勝利条件は何なのか

強いだけでは競争に勝てない

豊富な資金、莫大なマンパワーや技術。何かの競争をするときには、こうしたものはとても大きな武器になるけれど、勝負はそれだけでは勝てない。

勝負には、必ずルールがあり、ルールごとに勝利の条件というものが違う。 勝利の条件が何なのか、それを満たすためには何をするのかが最適なのかが決定できれば、 勝負の最適戦略というものが決定できる。

勝負事は、明確な目標に最適な戦略というものが加わって、初めて確実な勝利が手に入る。「実力」などというものは、勝負に勝つための必要条件ではあっても、十分条件にはなりえない。

負けるけど勝つ戦略

1995年のアメリカズカップ(150年以上続くヨットレースの最高峰)、日本は優勝候補とも言われながら敗退した。 当時の日本の造船技術は世界最高クラス。ニッポンチャレンジの資金力もまた、参加国の中で もっとも強力だった。 前回参加時の成績と経験。豊富な資金力と技術力。こうしたものを持ち合わせていながら、1995年の 日本はセミファイナルで11戦全敗し、この年の勝負を終えている。

日本はなぜ負けたのか。クルーの問題、艇の設計のミスなどいろいろ言われているが、 敗因として挙げられていた中で面白いと思ったのは、日本のチームは、アメリカズカップの 勝利条件を読み間違えていたという指摘だ。

この年に優勝したニュージーランドブラックマジックは、非常に極端な設計思想の船だった。 特定の気候条件ならば、他の船に大差をつけて勝利する。一方で、その操縦性は悪く、 平均すると、必ずしも「早い」船ではなかったという。

日本のシンジケートの持ち込んだ船は、どんな気候条件でも早い、操縦性に優れた船だった。 この艇は、どんな条件でも他の船に遅れをとることがない。ところが、 負けない船は必ずしも勝つ船ではなかったという。

アメリカズカップのルールでは、勝てる勝負を絶対に勝たないと、優勝できない。

動力に「風」という不安定なものしか使えないヨットレースでは、「負けるけど勝つ」艇でないと、 他の船に差をつけることが出来ない。ニッポンチャレンジの艇は優等生過ぎて、 「負けないけど勝てない」船に仕上がっていた。

「負けない」船では相手との差がつかない。僅差になると、挑戦2回目という日本のクルーの弱点が出てしまう。結果として、日本は全ての勝負を僅差で落とし、敗退してしまった。

同じような例でよく引き合いに出されるのは、F1グランプリだ。これもまた、負けるけれど勝つ設計 の車でないと、勝負にならない。グランプリは、上位6位以内に入らないと、ポイントがつかない。 7位以降は、リタイアしてもポイント0という意味では同じ。このため、「優勝するか、リタイアか」 という車のほうが、必ず完走するけれど勝てない車よりも、絶対に強い。

負けないことが大切な場合

逆に、「負けない」ことを第一優先にしないと勝負に勝てない場合もある。

第2次世界大戦当初、世界を席巻したゼロ戦は、向かうところ敵無しだった。 非力なエンジンにもかかわらず、限界まで軽量化した機体は運動能力に優れ、 ベテランパイロットが操縦したゼロ戦は、大活躍した。 ところが、どんなベテランであっても、一定の確率で被弾する。防御の弱いゼロ戦は、 被弾が致命的となることが多く、ベテランパイロットが多く亡くなってしまった大戦末期には、 ゼロ戦が活躍できる場面はほとんど無くなってしまった。

アメリカの戦闘機は、ゼロ戦とは逆の設計思想だったらしい。鈍重で、大きな機体を、 強馬力のエンジンで駆動する。今のアメ車のような戦闘機。

大きな機体というのは、弾があたっても落ちにくく、また製造がしやすい。

戦争という消耗戦では、戦争が終わったときに生き残っている兵士が多いほうの国が「勝者」になる。勝利条件は、とにかく生き延びることだ。

ベテランの生還率が高く、また補給が容易な戦闘機というのは、消耗戦が続く場面では 強みになる。開戦当初は押されていても、相手の体力がなくなってくる後半戦では、 「負けない」戦略が有利になってくる。

生態系での最適戦略

自然界での生存競争というのは、延々と繰り返す勝負に、さらに「相手と協調する」という 選択肢が加わる。

相手を裏切れば自分が得をするが、今度は相手に裏切られるかもしれない。お互い協調すれば 安心だが、今度は利益を独り占めできない。

こんなルールを延々繰り返し、一番多くのポイントを稼いだ種が勝者だ。

こうした「囚人のジレンマ」ルールでは、どんな戦略が最適なのか。

アクセルロッドの行った「繰り返し囚人のジレンマ」実験は、生態系の生存戦略の最適解に答えを出している。

アクセルロッドは、コンピューターシミュレーションでの「囚人のジレンマ」ゲームのコンテストを行い、世界中のゲーム理論家から戦略を募った。第1回目のトーナメントでは15戦略、第2回目のトーナメントでは63戦略がエントリーし、どんな戦略がもっとも有効なのかを競い合った。

この2回のトーナメントを勝ち抜けたのは、「しっぺ返し戦略」と呼ばれる方法論だった。この戦略は簡単で、最初は「協調」し、以降は前回相手の出した手をそのまま出すというもの。

この戦略は、最初に裏切られれば100%負ける。しかし、このゲームのルールは「再戦」があるので、ゲームの中で稼げる総ポイント数は多くなる。

いろいろな戦略を、総当たりで1対1対戦をしてみると、「しっぺがえし戦略」は、他の多くの戦略に対して「大きくは負けず」、「平均すれば最も多いポイントを稼ぐ」ため、最終的には勝利する。

興味深いのは、しっぺ返し戦略は直接対戦では他の戦略に一度も勝てなかったのに、「総合得点」では1位になったことだ。

生態系での生存競争に近いルールでは、その場の「勝負に勝つ」ことすら、生存競争に打ち勝つためにはそんなに大事ではない。

協調が可能なルールの元では、全ての種が自分の生存を追及した結果、結局は協調行動を選んだ種が支配的になる。このシミュレーションの結果は、自然界で見られる他種どうしの協調行動を説明するモデルとして、しばしば用いられている。

医療現場での戦略

我々の業界でも、戦略が予後を左右する。

病名が決まれば治療は同じ。教科書ではそうだ。それでも、現場ではやはり「戦略」の優劣は予後を左右し、「うまい」医者と「下手な」医者の差というのは、厳として存在する。

病気の治療というルールには、再戦という概念も無ければ、病気と協調するという概念も無い。どちらかというとスポーツのルールに近く、勝負は常に1回だ。

細かいルールは、病気ごとに全て違う。

  • ある病気では、大差をつけて勝たないと、「勝利」と認定されない。
  • 別の病気では、たとえば半年の勝負で最終的に51対49でも、ポイントが多いほうが「勝者」だ。

勝利目標が「大差をつけること」ならば、どこかでギャンブルに出ないと絶対に勝てない。敗血症の治療などがそうだ。一刻も早く、ためらい無く抗生物質を落とさないと、勝負はどんどん不利になる。

一方、勝負のゴールが「僅差で勝つ」ことならば、物量の投入が必須になる。持久戦で勝負するには、どちらがより多くの「物量」を持っているのかが勝負の全てだ。例えば劇症型心筋炎。どこまで「えげつない」治療をためらい無く継続できるか。主治医の心が折れたらそのときが負けだ。頑張っても非常に厳しいけれど。

同じ病名、同じ薬を用いるときでさえ、その戦略が異なるときもある。たとえば抗がん剤による化学療法は、従来型の「攻め」の治療法とは別に、「守り」の戦略というものが考えられている。

従来「攻め」の戦略

抗がん剤が腫瘍細胞と正常細胞とを見分けているのは、その分裂速度だけだ。正常細胞であっても、白血球や毛髪といった分裂の早い細胞は、抗がん剤の悪影響を受ける。抗がん剤を使っている限り、こうした副作用はどうしても見られるし、抗がん剤を大量に用いれば、腫瘍は無くなっても白血球もいなくなる。

従来型の抗がん剤治療というのは、治療の目標を「腫瘍のせん滅」に置く。腫瘍を消すための抗がん剤の濃度というのは、大体決まっている。治療戦略の最適化の目標は、いかに副作用を少なく、抗がん剤血中濃度を上昇できるのか。いろいろな治療戦略が考えられてきたが、作用と副作用、どうしてもその間にはギャンブル的な要素がある。なかなかブレイクスルーが出ない。

「守り」に重点をおいた腫瘍治療

一方、同じ抗がん剤を使った腫瘍治療でも、その治療の目標を「腫瘍のせん滅」ではなく、「腫瘍の成長阻止」におく考え方が生まれてきている。

たとえ癌細胞が体の中にあっても、成長しなければ生体は死なない。腫瘍をせん滅するのに必要な抗がん剤の量は大量だが、成長を抑えるために必要な抗がん剤は少量で済む。この考え方から生まれた治療戦略は、抗がん剤を少量ずつ、長期間(生きている間ずっと)にわたって投与する。

この考え方で抗がん剤を使うと、薬剤は腫瘍そのものではなく、腫瘍が作る栄養血管に対して効く。血管の細胞は正常細胞だから、癌細胞よりよっぽど薬が良く効くし、耐性もつきにくいらしい。

こうした方法は、従来とは治療の目標自体が違うので、以前のものさしではその優劣が判断できない。従来流の治療戦略は、その効果の評価に「腫瘍がどれだけ小さくなったか」を使う。「守り」の方法論で抗がん剤を使っても、腫瘍は小さくならない。この方法は、「攻める」発想から見れば、効果の無い治療だ。

でも患者は死なずに長生きする。僅差の判定勝ちを拾いに行く治療戦略だ。

まだまだマイナー(私が不勉強なだけか?)な方法論だけれど、考えていることは「正解」に近い気がする。サリドマイドが多発性骨髄腫に効果があった、というNEJMのペーパーあたりから、こうした方法は徐々に取り上げられるようになってきている。

目標の無い戦略はありえない

「勝つ」にはどうすればいいのか。どういう戦略を取るのがもっとも正しい方法なのか。

多科にまたがる複雑な疾患の患者さんの治療方針を合議で決定するとき、ドツボにはまるのが 「誰も目標を示せない」という事態だ。

この患者さんの治療目標というのは、「どんなに侵襲的なことをやっても、とにかく生かす」なのか、 「いい人生だった。といって安らかに見送る」のが目標なのか、治療する科が複数になると、 このあたりが見えなくなってくる。

誰もがゴールを決められないとき、それぞれの専門家は、お互い勝手に「最適化」をはじめる。

外科は「自分たちが最適と思う」手術を行い、それは内科から見れば必要な手技が行われていなかったり、逆に過度に侵襲的なものであったり。内科は内科で、外科から見れば不本意な透析を勝手にオーダーしてみたり、いつのまにか山のような内服薬を処方していたり。

誰もが勝手に最適化をはじめると、総合的な治療戦略はめちゃくちゃになる。船頭が多くなると、船はどこに流れるか分からない。誰もが勝手に舵を切り始めた「船」の行き場は、たいていは黄泉の国だ。

  • 「勝ちに行く」なら、徹底して勝てる治療を考える。「守りに入る」なら、たとえば7日間守れれば、その間に白血球数を増加できるとか、ガンマグロブリンが効いて来るとか、待つための明確な目標を定める。
  • 攻めるなら、いらないものは徹底して捨てる。一方守るなら、とにかく物量を投入できるよう、最大限の準備をしないと持久戦で負ける。

このあたりの目標設定をちゃんとやらないと、正しい戦略というのは絶対に生まれてこない。研修医の頃は、患者オーダーの欄に「作戦」という項目を書くよう教育された。EBMに基づいたガイドラインとかいう狂った宗教が日本を席巻してから、病名が決まれば、作戦は自動的に決まるようになり、医者は戦略というものを決定できなくなった。

集団戦をやるときは、誰か一人、声の大きな医者が統率しないと、専門家の集団による治療というのはその力を発揮できない。

目標のない最適化、中途半端な戦略というのは、きっとお互いを不幸にする。