個人の選択は社会を変える

一人の決断、あるいは少数のグループの決断は世界を動かす。

救世主ものの漫画(北斗の拳とか、風の谷のナウシカとか…)ではあるまいし、実世界でそんなことがおきることはめったに無い。社会的な地位の高い人、あるいは政治力の強い人なら社会全体に強い影響を与えることができるかもしれない。それでも、そういった人の決断にはいろいろな人の思惑が絡む。たった一人の決断が世界を動かすというのとは、また少し違う。

ある特定の条件のもとでなら、今まで普通に暮らしてきた個人、あるいはグループが、突然社会全体を大きく動かす決定権を持ちうる。

世界の片隅で発生した「噂話」や「祭り」のような小規模なものが、突然何かのきっかけで雪だるま式に大きくなり、世界を席巻する。過去に何回か発生したバブル経済、世界的にヒットした商品などは、こうした広がりかたをした。

世界に参加した全ての人が、一定のプレッシャーの中で右往左往している状況。そして、情報の伝達速度がやたらと速い。こうした条件がそろうと、どんなに些細な行動でも、世界全体の行動に影響を与える可能性が出てくる。

来年度に進路選択を行うのは、ローテーション制度が導入となり、初めて進路を決定する学年だ。彼らには、こうした世界の相転移の条件がそろっているように見える。

7月の現時点で、後期研修生、あるいはジュニアスタッフとして研修医を迎え入れる側は、まだどういった対応をすればいいのか決定できていない。逆に研修医側も、どういう選択をすれば一番正しいのか誰も知らない。

医療従事者のインターネット普及率は極端に高い。同じ学年同士の横の情報は非常に早い。「○○病院ではこういう提案をしたらしい」といった情報は、ものの3日もすれば全国レベルで伝わる。

進路の選択というのは、研修医にとっては今後の人生のかかった選択だ。その選択にかかるプレッシャーは重大なくせに、何が無難な選択で、何がチャレンジになるなのか。どういった選択が「正しい」のか、あるいは「勝ち」なのかといった前情報は一切無い。

世界を構成する3つの勢力は、大学病院、市中病院、そして研修医の集団だ。前者2つは、とにかく多くの研修医を自分達の勢力へ引き入れたいと願っている。研修医の集団としては、最も効率のいい研修方法、そしてその後の生活で損をしない選択を探している。

世界の流れを左右する鍵になるのは、市中病院が「定員」を何人と公表してくるか、そして研修医の集団心理が、その数を「多い」と感じるか、「少ない」と感じるかという点だ。数字と、それに対する印象。この印象が、世界全体を左右する。

大学病院と市中病院、この両者の対立は、どちらがより多くの研修医を獲得できるかだ。下馬評では市中病院有利。しかし、市中病院にはもともと持っている予算の制約という欠点があり、そもそも一定数以上の研修医を取ることは不可能だ。

この「上限」の存在が、研修医にどう評価されるかで、市中病院の求心力は左右される。

研修医に競争を避ける心理が支配的になれば、市中病院には人が集まらなくなる。

市中病院に入った研修医はかわいそうだ。一部のポストを大学側に提供せざるを得なくなった市中病院には、「負けた」はずの同級生が大学代表として乗り込んでくる。その病院生え抜きの研修医の居心地は悪くなるだろう。

一方、「自分は競争を乗り越えられる」という心理が研修医に支配的になれば、市中病院の定数は満たされる。市中病院は戦いに勝利し、市中病院-大学病院の力関係は変わるだろう。

情勢がどちらに傾くにせよ、市中病院の定員数は変わりが無い。

その数が何人なのかという情報だけでは、世界の未来を占うための情報としては十分でない。大事なのは絶対数でなく、その定員数が「多い」ととらえられるのか、「少ない」ととらえられるのか、研修医の集団心理がどちらに傾くのかということだ。

大学の医局に入ると負けだよな縲怩ニいう声もあるそうですが、メジャーな科を専攻したかったら迷ったかも。

市中病院に戻るか大学病院に戻るかでいろいろ駆け引きが噂されているけど、私は1人駆け引きなしで蚊帳の外状態です。

keiの一言

来年3年目になる研修医は、誰もが悩んでいる。どんな選択をしようが、「他人の目」というおせっかいな評価から逃れるのは難しい。どんなに強い志を持っていようが、全ての研修医は駆け引きといういやらしい競争に巻き込まれることになる。

現在、ほとんどの大学病院には研修医が戻ってきていない。外病院と大学病院、単純に比較すれば、外病院のほうが仕事がしやすいのはもはや明らかだ。一見すると、研修医が大学に帰るメリットは無いようにも思える。

だがこれは現在の話だ。今はまだ、自分が来年度、どういう選択をするのかを誰も表明していないからこういう結果になる。本当の進路選択の締め切りが近づいて来ないと、本当の状況は読めない。

状況はどちらにも転びうる

どちらに人が流れるのかは、市中病院に残留する、あるいは大学に帰還すると表明した研修医がどれぐらいいるのか、その情報の出てくるタイミングと内容により大いに変動する。

大学サイドの声が多ければ、市中病院に残留する選択はますます厳しいものになる。一方市中病院サイドの声が大きければ、やはり大学という選択は「負け」というレッテルが貼られるのかもしれない。

情報が流れる時期によっても、流れは変わる。例えば「今年はやっぱり大学が多くなる」という情報が9月ぐらいに流れたら、逆に市中病院残留を考える研修医は増える。そこにニッチを見つける余裕があるからだ。

いま一番危惧しているのは、本当の直前、具体的には来年度2月近くになっても流れが読めない場合だ。進路の締め切りが近づくほど、集団にかかるプレッシャーはきつくなる。根拠の無い噂話で集団がどっと動く可能性が出てくるし、そうなるともう誰にも状況が読めなくなる。就職を控えた研修医も、同僚の動きが気になって、仕事どころではなくなるだろう。

予測不可能な世界を予測可能なものに変えるには、市中病院が実際のところ何人を残すのか、この情報を公表するのが一番確実だ。

ところがこの数も、研修医との駆け引きがあるため簡単に出すわけにはいかない。

募集を多くかけて、定数が足りなくなった市中病院は、来年度からは「人気の無い病院」のラベルがつけられてしまう。未来のことを考えると、あまり多い人数は出せない。一方、あまり少ない人数だと、今度は競争を避ける心理が強く働くため、やはり研修医が集まらない可能性がある。

今の状況は、誰もが主導権を握れず、一方で世界の誰の行動も、世界を変える可能性がある状態。

世界を構成する3つの力のうち、こうした状況決定に参加していないのは大学だ。今の状況では、大学の打てる最善手は何もしないで待つことなので、実際そうせざるを得ない。

相転移のシナリオはいくつも考えられる。

  • 市中病院から「戦力外通告」を受けた研修医が、その施設を訴える。
  • 日赤などの印象のいい市中病院が、全国一律の研修医受け入れの窓口を作る。
  • 民医連や徳洲会が看板を降ろし、もっと「印象のいい」名前にかけかえる。
  • どこかの名無しさんが、ネット上に市中病院受け入れ状況のまとめサイトを作る。

何が起きても、世界は大きな影響を受ける。

一方で、何を意図して行動しても、その結果が行動者の意図したとおりに進むかどうかは誰も分からない。

救世主の登場はいつだろうか? 実世界に登場するのか、あるいは某匿名掲示板の片隅にでも出現するのか。 たぶん、その人自身も、世界がどう変わるのか、まったく予想できないだろう。もしかしたら自分が救世主役になっていたことすら気がつかないかもしれない。