最新の治療は最善ではないかもしれない

医療の進歩は過去を内包している

医療は進歩する。診断技術。モニタリングの技術。新薬や、新しい治療手技。

医療の進化のプロセスというのは、進化論で言うところの断続平衡モデルに似ている。

進化は、長期間の平衡期と、短い急激な変化期とを交互に繰り返す。変化期にはいろいろと革新的な技術が生まれ、新しい治療が試されて、医療に急激な進歩が生じる。平衡期に入ると、技術は洗練/成熟される。この時期は、革新的な進歩というものは生じにくい。

既存の技術では治療できない病気があるとき、その分野は変化期に入る。

カテ屋の業界で言えば、心筋梗塞狭心症がそうだ。 心臓の検査が心電図と胸部レントゲンしかなかった頃、 狭心症心筋梗塞といった病気は、まともな診断も治療も出来ない病気だった。 患者さんが胸痛で苦しんで入院しても、 血圧を下げてひたすら祈っているだけ。何も出来なかった。

ソーンズとジャドキンスの心臓カテーテル検査の発明をきっかけに、 この分野の医療は変化期に突入した。 ゴミ箱病名だった心筋梗塞が、治療可能な病気に。 多くの医者が飛びつき、様々な技術が発表された。

最初の頃は、心カテをやる医者なんかは、まだまだ異端扱い。 自分の元の師匠が若い頃、心カテの技術を周囲の若手に広めようと仲間を 募っても、20年前には誰も近寄ってこなかったらしい。

その後、カテーテル検査は日本中に普及して、 さらにバルーンによる冠血管形成術が紹介されるようになって25年近く。 日本ではもはや「循環器内科」といえば「カテ屋」。 カテーテルを握らない循環器内科医を探すほうが難しい。

技術は普及したが、進歩は止まった。たしかに、今でも毎日のように新しいデバイスや 診断技術は発表される。 それでも、いまの業界の基礎的な技術というものは、 カテーテルによる治療がこの世に紹介されてから最初の数年で 一気に作られ、以後は全く新しい道具や技術というものはほとんど作られていない。

循環器内科という医療の分野は、変化期から平衡期に入っている。

心筋梗塞は、もはや治療可能な病気になった。もちろんまだまだ完全ではない。 それでも、今までに発表された過去の技術の 蓄積で、とりあえずは「間に合っている」。

ピラミッドを積み重ねていくと、各段の大きさはだんだんと小さくなっていく。

基礎的な技術が紹介されて発展し、 その分野の進歩が平衡期に入ると、技術の進歩で恩恵を受ける人の数というのは だんだんと減っていく。

それでも技術は進歩する。医者だって学者の端くれだ。論文を書かないと世間から認められない。 わずかな技術革新、わずかな改良というものは、毎日のように発信される。 最先端を追い続けなければ、誰かに 追い越される。勉強の毎日。

革新的な技術というものは、荒削りだけれど分かりやすい。よくも悪くも革新的だから、 それを見た人に 強い印象を与える。そのコンセプトは理解されやすい。

わずかな改良というのは、門外漢分かりにくい。例えば陶器の分野。 ウン千万円の茶碗とその辺で売っている100円の 茶碗。何が数千万円の差を生んでいるのか、訓練を受けた人でないと分かりにくい。

最新の論文に乗っ取った治療というのは最高だ。たぶん最高なんだろう。 それでも、その治療の成果というのは「統計上有意」で あってもわずかで、他の科から見ると、どこが画期的なのかすらよく分からない。

最新の治療は最適なのか

進化が平衡期に入った医療の分野では、もはやそんなに画期的な進歩というのは望めない。 最新の治療は、旧来の治療法に比べてより生理的で、侵襲が少ない。 一方で、最新の治療というのはたいていはより煩雑で、 そのすばらしさが他科から理解されにくい。

現在の医療というものは、主治医が個人ですべてやることは少なくなっている。 患者さんが入院してから退院するまで、 実際に会うことはなくても、たいていの場合は複数の医師が方針決定に参加する。

各専門科の専門領域の最新の治療手技というものは、しばしばわかりにくい。

  • その治療が患者さんにとって本当に最高なのか。
  • 他科がやろうとしているほかの治療と、その最新の治療とはどうかち合うのか。
  • 急変した際、今までと違うこの治療では、何に気をつければいいのか。

新しいものには、先の展開の読めない要素が山ほどある。

複数の科が合同で治療するとき、そこには必ずコミュニケーションのコストが生じる。 最新の治療のメリットというものは、しばしばその高いコミュニケーションコストに相殺されてしまう。

特に患者さんが急変したときや、急性期疾患を扱うとき、 あるいは3科以上の専門家が議論しながら治療を 決定するときなどは、「見通しのいい古い治療」というもののメリットは、まだまだある。

鉄火場で役立つ古い道具

患者さんの呼吸が止まった。今まで作動していた機械が、なぜかトラブルを生じた。 医療機器の信頼性というのは相当高いが、それでも機械は故障するし、そもそも病人というものは、 故障した生体機械だ。現場では、想定外の混乱というものはいくらでもある。

混乱した現場では、たとえ正しいことを言っても、周囲がそれを理解してくれなければ話が進まない。

急変した患者さんをモニタリングするのに、分かりにくいけれど「正しい」パラメータを使うのか、 あるいは多少劣っていても、見通しのいいパラメータを使うのか。 鉄火場で正しいのは、古くて分かりやすいほうだ。

例えばETCO2やSvO2。血圧とか、脈拍数などよりも患者さんの状態を正確に把握し、またより正しい 治療方針を決定できるパラメータとしてよく紹介される。ICUではよく使う。

それでも、こうしたパラメーターを、たとえば救急外来の外傷患者のモニタリングに使うのは絶対無理だ。

外傷蘇生の現場では、とにかく血を止めて、血圧を上げた奴が正義だ。 本当は、血圧はそんなに上げすぎないほうがいいし、 輸液も輸血もそんなに入れないほうがいい。わずかだけれど、そのほうが予後がいい。 それでも、いくつもの科が集まって「お祭り騒ぎ」になっている現場では、 そういったことは口にしないほうがいい。

祭りの現場で重んじられるのは伝統だ。祭りの最中に「信仰とは何か」などと議論をはじめる奴は、 綿流しされても文句は言えない。

想定外の事態が起きた時には、一瞬思考が停止する。 再起動直後の人間は、過去に経験したことと同じ動きしかできない。 急変の現場では、その原因を考える時間すら惜しい。 鉄火場では、システム全体のの見通しをよくしておかないと、みんなが正しい動きができない。

人工呼吸器管理中の患者が何であれトラブッたら、とりあえず呼吸器を外して手動換気」 というのはICUの鉄則だが、 これもまた、手動の呼吸器という道具がもっとも単純で、「呼吸器をつながれた患者さん」 というシステム全体の見通しが良くなるからだ。

(以下、治療のカプセル化コンポーネント化は医者を幸せにするのか?という話題が続くはずでした…)