医師の評価つき検索サイトの実現可能性

つながっていないものをつなげてみる

医師と患者はつながっていない。

患者さんの訴えるのは「症状」。医師が専門にするのは「病気」。そもそも目的が違う。

「あなたの症状は、私の専門から外れますね。」

患者さんの症状の原因が分からないとき、「原因は全然分かりません。すいません。」の代わりに医師が良く使う言葉だ。

総合病院に行けば、個人の病院よりは、症状の原因はわかるかもしれない。病気にも、パレートの法則は当てはまる。患者さんの症状の8割は、頻度の多いほうから2割の病名で説明がつく。

それなら総合病院をあと2割強化すれば、満足度100%か?

そううまくはいかない。外来患者さんの訴える症状の8割を診断し得たところで、残り2割の症状の需要を満たすには、残った8割の病気の専門家を連れてこなくてはならない。悪いことに、一つの症状の原因になる病気は、たいてい複数ある。総合病院を受診した患者さんの満足度というのは、8割どころか半分がいいところだ。

自分の「症状」の専門家はどこにいるのか。自分の住所にはどんな医師がいて、何が専門で、その評判はどうなのか。

市販されている「信頼できる病院ガイド」などは役に立たない。内容のほとんどは単なるちょうちん記事だし、ましてやその病院内の医師個人の得意分野、患者さんからの評判などは記載されない。そこを受診している人たちは「どう」感じているのか、どんな医師が人気があって、誰が人気が無いのか。

人間の検索というものが可能なら、情報は、細かければ細かいほど、有用性が高い。

患者さんの症状と、それに合致した専門を持った医師とを直接つなげられれば、患者さんの病院の選び方、医師のキャリアの積み方というのは一変するかもしれない。集団の中のロングテイルに相当する層、マイナーな疾患、複数の医師から「専門外」と逃げられるような症状を持った患者さんも、医者選びを妥協する必要は無くなる。医師も「どの分野を専攻するのが勝ちなのか」などといったくだらない価値観に縛られずに、本当に自分のやりたい分野に進めるようになる。

もともと、症状なんて全ての人で違って当然だ。今は、患者さんの症状に「正しく」対応した医師を探すコストが莫大だから、みんな総合病院に殺到して我慢している。医師もまた、人の集まるところにいないと、自分の力を出せる患者さんに出会えないから、大きな病院で薄給に甘んじている。

人と人とをつなぐコストがゼロに近くなれば、膨大な種類の小さなマーケットの集積はマスを越える。「勤務している病院」の良し悪しで無く、「個人のすごさ」が問われるようになれば、病院のブランド力というものは低下し、サービスのいい病院、実力あるスタッフをそろえた病院が成功する、もう少し健全な競争社会が訪れるかもしれない。医師の仕事に対する考えかたもまた、変わってくるだろう。

将来評価されるのは病院でなく医師個人

はてなブックマークが面白い。興味の持たれた記事は、数時間ごとにどんどん変わる。どのリンク先をたどっても外れが無く、いつも驚く。

ブックマークというのは、作者のページ全体でなく、面白い記事ごとに付けられる。どんなに面白いWEBにも、すばらしい記事とそうでないものとは存在する。はてなブックマークは、各エントリーごとに人気投票が行われ、面白い記事にのみリンクが張られる。作者としては寂しいけれど、読者としては無駄が無い。

うちのページにも、時々ブックマークをいただく。たまにすこし人気が出たりはするけれど、アクセスが上がるのはその記事のみ。ブックマークからジャンプしてきて、他のページを見ていく人は、ほとんどいない。

現在は、病院の中で働いている人の情報が極めて少ないから、患者さんは「病院全体」というブランドを信じて、中で働いているのはすばらしい医師ばかりだと信じるしかない。実際にはそんなことはあるわけないのに。

大きな病院というのは、たいていはアクセスが悪くて、待ち時間が長い。医師は皆忙しそうで、職員は無愛想だ。小さな病院にも、あるいは優れた医師はいるのかもしれない。症状によっては、大病院の医師よりも優れた医師も。それでも、情報が無い以上、ギャンブルは出来ない。大病院はいつでも人気があり、患者さんの待ち時間は増えつづける。

巷にもっと情報があふれたら、医師個人個人の情報が、もっと簡単に検索できたら、病院全体の評判は、今までとは大幅に変化するかもしれない。

医師の検索の実現可能性

自分の感じている症状の「専門家」はどこにいるのか。google などを調べても、ほしい情報はなかなか手に入らない。全日本レベルの権威が誰なのかは、結構簡単に見つかる。それでも、自分の住んでいる地域の医師で、他の患者さんの評判のよさそうな人を探そうと思っても、2ちゃんねるをしらみつぶしに探してみるぐらいしか、情報の手に入る当ては無さそうだ。その情報にしても、どこまで信憑性があるのか分かったもんじゃない。

医師を「検索」することは可能だろうか?

できる、と思う。

どこの病院でも、初診の患者さんには「問診票」という小さな紙を書いてもらう。はがき一枚分にもならない大きさ。字数にして、せいぜい100字といったところ。どんな症状があるのか、いつから出現しているのか、他の症状は無いのか、そんな内容。

問診表を見るだけでも、分かる人は診断名が分かる。そうでなくても「この人は自分でいける」「この人は分からないから他科へ」。「まじめに見ないとヤバそう」「流して大丈夫」。そんなことぐらいなら、かなりの正確さで分かる。もちろん間違いも多いけれど。

ここまでの過程は、たかだか100字のテキストの解釈だ。量も十分に少ないし、その短い病歴から、当てはまりそうな専門家を探すのは、十分可能だと思う。最初のうちは、「眠れない」の主訴は全例精神科に紹介されたり、「人前でドキドキする」という文章で心臓外科が紹介されるかもしれない。

それでも、最近のテキストフィルターは優秀だ。メールの内容を解析して、「迷惑メール」と判定されたものは、非常に効率よくはじかれる。メールクライアントのベイシアンフィルターを鍛える要領で、「循環器内科フィルター」、「耳鼻科フィルター」などを作ってやれば、入力された問診票は、そこそこ正確な答えにたどり着くのではないだろうか。

対応する医師のデータには、その所在と経歴データに加え、「胸痛」とか、「感染症」、「肺がん」などといった、得意分野のタグをつけていく。このタグは、患者さんも自由に追加できる。例えば誰かが「咳」の症状である医師に見てもらい、原因がすっきり分かってよくなったなら、たとえ心臓血管外科の医師であっても、その人には「咳」のタグがつく。

フィルターの精度を上げて、タグの数を増やしていけば、徐々にではあっても「正解」は見えてくると思う。

患者さんによる医師の評価

医師の経歴や肩書き、論文数や専門医の有無といった情報だけでは、その医師が「良い」医師なのかどうかを判断するには十分ではない。良い医師とは、つまるところは自分を気分よく治してくれる医師だ。その判断は本来、国や出版社ではなく、お客としてかかったことのある人が評価したデータのほうが、よっぽど役に立つ。

医師の検索サイトを作るには、国内の全医師のデータベースが必要になる。 このデータベースに患者さんの「感想」「評価」を一緒に掲載したり、あるいは検索エンジンのデータの重みづけのパラメーターとして、患者さんからの評価を入れたりすると、医師と患者のつながりというものは、ますます深くなる。

このシステムもまた、はてなブックマークのそれが参考になる。

患者さんからの否定的なコメントを受け入れると、たぶん大変なことになる。どろどろの中傷合戦にサイトの運営者が巻き込まれ、最悪カーネルごと巻き込んで落とされる。

評価のシステムは、肯定的なものだけに限定する。例えば、ある患者さんが一人の医師に入れられるポイントは、1ptのみ。気に入れば1pt、一緒にコメントも付記可能。一方、気に入らなければ、点数は無し、あるいは否定的なコメントとともに、1pt。

医師側は、コメントを自由に削除できるルールにする。ただし、否定的なコメントの削除とともに、その与えられたポイントも失ってしまう。

医師同士も、お互いに評価ができるシステムを導入する。

たとえ患者さんからの評判がきこえない医師でも、他の医師から信頼されている人はたくさんいる。医師の相互評価というのは、医師の「良さ」を評価するのに非常に重要なパラメーターだ。

これを検索結果に反映するため、医師が他の医師に与えたポイントというのは別に扱う。医師の与えたポイントは、患者さんの与えたポイントよりも、たとえば10倍とか、重みをつけて検索結果に反映する。

その代わり、医師が他の医師にポイントを与えられる数は、最大10人程度に限定する。もちろん誰にも与えなくてもかまわない。ポイントを与えられた医師は、誰がそのポイントをくれたのかは見ることが出来ない。たとえ10人の研修医を教えている偉い先生であっても、当然ポイント「0」ということもありうるわけだ。

内科の医師は、10年目で大体300人程度の「常連さん」を抱えている。このうち10%がこうした検索サイトの利用者になったとしても、医師が患者さんからもらえるポイントというのは、大体20ポイント程度。うまく広がれば、登録されている医師の誰もが「0」ということにはならないはずだ。

ポイントによる医師の査定システムの可能性

このあたりのポイントシステムがうまく回ると、医師-患者の関係というのは少しだけ変わる。

どの医師も、患者のほうを向かないで仕事をするわけには行かなくなる。ポイントの悪い医師というのは、「評判の悪い医師」の烙印を押される。患者さんから「ダメな医者」の烙印を押された医師は、どの検索ワードでも相手にされなくなる。

ポイント制度は、たとえば僻地の医師の応援にも使える。

僻地に踏みとどまって頑張っている医師に対して、その地域の住民は、ポイントを送ることで応援の意思を伝えることができる。

「応援なんてもらったって、人が足りていないんだから意味が無い」などという奴は、医師という生き物が分かっていない。見知らぬ人から誉められてうれしいか?うれしいんだこれが。そうじゃなければ、こんな商売続けていられるわけがない。

医師が転勤すれば、その地域の住人は、そのポイントを削除することもできる。医師の移動や転勤、開業や退職といったアクションごとに、その医師の評価というのは刻一刻と変わる。もちろんそのポイントの移動というのは、医師の行動に決定的な影響を与えるわけではないけれど、患者サイドからも医師の行動決定に参加できるというのは、心理的には大きいと思う。

ポイント制度というのはまた、地味だけど勉強熱心な医師、厳しいローテーション病院で踏みとどまっている医師、下級生に親切に指導をしてくれる上級生といった、医局制度の中では日陰に甘んじている医師に、光を当てるかもしれない。

医師同士のポイントというのは、病院長クラスの医師だろうと、研修医だろうと、同じ10人にしか与えられない。その贈与も剥奪も自由だ。お互い匿名だから、上級生がポイントの「上納」を強制するわけにもいかない。ドラマの「ドクターコトー」のような、本来絶対注目されない立場にある医師も、同僚の支持を集められれば、検索の上位に登場できる。

患者に迎合した医療はレベルが低いか?

こうしたポイント制による医師の査定が広まったら、医療のレベルは下がるだろうか?

熱が出たらすぐ抗生物質、痛みがあったら迷わず痛み止め。こうした「症状は取れるけれど間違っている」医療が広まり、従来型の正しい医療は廃れるだろうか?

そんなことは無いと思う。正しいことは廃れない。ただ、その「正しさ」を世間に向けて発信する義務が生じるだけだ。

今までだってそうだった。大体、痛み止めだけほしい患者さんに、説教だけして何も出さずに返したらその医者は今も昔も「ヤブ医者」だ。痛み止めを処方しないならなぜ処方しないのか、それを分かりやすく伝える能力無くして、「正しい」医療は行えない。

ルールを公正にするならば、医師のデータベースには、医師自身が記入できるスペースを設ければいい。このスペースで、自分の診療ポリシーや考えかた、実績などを語ってもらえるようにする。この部分だけでスペースが足りないならば、外部へのリンクも可能にしておく。自分が主張している「正しい」医療を広めたいなら、ここで発信すればいい。あるいは、外のWEBで自分の主張を発信して、検索サイト内の自分のデータへリンクを張っておけば、自分が診察していない人からも、賛同のポイントをもらえるかもしれない。

検索サイトの実現可能性

日本の医師の総数は、大体25万人。

この全員をリスト化して、タグ付けをして、実際に検索サイトを運営するのは可能だろうか。

医師の全氏名、勤務先を調べるのは比較的簡単だ。たいていの大学同窓会では、正当な手続きさえ踏めば、同窓会名簿の閲覧を許可してくれる。大体、同窓会名簿を公開している大学だってある。少なくとも、名簿図書館に行けば、同窓会名簿だろうが学会の名簿だろうが、たいていのものは手に入る。全リストを閲覧することは可能だ。お金はある程度かかるけど。

氏名のリストだけではまだまだ足りない。基本的な「タグ付け」だけは、主催者側がやらないといけない。

これをやるには、やはり google 様の力を借りる以外ないだろう。バイトを10人程度、1ヶ月缶詰にして、日本中の病院という病院を調べる。そこに書いてある、医師の公開プロフィールをひたすらカットアンドペースト。手軽なデータベースとしては、「医学中央雑誌」のCDは、個人情報の宝庫だ。その医師の所属病院、発表症例や記載論文、すべてデータ化されたものが、毎年発売されている。

医師国家試験受験のとき、当時の同窓生約1000人ぐらいの現住所を調べたとき、電話と手紙だけで1000人調べて、1ヶ月かからなかった。今なら格段に便利なはず。10万人ぐらいなら、気合さえあれば(たぶん)何とかなる。腱鞘炎必発だろうけれど…。

とにかくデータをデータとして打ち込んで、あとは所属学会名や専門分野といった単語を、「タグ」に変換していく。はてなブックマークは、半自動でこれをやっている。同じことはできるはず。

客は集まるか?

患者さんの検索サイト、検索だけなら個人情報の入力無し、もちろん使用料金一切無しなら、そこそこには活用されそうな気がする。大体、一人の医師に「つく」患者数は、200人から1000人の間。そのうち1%が利用をはじめてくれても、たぶん全国で100万人に近い数字の人が利用してくれる(はず)。

問題なのは、医師のランクづけや、タグの改定をやってくれるユーザーがどのぐらい増えるかどうか。これが増えないとサイトが盛り上がらないし、データベース管理の人的負担が、いつまでも管理者から減っていかない。

どこから収益を得るのか?

利用する患者さん、あるいは情報を載せられる医師からは、たぶん一切料金を取れないだろう。もしも検索サイトがメジャーなサービスになったところで、医師から料金を取って、検索の順位の重み付けを変えたりしたら、そのサイトは信用を失ってしまう。

収益を上げるとしたら、可能性の一つは日本中の全医師の人気ランキング票を有償で閲覧させることだろう。医師一人一人の情報というものは、検索すれば発見可能。ただし、横断的な情報は有償にする。

同様に、その医師が患者さんから「どう」思われているのか、その医師の「専門分野」になっている検索ワードには、どんな競合者がいるのかといった医師の自己診断を有償でサービスすれば、あるいはお金を払う人も出てくるかもしれない。

問題点は?

医師を「本物の医師だ」と認定するための、何らかのシステムを造る必要がある。このポイント制度だと、第三者がある医師の名前をかたって成りすましを行った場合、順位がめちゃくちゃになる。データベースに名前の載った医師だって、誰もがこんなポイントを気にして、自分の名前を見るわけじゃない。

患者さんサイドのコメントスクラムが生じた場合も、問題になる。患者さん一人で複数の氏名を語られると、やはり順位づけは混乱するだろう。こちらは、メンバー登録時に捨てアドを禁止するだけで、ある程度の抑止力になると思うのだが。

無謀な考えか?

そう思う人はエンジニアという職業を理解していない。

キリスト教の聖職者、弁護士とエンジニアが断頭台にかけられようとしていた。聖職者は頭を台の上に乗せ、ギロチンのロープがひっぱられたが、何も起きなかった。聖職者は、神の調停により救われたのだと宣言し、彼は釈放された。

次に弁護士が台の上に頭を乗せ、またもロープは刃を落とさなかった。弁護士は、同じ罪で2回も死刑になることはできないと主張し、釈放された。

エンジニアがひっぱられ、頭が断頭台におしつけられた。エンジニアはギロチンの刃を落とす機構を見上げて言った。 「ちょいまち、どこが壊れてるのかわかったぞ」

実現可能性があれば核兵器でも作る。出来上がったものは、たとえ世界が滅ぶような代物であろうと、「とりあえずスイッチを押してみる」のが技術者だ。

それぞれの医師個人に対するブックマーク。個人情報保護の問題。コメントスクラムの問題等いろいろ出てくるだろうが、うまくいけば、医師は今まで以上に気を付けて患者と接するだろう。

その医者の商品価値というものが、「消費者の集団知」により査定されるようになる。

ありものの技術の組み合わせで、医療の世界が一変する可能性。

こんなに面白いことなんて、そうはないじゃないか。