子を奪われた母は子に奪われる

子供は親のすねをかじる。だらしのない子供は、大きくなってもかじりつづける。気合の入った子供は、皮膚を食い破り、筋を貪り、骨を割って骨髄まで啜る。

南の島では、戦争で子供を亡くした親御さんには、毎年終戦記念日になると見舞金が配られるのだそうだ。

戦争で亡くした子供の人数あたり、大体100万円前後らしい。

もともと助成金がなければ誰も住まないようなところ。島に産業と呼べるものは、道路整備や土木関係しかないので、成人した子供は親を捨て、本土の都会へと出かける。本土に向かった子供の全てが成功するわけも無く、金銭的に切羽詰った子供は、親のもとに送られてくるお金のことを思い出す。

島で医者をやっていた頃(大体10年ぐらい前)。毎年この時期になると、路上に老人が放り出された。

夜になると、島を救急車がパトロールして、行き場のない年寄りを、病院に連れてくる。

この時期になると、急に増える親の貯金を奪いに、関西の都会から子供が島に帰ってくる。なけなしの貯金を守るため、子供と親とは喧嘩になり、体力的に不利な親は路上に放り出される。子供が貯金を全額見つけ出すまで、もう自分の家には入れてもらえない。その間、親は病院で預かる。

子供が本土に帰る頃、訪問看護の人と一緒に家に戻った老親は、めちゃくちゃにされた自分の部屋を見て、黙って泣くのだそうだ。

島の年寄りの暮らしは厳しい。

島全体が高齢化しているので、もうお互いに助け合うのも難しい。そろそろ一人暮らしは難しいから、ホームへ入所を、と水を向けると、結構簡単に同意してくれる。

幸い生活保護の申請は簡単に通るので、経済的な問題は解決。後は子供の同意だけ…という段になると、件の子供に電話をして同意を取り付ける必要が出てくる。

そのときに「YES」という返事がもらえることは、めったに無い。

ホームに入所するとき、島に身内がいない人だと、後見人が必要になる。慰霊金は、この人の管理に入ってしまい、子供はお金を奪いに行けなくなる。生保も同様。結局、実の子供の同意が得られないまま、年よりは不便な一人暮らしを強いられる。

親孝行な子供を持った親も悲惨だ。

老親と一緒に暮らす、「親孝行な」一家では、今度は親の年金が一家の主要な収入源になる。

仕事の無い島、道路工事が一段落つくと、もう働き口など残っていない。親が寝たきりになろうが、ものを言わなくなろうが、その人、あるいは「それ」が死んでしまうと、もう家族の収入が亡くなってしまう。

誤嚥を防ぐための胃瘻、オムツかぶれを防ぐための人工肛門、膀胱婁、ペースメーカー。生き物の摂食と排泄のための穴が、全て同一平面状に集まった寝たきり年寄りは、「ここまでやるか」というぐらいのケアを受けながら、毎月十数万円のお金を稼ぎ出す。

お金は人を豊かにするけれど、お金の無い状態は、簡単に人を鬼にする。