ベッドはどこへ消えた?

ベッドが足りない

医療はどんどん自由化している。大きな病院、救急を断れないような地域の市中病院というのは、 患者さんの疾患を限定できる専門施設に比べて不利だ。小さくて、小回りの効く施設は、 一番「美味しい」患者さんだけにサービスの対象を絞れるかなうわけがない。

地域の基幹病院。あるいは医療センター構想。あれは最悪だ。 どうやったって不十分なマンパワーしか集められるわけが 無いところに、絶対に逃れられない責任だけはきっちり押し付けられる。 医者は潰れる。自由競争の下、生き残っていく 病院の規模というのは、きっとだんだんと小さくなる。

重症の人。合併症の多い人。寝たきりの高齢者。 誰からも診てもらえない人、行き場の無い患者はこれからもっと増える。

お金は無い。これからもっと足りなくなる。ベッドも人も足りない。 これもまた、今後今以上に増えることも、たぶんありえない。

医療に対する需要はますます増える。それでもない袖は振れない。 需要にこたえるためには、今あるもので何とかするしかない。

稼働率85%の壁

地域の救急病院で研修をしていた頃、救急外来に来た患者さんは、たいてい入院になった。

外来婦長のところには、いつもその日のベッドの状況が報告される。数字の上では、たしかに病棟は 空いている。それでも入院が入らない。数字の上での空きベッドは、実際にその病棟に電話してみると、 なぜかたいてい埋まってしまっている。

病棟稼働率。書類に申請している総ベッド数と、現在使っているベッド数の比率を稼働率という。 これが100%に達したら、本当に満床。こうなったら、もう廊下に移動ベッドを並べるぐらいしか、 入院患者さんをとる方法は無い(本当にこうなったことはある)。

稼働率が100%以下ならば、病院内には絶対に空きベッドはある。 ところが、ベッドの稼働率が85%を超えたあたりから、 統計上のベッド数と、実際の「満床感」との間に差が出てくる。

稼働率が80%を超えてくると、空きベッドを探すのに1時間はかかる。 これが85%になると、空きベッドはまず見つからない。 どこの病棟からも、「取るのは無理です」の返事が返ってくる。

400床で15%の空きといえば、ベッド数で行けば60床。とても大きな数字だ。

現場の空気と、実際の数字との乖離。この幻の60床をめぐって、よく婦長さんと不毛な喧嘩になった。

15%のベッドはどこへ消えた?

ベッドは消えない。ただただコミュニケーションに消費される。

医者一人、ベッド数1の病院ならば、その気になれば常に満床だ。ベッドが空いたら、次の人が入院。 あるいは、次の人が入院するまで、前の人は入院続行。ベッドの裁量権は、常に一人の医者が決定する。

患者さんの都合はさておき、これならばベッドは常に使えるし、また常に稼働率を最大にキープできる。

ベッド数が2つ、医者が2人になったらどうなるだろうか?

2床しかないベッドに2人の患者を入院させようと 思ったら、相方の医者の意見を聞いてみないと分からない。 それでも直接コミュニケーションできるうちは まだ早い。医師が10人、20人と増えると、もはや直接的なコミュニケーションは 取れない。お互いそこまで 暇じゃない。検査もあれば外来もある。医者同士の連絡にはどうしても第3者の仲介が必要になる。 連絡は遅れ、患者さんの重症感、入院を決めた医師の必死さというものは、伝わりにくくなる。

400床の病院に、当時大体40人程度の医師。 どうしてもダブルブッキング、トリプルブッキングの問題が生じ、 そのうち病院内に「縄張り」が出来始めた。

専門病棟の誕生だ。 小児科病棟は、内科の患者はお断り。整形外科も 同様。「汚い」患者、寝たきりの年寄りの誤嚥性肺炎とか、 アルコール中毒とかは、混合病棟の奥に押し込められた。 そこはいつも満床だ。他の病棟に一般内科の患者さんをお願いしようと思ったら、 三顧の礼をもって他科に 頭を下げないと受けてくれない。それだけで1時間だ。 そのベッドは、内科から見れば、実質使い物にならない。 少なくとも、「公式な」ルートで入院をお願いしても、 「内科の患者さんは、うちの病棟ではちょっと…」。

100人がかりで1人を治せるか

一人の医者が一人の患者さんを治療する。何でもできる一人の医者が全部やる。この方法が、 本来もっとも効率がいい。

医者の数が2人になっただけでも、効率は劇的に低下する。 3時間待ちの3分診療の時代。1人の医者にかかるだけ ならば3時間3分ですむところが、大学病院で2人の医者にかかろうと思ったら、それだけで1日がかりになる。

人と人とのコミュニケーションのコストは馬鹿にならない。

同じ患者さんの治療についても、医者が変われば考え方も処方の方針も全く違う。 2人の医者が同時に患者さんに当たるわけには行かない。コミュニケーションは患者さんを介した 伝言ゲームの様相を呈し、かかる時間は2倍では効かない。

医者が増えれば、それだけ病気に関する知識は増える。いいアイデアが出る可能性も高くなるし、 正しい治療が行われる可能性も高くなる。

それでも多人数の医者による治療には限界がある。産科医10人がかりで妊婦さんを診察したところで、 妊娠期間が1ヶ月に短縮されるわけが無い。人数を集約すると、人が増えたせいで増える仕事の 割合がどんどん多くなる。

友人関係は効率の限界を超えられるか?

(某大学の総合診療部に移ることになって)まず最初の1年目にやらなくてはならない仕事は、 1000人の職員と握手することだと思っています

研修を受けた病院から大学の総合診療部に迎えられた先輩医師は、コミュニケーションの問題を 「全職員と友人になる」ことで越えようとしていた。その後どうなったのかは知らない。

紹介状や、婦長を介した連絡といった「公式な」ルートでは、 稼働率85%の壁を越えることは不可能に近い。 規則をいくら厳しくしようと、ルールはルールだ。 ルールを正しく適用する方法が考えやすいのと同じくらい、 ルールの抜け穴を探すのも簡単だ。人の集団をルールで縛るのは難しい。

規則を押し付けられるのではなく、それが友人からの頼まれごとであるならば、少々無理なお願いでも 通してしまうかもしれない。それでも「友人関係」というバイパス経路には無理がある。

  • 友人関係は腐る。何度も使うと、そのうち効かなくなる。
  • 友人関係の頼まれごとは断れない。特にベッドのための「人工の」友人関係ならば、1回断られたら、2度とそのルートを使えなくなる。
  • 行程が2を越えると、友人関係は有効にならない。「友達の友達」からの頼まれごとは、通常無視される。
  • 友人は時間が読めない。もともとがイレギュラーな頼みかただから、催促できない。催促すれば、最悪関係が壊れる。
  • 友人関係は、その維持にコストがかかる。これはホットラインだから、維持するためには使わないときも関係を絶やせない。恒温動物は素早く動けるが、エネルギー消費が多い。変温動物はその点、動かないときはエネルギーが要らない。友人関係でありつづれるには、常に一定のエネルギーが必要になる。

1000人の友人を持った医師は、もしかしたらスーパーマンのような活躍ができるかもしれない。

ところが、実世界で1000人の友人を持った医師は、その維持のために他の仕事が 出来なくなってしまう。ネットワークのハブにはなれても、臨床医にはなれなくなってしまう。 (そのうち続きます。)