患者の渋滞について

直線道路でも渋滞は生じる

大学の研究者であった父親が、国土交通省に呼ばれたことがある。 当時の専門は、音響工学だった。

問題点は、交通渋滞の対策。障害物のない道路で、なぜ渋滞が生じ、どう対策すればいいのか。

渋滞中の車の振る舞いというのは、音波に似ているのだそうだ。

音というのは、密度波だ。 空気の分子の集まりを車に見立てると、その密度の分布が作り出す渋滞がどう変化していくのか、 その観察に、音響工学の技術が応用できたという。

自分が小学生の頃。複雑系とか、ネットワーク科学などという言葉は全くなかった頃だ。

当時考えられた対策は、交差点周囲の違法駐車を重点的に取り締まることだったという。 これをやることで、「音」の通りが良くなり、渋滞は激減するはずだった…らしい。

後年自分で車を運転するようになったが、その効果が全く感じられないのが ちょっとくやしい。

何もない直線道路でも渋滞は生じうる。

  1. たとえばその道路に警察官が立っていたとすると、誰でもその近くに来るとブレーキを踏んで スピードを落とす。
  2. 障害物のない直線でも、その位置になるとみんなブレーキをかけるから、車の密度が上がって 渋滞になる。
  3. 前の車がブレーキを踏むと、ドライバーなら誰でも本能的にブレーキをかける。そのあと周囲を確認して、 何もないことを確認できればブレーキを解除できるが、そこにはどうしても判断の時間だけタイムラグが生じる。
  4. たとえ警察官が去ってしまっても、道路のその位置では車の密度が高いままになる。なにも障害物が なくても、誰もがブレーキを踏んでしまうから、しばらくは渋滞が続く。

病院という空間でも渋滞が生じる

病院にも「患者の渋滞」という現象が起こりうる。

例外はいくらでもあるけれど、重病人は最初に救急外来から集中治療室に入院して、 そのあと回復したら一般病棟に移り、さらにリハビリのために療養型病棟に転棟する。

ベッドが空いていれば、回復さえすれば何の障害もない直線道路。 実際には、この「救急外来->ICU->一般病棟->療養病棟」 という道には、それぞれの境界に警察官が立っている。

病棟を移動するときには、まずは空いているベッドを探す必要がある。ベッドが見つからなければ、たとえ 回復した患者さんであっても、重症ベッドから移動できない。

忙しい時期、救急外来からまとめて入院があったあとなど、同じ重症度の患者さんが多数出現することがある。 多人数をまとめて移動するのは、その人数を受ける病棟にとってはストレスだ。同じ日に、そう何人もの 患者さんは受けられない。結局重症病棟では回復した患者が渋滞し、次の人が受けられない。

一度こうした「渋滞」があると、この人たちはどこの段階に行っても「渋滞」の原因になる。 救急外来が忙しかった日からずいぶん経っても、病院内は慢性的に渋滞の状態が続く。

警官の検問のようなものがなくても、迂回路のない直線道路はしばしば渋滞する。

追い越し不可能な道では、その道路で一番遅い車が全体のスピードを決定してしまう。 大量生産時代の象徴のように言われたベルトコンベア方式の製造ライン。 これもまた、工場の中でもっとも手の遅い人が全体の速度を決める。 今では、非効率の代表のように扱われ、どうやったら「ラインの無駄」を工場から撤廃できるのか、 コンサルタントの人は知恵を絞っている。

同じ病院内での患者の流れというのもまた、特定の病棟が全体の流れを決めてしまう。

具体的には救急外来から専門科に紹介する過程、 そして一般病棟から療養型病棟へと患者を紹介する過程は、 病院内での患者さんの流れの中で、律速段階を作ってしまっている。

遊びを無くせばスピードは上がる

音の波や車の流れ、病院内での患者の流れといった、 密度の分布をとるもののスピードを上げるには、 「分子」間の結びつきを密にする必要がある。

空気の分子は、水に比べて結びつきがゆるい。音は、空気中よりも水中のほうがより早く伝わる。 車の場合、前の車の振る舞いを、後続のドライバーが判断するという過程が 分子間の遊びを作り、渋滞の原因を作っている。 車同士が剛体結合された列車では、そもそも渋滞というものが存在しない。

病院内での患者の渋滞を作っているのは、病棟を移す際に各病棟が行う患者さんの重症度評価と、 空きベッドの検索の時間だ。これをゼロに出来れば、患者の流れはもう少しスムーズになるかもしれない。

病院の渋滞を無くすには

救急外来から患者を紹介するのは難しい。

救急という場所は、もともとは応急処置をやるために作られた。 患者さんを入院させて、病気の原因検索を行い、その治療を行うようには出来ていない。

応急処置だけでは不足な場合、その人を専門各科に紹介して、入院させてもらう必要がある。

そのときどこの科に紹介すればいいのか?救急をやっていて、一番揉めるのがこの部分だ。

救急外来に来る患者さんというのは、「汚い」人が多い。主病名が一つに決まらない人。 主な問題は一つでも、それに糖尿病や腎不全といった「役」がついている人。 社会的、家族的な問題を抱えている人。専門各科も、そういった人を取るならば、できれば もっと「きれいな」患者を受けたいと思う。

「その人の問題は、うちの科ではありません」。

救急からこうした複雑な背景を持った患者さんを紹介するとき、電話口からはこうした返事が相次ぐ。 入院は必要。問題点も明らか。それでも抵抗はある。

  • その問題が本当に「一番の」問題点なのか。
  • その患者を取るのに、もっとふさわしい科があるのではないか。

専門各科はあれこれと理由をつけては、入院をブロックする。

専門分化の発達した大病院。複雑な疾患を解決できる、高度医療を得意とする病院ほど、こうした 複雑な背景の患者を入院加療できるベッドが存在しない。病気を見られる医師は売るほどいる。 それでも、その人を診療できる医師は、「公式には」存在しない。

あなたの専門は何ですか?

救急外来をやっていて、とにかく問題になるのが「誰が何の専門家なのか」が全くわからないという点だ。

循環器内科などは分かりやすい。心臓は単純な臓器だから、とりあえず心臓の病気であれば何でも診る。 消化器や神経あたりになると、もう魑魅魍魎の世界。血を吐いた人が救急にきても、その血が食道由来なのか、 胃潰瘍由来なのかで専門が違う。原因がわからないから内視鏡を断られ、結局外科に診断をつけてもらってから 消化器内科に入院。何か狂ってるけれど、誰が悪いのかすら分からない。

病院中の全ての医師に「タグ」をつけてほしい。できれば病名別でなく、症状別の。

消化管の専門家であっても、原因不明の吐血は診ないならば「公式に」そう表明してほしい。 その科には二度と頼まないから。 院内の専門家は、誰もが悪者になりたがらないから、 病名の専門家ではあっても、症状の専門家にはなってくれない。 「胃潰瘍」の専門家は、「吐血」や「上腹部痛」の専門家にはなってくれない。

外来に来る患者さんは、症状を訴えても、病名を訴えてくる人は少ない。外来というところは、本当は 症状を病名に変換するための場所なのだけれど、医者という人種は他人の下した診断というものを 信用しない。だったら病名の専門家であることをやめて、症状の専門家になってほしい。

以下続く。