変えないことが武器になる

そのイノベーションは望まれているのか

新しい手術方法、新しい処方。クリニカルパス電子カルテ。病院は、毎日進歩している。

どんな進歩も「患者さんのため」。業界でもっともいかがわしいお題目は、ここでも大活躍だ。

変化を許容できない個人や組織は、やがて淘汰される。

「同じ所にとどまろうと思うなら、全速力で走りつづけなさい」

赤の女王だってそう言っている。全てのものが、その場にとどまるために全速力で走り続ける現代社会。進化を継続しつづけていかなければ、競合者においていかれる。

より侵襲の少ない手術方法。より効果の期待できる処方。より効率的で、「患者さんのためになる」様々な方法論。こうしたものは、病院がその競合者に競り勝っていくための有効な武器になる。

では、そうした進化を望んでいるのは誰だろうか?

病院の「中の人」は進化など望んでいない。みんな力を抜いてラクしたい。タダでさえ忙しい日常、電子カルテなんて、もう迷惑そのもの。システムのAdmin権限が手に入ったら、すぐにでもデータごと消去してやるのに。

進化の受益者たる患者さんはどうか?この人たちもまた、「進化」なんか望んでいない。患者さんが望んでいるのは、病気が良くなることだ。その方法が「進化」しようがしまいが、直るなら何でも支持するし、そうでないなら興味がない。

進化はリスクを伴う

方法論を進化させる、あるいは新しい薬を用いるということは、今までのやり方を捨てること、未知の領域に足を踏み出すということだ。

進化には、常にリスクが付きまとう。

進化することで、動物は変化する環境に対応する。進化できなかった生き物は、淘汰される。進化した生き物は栄える。一方で、進化の結果滅んだ生き物も、また多数存在する。

それでも生き物はリスクをとって生き延びる。動物と環境、お互いの関係は、進化論の時間軸では、刻一刻と変化する。今うまくいっているからといって、それを続けるだけでは絶滅する。気候が変われば、あるいは植生が変われば、その環境で最適な戦略はどんどん変わる。

製造業の業界では、毎日のように業務の改善を行う。少しでもムダを取るように、同業他社との競争に打ち勝つためには、常に進化を続けなくてはならない。

こうした「改善」の結果、製造業の業界では、しばしばエラーが生じる。日々の進化はエラーの増加を招く。進化のスピードが速ければ、それだけエラーの割合も高くなり、システムの信頼性は落ちる。

エラーの確率が、サービスの受け手の許容範囲内であったとき、そのシステムの進化は受容される。進化に伴い、一時はエラーが増えるかもしれないが、それに伴う競争力の増加、サービスの向上というのは、そのリスクを補って十分に余りある。進化を続けるシステムには支持が集まり、企業は栄える。

人間社会では、サービスを提供する企業と、それを受け取る顧客との関係は、毎日のように変化する。進化に伴うリスクは、種の生存には欠かせないものとして受容される。

「変わらない」ことが武器になるとき

業界全体が成長を志向しているとき、進化というのは歓迎される。一方、サービスの受け手がそうした成長を行わないか、望まないとき、サービスの提供者が一方的に「成長」しても、誰も喜ばない。

動物の進化の時間軸というのは、数千万年単位だ。一方で、社会の変化、あるいは経済の変化のスケールは数年単位。その時間軸は全く違う。医療を取り巻く環境がどんなに変わっても、医療の受益者は常に人間。社会や経済の変化のスケールから見れば、人体など全く静止しているに等しい存在だ。

静止している者は、維持を望むことはあっても成長は望まない。ほしいのは成功するための方法ではなく、失敗しないための方法だ。相手が変化しないなら、「上手くいっているものは変えない」という方法論も「あり」になる。

イノベーションが歓迎されるためには、エラーが受容されなくてはならない。

絶対に成功することが義務づけられた業界では、変化は歓迎されない。むしろ変化をしないことが信頼性を高める可能性がある。顧客の成功要求が高まってくると、進化によるサービスの向上よりも、その進化に伴うリスクの増加のほうが問題視されるようになる。

例えば、ロケットの業界がそうだ。打ち上げに失敗すれば、人は亡くなるし国の面子も潰れる。ロケット打ち上げというシステムに対する信頼性には「絶対」が要求される。

ロケット工学の世界というのは、通常の企業のそれとは全く違った方法論を取る。

信頼性の高さで評価されているロシアのロケットは、ここ20年の間、設計を変えていないらしい。基本設計を変えていないというレベルでなく、それこそロケットの性能には影響しないようなボルト一本の規格に至るまで、何も変えないらしい。

NASAスペースシャトルにしても同様、一時、スペースシャトルの部品が形式が古すぎて製造中止になってしまったというニュースが流れたが、あれもまた、新しい部品を使わない設計方針のためだ。

信頼性を高めるための設計には、常に一世代前のもの、「枯れた」部品や方法論が使われる。

部品や方法論は日々改良され、進化する。コスト的にも、性能的にも、新しいもののほうが有利だ。新しいものに対する古いもののアドバンテージは、その部品が過去に「使われてきた」という事実、信頼性が高いということだ。

旧態依然としたものとして語られている方法論や、技術といったものも、信頼性に対する需要が極端に増して来ると、今度はその古さがメリットとして語られる。要求される成功率が「絶対」に近づくと、こうした価値観の逆転が起こる。

医療はまだまだ発展途上で、技術的に「枯れた」といえるほどの進歩を遂げた分野はごく一部だけれど、それでも一部の分野はすでに「枯れた」技術の世界に入ってきている。いずれにせよ、闇雲な改良や合理化は、ろくな結果を生まない。

デッドコピーの大切さ

古い世代から受け継いだ技術や方法論は、往々にして古臭く、鈍重に見える。野心ある若手には、上の人たちの古臭いやりかたが醜く写る。いろいろなものが「進化」し、その進化が失敗するときは、たいていこうした若手の暴走や妄想がきっかけになる。

海外のいろいろな技術を輸入して、それを改良するのは日本のお家芸と言われているけれど、ほんの40年程前までは、そんなことは全然無かった。

自分の父親は大学の技術者だったけれど、若手だった頃に最初にやらされたことは、海外から輸入した工作機械のデッドコピーだったそうだ。

まだまだ海外製品のほうが圧倒的に優秀だった頃、日本の技術者はそれをコピーする以外に工作機械を作る術を持たなかった。実際に機械を部品単位までばらしてみると、当時若かった大学技術者達には、その設計の中に「不合理」に見える部分がいくつもあったそうだ。 若手としてはそれを「改良」する。で、基本設計は海外メーカー、それに日本の技術者の「改良」が加わった工作機械は、見事に動かなかったそうだ。

一見不合理に見える設計、改良の余地があるように見える部品というものにも、それを「改善」しようとして失敗して、初めて見えてくる「合理性」がある。

うまくいっているものが「なぜ」うまくいっているのか、それを学ぶのは非常に難しい。

現在うまくいっているものというのは、過去に失敗を繰り返して、「ダメ出し」が済んでいるからうまくいく。うまくいっている原因を調べようと思ったら、その失敗の歴史を振り返る以外に無い。手痛い失敗の黒歴史は往々にして隠され、またそれを知るベテランは引退していく。技術は受け継がれず、若手はうまくいっているシステムを「改良」して、また失敗の歴史は繰り返す。

ある薬の話

最近、某社の注射薬の剤形が変更になった。

今までのものは、1アンプルの大きさが20ml。20mlというと、病院で使う分には結構大きなサイズだ。もともとは脳梗塞に使ったりする薬なので、患者さんには1日6アンプルぐらい使う。両手で持てるギリギリのガラスアンプルの山はたしかに危なく、また良く割れた。

これが最近改良され、1アンプルあたりの薬用量は変わらず、アンプルの大きさが2mlになった。薬の濃度は、実に10倍だ。

今までの大きなアンプルは、実は結構便利な面もあった。この薬を6アンプル、大塚の5%ブドウ糖水の250mlボトルにめいっぱい詰め込むと、ボトルの中の空気を抜くと、ぎりぎり全容量が入る。もう1mlたりとも余計には入らないので、量の間違いが絶対に起こらない

脳梗塞の薬は、量を間違えると効果が無かったり、最悪脳出血を招いてしまい、薬の中でも事故のリスクが高い。

今まで発売されていた大きなガラスアンプルは、「絶対に量を間違えようが無い」という、極めて優れた長所を持っていた。今回の改良で、この巨大アンプルのメリットは失われた。アンプルは小さくなった。小さなアンプルの注射薬は、病院内にはいくらでも転がっている。こいつは危ない。見た目が同じアンプルなど7つでも8つでも指摘できる。間違えやすく、それでいて濃度10倍。

同じ間違えた薬を静注するにしても、20mlならばちょっとした覚悟がいる。静注する前に、本当にそれでいいのか、ラベルぐらい確かめる。注射薬の量と、打つときの覚悟は逆比例する。2mlアンプルなら、「間違えてちょっと静注しちゃいました」はいくらでも起こりうる。

患者は進化など望んでいない。我々もまた、こうした進化なんか望んでいなかった。

ただただ長生きしたい。地雷を踏まずに定年まで仕事をしたい。それだけなんだ。

コンポーネントの流用は信頼性と進化を両立させるかもしれない

それでも社会は変化する。顧客の要求は、毎日のように変化する。信頼性の高いシステムも、時代の流れはその鈍重さをあげつらい、競争力を失ってしまう。かといって、下手に「進化」すれば、今度は致命的なエラーの発生が恐ろしい。

信頼性と柔軟性、この両者の両立をはかるには、「ありものの技術の組み合わせ」というのが鍵になるかもしれない。

スペースシャトルは、その莫大なコスト、有人飛行に対する需要の低下といった時代の流れに取り残され、淘汰されようとしている。

NASAが次の世代のスペースシャトルとして考慮中のものは、現在のシャトルコンポーネントを流用している。

NASAの新型CEV発射ロケットはスペースシャトルの構成部品を最大限使用する

まずCEVだが、完全使い捨て物資専用宇宙船の先端に4縲鰀6名が搭乗出来る小型の人員輸送専用の宇宙船がドッキングされたユニット・システムで帰還時には人員輸送専用宇宙船だけが大気圏突入しパラシュート降下する。 (中略)NASAの計画を見る限り一番有力なのが、これまでのシャトルの位置に新型CEVを搭載した案。ET(外部燃料タンク)の下部にシャトルのメインエンジン(SSME)を4基配置し、さらにETの上部に第二段目として「サターンV」ロケットの第2段、第3段に使用された「J-2S LOX/LH2エンジン」が搭載され、CEVを打ち上げる。 NASAの憂鬱より引用

新型ロケットとは言っても、70年代のロケットの部品の寄せ集め。その代わり開発期間は短縮され、以前から用いられている技術の信頼性は引き継がれる。

NASAの新型ロケットは、あえて古い部品を多数流用することで、システム全体の信頼性を落とすことなく、時代のニーズに合わせたシステムへの進化をはかっているように見える。

ロケット業界では、「うまくいっているものは変えない」のが原則だが、シャトルは幸い、ロケット全体が、分割可能な設計になっていた。このため、システム全体がいくつかのコンポーネントとして独立しており、その流用が簡単だった。

今うまくいっているシステムというのも、いつかは時代に取り残される。うまくいっているうちに、それがなぜうまくいっているのか、そのシステムが、どこでコンポーネントに分割できるのかを考えておくと、イノベーションと信頼性の両立が可能かもしれない。

古い割にうまくいっているシステムには、宝の山が眠っている。

追記:「変革によるデメリットは確定的で、変革によるメリットは不確定である」って事だ。