなに配ったのはもう10年も前。まだパソコンなんて 院内に数台しかなかった頃。

盛り上がった割には1世代しか続かず、当時内容を添削してくれたスタッフドクターもほとんど いなくなってしまった。前の病院を辞めるとき、医局に残っていたマニュアルデータ、 歴代のチーフレジデントの先生方が捨てていったプリントの山を持ち出し、HTMLで 勝手に公開しているのが今の表ページだ。

マニュアル本とは何か

マニュアルとは、「考えかた」を伝えるための本だ。知識を羅列しただけのものは教科書。 複数の人が働く現場で知識を生かすためには、その応用のしかた、治療の目標や戦略、 突っ込むところと撤退するところといったものを、お互いに共有していなくてはならない。

大きな施設では、同じ西洋医学を用いていても、「こういうやりかたで上手くいった」という 戦略は、微妙に異なっている。ベースとなる知識は同じでも、戦略の異なる人が一緒に 仕事をすると、喧嘩になってしまう。知識のマニュアル化は、このために行われる。

どこの病院にも、ある症状や疾患に対する「必勝パターン」というものを持っている。 それが上手くいけばいくほど、医師は過去の成功パターンというものにこだわりを持つ。 その方法は、もしかしたらもっと最適化できるかもしれない。それでも、 「今までは上手くいっていた」という実績 を放り投げるのは容易なことではないし、新しいやりかたはしばしば事故を生む。

「正しいやりかた」などというものは存在しない。施設が違えば、スタッフの数や実力、 緊急に施行できる検査の種類やベッド数など、いろいろなパラメーターが異なってくる。 マニュアルというものは、本当はそれぞれの施設で独自の物を作らないと上手くいかない。

昔は「うちのやりかたが世界最強」と心の底から信じていたから、他人様に読んでもらえるマニュアル というものはどんなものなのか、いろいろと考えた。

読者に戦略の変更を迫るには

異質な考えかたを受け入れてもらうのは大変だ。

大きな病院ならば簡単。歴史の長い大病院の権威。 実際にそのマニュアルを使って「上手くいった」経験を もつ、何人ものレジデントや現場スタッフ。こうしたものは、別の病院に新しい考えかたを もたらす際には強力な武器になる。

うちの病院は不利だ。規模は小さいし、誰もそんな施設は知らない。 大体書いてる奴がもう辞めちゃったから、 筆者も病院名も明かせないまま。そんなあやしいもの、誰も信じない。

全く異質な価値観を提示しようとするとき、通常はかなり抵抗される。

西洋医学のマニュアルだから、「間に合ってます」と言われれば引き下がればいいのだが、 そもそもの始まりが「病院の対抗意識」なんて邪なものだったから、手段は選んでいられない。

当初参考にしたのは、カルト団体の宣伝書だ。ヤ○ギシ会、も○みの塔などの宣伝パンフや伝道書。 なぜか手元にいっぱいあった。

宗教カルトの人達は大変だ。大勢の人に自分の意見を聞いてもらわないと世界が滅んじゃうから、 いろいろな方法を考える。団体のパンフレットも、そうした方法論の流れで、「信じてもらう」ための いろいろな工夫がほどこされている。

  • カルトは危機感を煽る。現状の世界の悪い部分をクローズアップして、「このままでは世界が滅ぶ」と宣言する。 世界滅亡を回避するには、カルトの思想を信じるしかない。
  • カルトは言い切る。断言されたものに対しては、人は肯定か、全否定かの2者択一を迫られる。カルトの論法は、 「負けないけど勝てない」ではなく、「負けるけど勝つ」戦略をとる。否定する人は、「悪魔」認定される。
  • カルトには例外や失敗はない。失敗例は、教えを忠実に守れなかった人だから、思想そのものは悪くない。
  • カルトのパンフには「みんな」がいっぱいいる。「みんな」私達の言うことを信じるでしょう。 「みんな」で力を合わせて…。漠然とした仲間意識は、目の前の人間の言うことを断りにくくする。
  • カルトは権威好きだ。誰も知らない権威の発言は次々と引用され、カルトの思想に厚みを加える。

最初に文章を書いてた頃は、とにかく読んでもらうことが先決だった。 あんまり受けなかったけれど、全部テキストベタ打ちだったから、アクセス数稼ぎにはなった。 今見ると読みずらい。索引もないから、現場で何かを調べるのは無理だろう。

従来の文章を越えるもの

最初にマニュアルを作った頃は、文章のベタ打ちしか出来なかった。

道具といえばワープロだけ。スキャナも持っていなかったし、グラフィックソフトなんてついていなかったから、 文章内に図版を張り込むなんて夢のまた夢。文字ばかり並ぶ本は見苦しかったけれど、 他にやりようもなかった。

そのうちワープロからパソコンになり、Wordをすっ飛ばしていきなりLaTeXを使うようになって数年。 図の張り込みやら、文章のPDF化やらがまともに出来るようになってから、 ようやくマニュアルの「読みやすさ」について考察する余裕が出来た。

この頃感銘を受けていたのが、当時話題だった「ゲーム脳の恐怖」という本だ。

出版された直後から「トンデモ本」認定を受けていた本だったけれど、 「ゲームの世界を無批判に受け入れてしまう、 痴呆患者と同じゲーム脳」のメタファーは印象的だった。

下級生に文章読ませて、相手を「ゲーム脳」化できたら、相当面白いな…。

何年経っても動機は不純。そんなわけで、以下のような方針を考えた。

  • 図版を多くして、文章を短くして、なるべく簡単に読めるようにする。
  • 「理学所見をとる」「聴診する」などというあいまいな言葉を使わず、「右胸を聴診して呼吸音の有無を聞く」といったように、 なるべく具体的な動作を記載する。
  • 同じ文章には同じ絵を付けて、ボーっとしていても絵だけでも内容を追っかけられるようにする。

この頃参考にしたのは、熱帯医学関係のパンフレットや、 未開地にエンジンを売る会社(たしかヤマハ)などで用いている、 現地の人向けの操作マニュアルだ。

言葉が分からなくても、絵を見ているだけで大体分かる。 何をすればいいのか、絵を見て大雑把に把握してから文章を読むから、とても分かりやすい。

「2005病棟ガイド」というマニュアルはこんなことを考えながら作ったのだけれど、 意図した効果を出せたとは言いがたい。

「絵で分からせる」のは、思想としては間違っていないと思う。

それでも、自分には絵心が全くといっていいほどないので、図版は他人様のそれを もらってくるしかない。どんな絵が「分かる」のかも評価できないから、 絵の素人が絵の入った本を作ろうとするのはやっぱり無謀だった。

絵で分からせるという考えかたを突き詰めると、ピクトグラム に行きあたる。これもまた深い世界があり、面白いのだけれど、 本の中で使うには無理があった。当時はまだレーザープリンタを使っていなかったから、 インクの乾きが遅いという問題もあった。

もう一つの方針、「頭を使わず読む」ほうについては、 構造化チャートの考えかたを 使っている。

意思決定のプロセスを、言葉だけで伝えるのは大変だ。文章が長くなるし、ぱっと見て全体像を 把握するのは難しい。構造化チャートという技法は、このプロセスを出来るだけ整理して、 分かりやすく記載する方法だ。

いちばん有名なのはフローチャートなのだが、 これを使っている本はいくらでもあった。それではつまらないので、次世代型の構造化チャート の一つとして発表されている、NSチャートというものを用いている。

フローチャート型式の記載については、一応「分かりやすい」という評価をいただいたのだが、 今度はPDF型式以外の媒体に変換するのが極めて困難になってしまった。 表ページのHTMLは、LaTeXで作ったものをLaTeX2HTMLというソフトで変換しているのだけれど、 あの図を載せるのには相当苦労している。

続く。