情報化はマンパワーの差を覆せるか

マンパワーの差を覆すには

厚みで押し切るのが好きだ。圧倒的な物量でもって、相手に止めを刺すまで追い詰めるのが好きだ。

大きさは力だ。マンパワーの乏しい組織、物量の乏しいチームというのは、 大きなチームにはかなわない。

対立するチームの規模が数人レベルならば、物量の差を覆すのは難しい。 医者という人種は、みんな一応は勉強している。 時々はとんでもないのもいるけれど、何年も病院内で生き残ってきた医者というのは、 その「」にはそんなに大きな差は無い。小さなチームと、大きなチーム。 人数の差はそのままチームの力の差となる。

ところが、チームの人数が大きくなってくると、「物量がすべて」という考えは通用しなくなってくる。

何かの問題で対立する組織の大きさが数百人規模、 例えば1日の外来患者さんと病院全体の組織、あるいは 病院ごとの勢力拡大競争といった大きな問題になってくると、 マンパワーだけでは「勝つ」ことが出来ない。

逆に、マンパワーを集めることが出来なくても、別の工夫をすることで、 相手の物量を覆すことが可能になるかもしれない。

鍵になるのは、コミュニケーションにかかるコストをいかに削減することができるかという問題だ。

比較的大きな病院組織の場合、その稼働率は85%程度が限界で、 その病院の持っているベッドを全て使い切ることなど、 まず出来ない。

病院内のベッドが85%埋まると、病院は実質機能しなくなる。 大きな病院では、医者同士、あるいは様々な職種と、 医師とのコミュニケーションにかかるコストが膨大になる。 このコストが、ベッド数で15%もの損失を生んでいる。

400床の病院であれば、通常は400人の入院患者さんを診察しきるだけのスタッフを雇っている。 コミュニケーションにかかるコストを削減できれば、現状のマンパワーのまま、 もう15%だけは医療組織の処理能力を引き上げることができるかもしれない。

現在の病院内の医者のネットワークというのは、原索動物の神経並に原始的なものだ。 みんな携帯電話を持っている。それでもまだまだ進歩が足りない。

  • 今現在病院内にはどんな病気の専門家がそろっているのか。
  • 誰の時間が空いていて、誰が今困っているのか。
  • 自分が今抱えている患者の問題に対して、その「解答」を知っている医師は誰なのか。

そういったことをリアルタイムで把握するシステムは、今のところ存在しない。

「今その瞬間」に医師が把握できる状況というのは、自分の周りのせいぜい10m程度の範囲だ。 遠くの人が何をやっているのか、そうした情報を把握する手段というのは実質存在しない。 現在の病院組織というところは、スタッフ一人一人がバラバラの細胞 の寄り集まりだ。それはまだまだ「組織」などという高尚なものにはなりえず、 単に人が群れているだけの状態だ。

神経細胞」に当たるものが存在しない以上、情報の伝達というのは、 「伝言ゲーム」の時代からなんの進歩もしていない。

病院のどこかで、患者が急変して困っている医者がいる。 そのとき同じ瞬間、この病院では10年目クラスの医者が数人、 次の検査前の待ち時間を医局でダラダラ過ごしている。 医療という仕事は、生き物相手だけに空き時間が多い。

医師同士のネットワーク化が進んで、こうしたベテラン医師の空き時間を有効利用できるならば、 同じマンパワーであっても、もうすこし病院の稼働率を上げられるかもしれない。

情報化した軍隊の話

戦国時代。1列に並んだ両群の大将が「突撃!!」の命令を下しても、 実際に突っ込んでいくのは大将の周りの兵隊だけだったのだそうだ。

無線機など無い時代では、隣の人が突撃するのを見て、 「突撃命令が下ったんだな」という情報が伝わっていく。 だから、せっかく1列に並んでいても、敵軍と衝突するのは大将以下の真中の部分だけ。 軍隊の両翼はまだまだ最前線に達しておらず、戦闘に入れない。

こうした状況は最近までほとんど変わっていない。 例えば戦車隊同士の争いなどが起こっても、実際の戦闘現場に駆けつけられる 戦車の数というのは、部隊全体のせいぜい半分なのだそうだ。 残りの半分は、突撃命令が出るのが遅れたり、あるいは 自分の現在位置の確認に手間取ったりして、結局戦闘には間に合わない。

自分と相手の部隊の総数が同じならば、もしも「突撃!」の命令直後、 全軍をその場所に突っ込めるのならば、2倍近い戦力差を ひっくり返せる可能性が出てくる。

軍隊を情報化する試みというのは、湾岸戦争の頃から活発になってきた。 具体的には以下のようなことをやったらしい。

  • 戦車や飛行機にGPSを載せて、現在位置をリアルタイムで確認できるようにした。
  • 兵士もお互い通信するようにした。友軍の残弾がどのくらいなのか、いま攻撃を受けているのかなどをお互い通信しあう。
  • 自分も本部も同じ情報を共有している。作戦の指令が出次第、自分たちが何をすればいいのかが分かる。
  • レーダー機を飛ばして、戦場の「丘の向こう側」の状況が地上からも分かるようにした。このため戦車部隊は、容易に相手の裏をかけるようになった。
  • 兵器もまた、通信系を作るようになった。攻撃する目標が3つ。こちらの飛行機が3機。以前なら、3機の飛行機は、それぞれが3つの目標を狙い。合計9発のミサイルが発射された。現在はお互いの飛行機が通信して、3つの目標に使うミサイルは3本だけ。

こうした通信システムを導入した米国の実験部隊は、本当に2倍近い戦力差をひっくり返したらしい。 もっとも使った機材は故障続出で、まだまだ未完成なものだったそうだが。

病院組織に神経系を実装する

人間の潜在能力というのは、本来の3割ぐらいしか使っていないらしい(北斗の拳の受け売り)。

これを常に全開にしたら発狂するのは目に見えているが、今の人的なネットワークというのは、 人の集団本来の能力の10%も引き出していない。

これを改良して、もう少し生理的なレベルに近づけるだけでも、 稼働率は現状の2倍か3倍だ。このぐらいまでなら、予算もマンパワーも 増すことなく、病院の患者処理能力を上昇できるかもしれない。

今の電子カルテは何の役にも立たない。あれは官僚の仕事が楽になるためのシステムで、 現場で働く人には何の恩恵も与えていない。 必要なのは、官僚の仕事が楽に出来るシステムなどではなく、 病院同士、スタッフ同士のコミュニケーションを円滑に行えるやりかただ。

重症病棟に意味はあるのか

ベッドの稼働率を上げるには、空きベッドをリアルタイムに把握できるようにするだけでは足りない。

病院のベッドというのは「○○病院」という1つの世界ではなく、実際の世界のように、そこには見えない「国境」がある。

小児科という国には内科の患者は入れないし、その逆も然り。「人種」ごとに入っていい国というものが 厳として存在する。国境を越えるためには、友人関係のような、 法律の裏をいくルートをたどらなくてはならない。

病院世界にはもう1つ、「患者重症度」という身分制度がある。内科・外科系のほとんどの患者さんは、「重症患者」という 身分で病院に入り、徐々に症状が軽症化して退院、あるいは「慢性期」というカテゴリーに入り、リハビリ棟に移っていく。

それぞれの重症度に応じて、入院できるベッドというのは決まってくる。重傷の人は軽症ベッドでは管理できないし、 あまりに軽症の人がICUに入ろうものなら、一晩中響くモニターの音で眠れない(慣れるとその音で落ち着けたりする)。

この過程は、生物でいうと摂食=>消化=>吸収=>排泄のようなサイクルに似ている。

小さな動物は、摂食から消化、排泄のサイクルが短い。逆に、大きな動物はこのサイクルが長い。

大きな動物は、消化に時間がかかる。大きな動物が、「腸」のどこかで便秘でもしようものならば、 その間「口」や「胃」に相当するベッドには患者を入れることが出来ない。ICUや重症病棟に入った患者は、軽症病棟に 空きベッドが出来ないと、病気がよくなっても軽症病棟に移れない。重症病棟は良くなった人でいっぱいになり、その間 病院は「満床」になる。

同じベッド数であっても、無数の小さな病院であれば、どこかの病院が渋滞しても、 他の病院がその機能を補間する。律速段階が生じないので効率がいい。 逆に、大きな病院1つであれば、どこかのサイクルに必ず律速段階ができる。 そこが渋滞すると、その地域のベッドの回転は致命的なダメージを受ける。

今の病院システムでは、患者さんの入院する病棟を移すためには、 その患者さんの「重症度」をどう判断するのか、 患者さんを送り出す側と受ける側とで、その認識が一致しないといけない。誰でも楽をしたいから、 患者さんを送り出す側はその人を「軽症である」と判断し、受け入れる側は「重症である」と判断しがちだ。

結果、病棟を移るときにはいつも揉める。病院の回転数は落ち、大きな病院はいつも満床だ。

もともと、重症度ごとに病棟を分けようという発想は、お上から落ちてきたものだ。 昔は40人医者がいれば、病院の中に40個の個人病院があるようなものだった。 自分の受け持ちがICUにはいれば、自分で診る。患者のリハビリも自分でやる。

一人の医者が重症を何人も抱えてドツボっているときは、他の医者が頑張る。 不公平感は、サボっていた医者を飲み会で潰して補う。乱暴だけれど、それなりにうまくいっていた。

そのうちに保険制度が改定される。救急加算。重症ベッド加算。療養型病棟。 こうした保険上の特典の導入は、 入院中の患者さんの中に必要のないカースト制をもたらした。

重症ベッドで重症患者さんを診るのは、 たしかに楽だ。それでも、今の制度はそれがもたらすメリットよりも、 手続きが増えた分の非効率のもたらす 悪影響のほうが上回っている気がする。

自転車操業の成り立たない組織なんて、どう考えても成り立たない。(きっとまだ続きます)