病院での正しいプレゼンテーション

医者の世界というのは、つまるところ個人営業の自営業者の集まりで、予算も企画も、自分の判断でやりたい放題。自己の能力の範囲でやれることならば、他人に自分の考えを分かってもらう必要も無い。

医者同士、あるいは他の病棟スタッフ等の交渉の際に必要なプレゼンテーションの能力というのは、他の業種のそれとは少しだけ異なった力が要求される。

美麗なスライドを作る必要など、全く無い。論理的な話の流れも、また必要ない。極論すれば、プレゼンテーションを通じて他者を「説得する」必要は、病院内で仕事をしている限りは全く無い。

上下関係の厳しい社会。下のミスはそのまま上司の責任になり、一方上司からの命令は絶対。治療方針が割れたときには必ず上司の判断が優先されるので、プレゼンテーションの説得力如何で話の流れが変わることなど、まずありえない。

医者同士のプレゼンテーション、特に下級生が上級生を呼ぶ際に必要なプレゼンテーションで大切なことは、「結局何をして欲しいのか」を一刻も早く伝えること、そして患者さんが危ないと感じているときは、その「ヤバい」という空気感を伝えることだ。事実を伝えること。医学的に正しい内容であること、患者さんのアセスメントを正しく行うことなどは、そんなに大切な問題ではない

下級生からの相談を受ける上級生は、ほとんどの場合イライラさせられる。

例えば、救急外来に前胸部痛を主訴に来院した70歳女性のプレゼンテーションの悪例は、こうだ。

下:先生、ちょっと相談したいことがあるんですが、今大丈夫ですか? 上:どんな患者? 下:73歳の女性なんですが、数年前から近所の病院で高血圧を見てもらっていた方です。最近になって血圧が上がり、4日前から投薬を変更されたところ、今日の夜8時ごろにテレビを見ていたら、だんだんと…(胸痛という単語が出てくるのはこの5分ぐらい後) 上:(怒りながら)主訴は何?急ぐの?ヤバいの?何を疑っているの?

研修医はのろまなプレゼンテーションを怒られるが、何が悪いのか分からない。上級生とのコミュニケーションはいつまでたっても上手くならない。

研修医は、こうした医者同士の実用的な会話の技術を学ぶ機会は与えられない。

研修医が学ぶ「プレゼンテーションのやりかた」と、臨床の現場での正しいプレゼンテーションのしかたは全く異なる。研修医がプレゼンテーションの技術を学ぶ場というのは、教授回診や、病棟のカンファレンスなどの際の患者さんの発表の場でしかない。

こうした場所では、プレゼンテーションは医学的に正しいことが求められる。まず患者さんの年齢と性別。その後主訴と病歴、さらに理学所見、検査所見…と、まず事実を歪曲せず伝えなくてはならない。その場に居合わせた人間に全ての情報を伝え、その上で発表者自身の考え、治療の方針を発表していく。

よく教えられるのは、最初から「病名」を述べてはいけないということ。病名は、病歴と理学所見、検査所見を総合してはじめて考える。これは思考過程の結論であって、冒頭に持ってくるものではない。教育上、この思考の流れを守らないと、他の人が患者さんのことを考えない。

こういうプレゼンテーション教育を受けた研修医は、電話でも同じことをやる。まず病歴と詳細な理学所見が来て、その後検査所見が来て…。問題点が何なのか、こちらに何をしてほしいのかといった情報は、一番最後。アポロ13ばりに、「ヒューストン、問題が起きた」とだけ言ってくれたほうが、よほど緊迫感が伝わり、役に立つ。

子供のプレゼンテーションというのは、時系列だ。

「遠足で遊園地に行き、観覧車に乗ったことがとてもうれしかった」ということを子供が話すとき、「まず朝8時に目がさめて、歯を磨いて、あさパンを食べて…」から話しはじめる。親なら喜んで聞けるかもしれない。子供が嫌いな奴なら、子供が学校に着く前に気が狂いそうになる。クソ忙しい病棟業務の合間にこれをやられては、たまったものではない。

前の胸痛の女性の場合、「正しい」プレゼンテーションというのはこうだ。

心筋梗塞の女性がいるんですが、心電図を見てもらってもいいですか?」 「突然発症の、活きの悪い胸痛の女性が今来ていて、バイタル正常なんですけど、ちょっと救急外来に見に来てもらえませんか?」

そこで上級生から「どういう人?」と改めて聞かれてから、はじめて病歴を述べ始める。

相談を受ける側が知りたいのは、電話の相手がどんな問題を抱えているのか、それに対して、自分に何をして欲しいのかの2点だけだ。研修医の「アセスメント」なんて、聞きたくも無い。

それでも、上級生に電話する側としては、相手の頭を何とかして利用したい。

「自分がどんな問題を抱え、上級生に何をして欲しいのか、最初からそれがわかっていれば、誰だってそうする。分からないから怒られるの覚悟で電話してるんだ。とにかく、まず話を聞いてくれ。」
医者の世界には、自分の思考過程を一言で相手に伝える方法がある。とりあえず、思いついた病名を述べるという方法だ。

病名というのは、その患者さんの病歴、検査所見、そしてその結果を受けての医師の思考過程までを含んだプロセスの帰結だ。一種の圧縮ファイルのようなものだ。これを最初に伝えてしまうことで、それだけで相手に自分の思いが伝わる。

診断名の正しさは、ここでは問題じゃない。

たとえば「心筋梗塞」といわれれば、その人がどんな症状で来院し、どんな検査に回され、鑑別診断としては何を考え、自分がその人に何ができるのか…といったことは、上級生ならすぐ頭に浮かぶ。同じ病院で働いている医師同士であれば、その思考過程は大体同じなので、電話口でいきなり病名を告げるだけで状況は伝わる。上級生に伝えられたのが危険な病名であれば、すぐに外来を放り出して救急外来に駆け出す。軽症そうな病名であれば、まずは検査の指示だけ出して、結果を待つ。

間違った診断名であっても、その医師が感じた「ヤバさ」が相手に伝われば十分だ。例えばとにかく重篤そうな胸痛患者であれば、「心筋梗塞が来ました」「ショック状態の胸痛の患者です」で十分。最終診断が気胸だろうが、解離性大動脈瘤であろうが、「胸痛」を生じた患者の診断までの流れはそんなに大きな違いは無い。救急の現場にいる研修医の危機感が、上級生に伝われば十分だ。

当然、誤診上等の診断名は相手のミスリードを誘う。ドツボにはまらないための保険として、バイタルサインだけはサボらず必ず取り、上級生に全て伝える。

病歴や理学所見は、ウソをつく。特に診るのが年次の浅い医師の場合、その評価には様々なバイアスがかかる。その内容を電話で伝えたところで、真実は伝わらないと思ったほうがいい。患者さんの見た目の「ヤバさ」に応じて、適当な重症度の病名をでっち上げておけば、それで十分だ。

バイタルサインだけはウソをつかない。たとえ軽症に見える患者さんであっても、血圧が70しかなかったり、呼吸数が30回以上あれば、やはり何かおかしい。たいていの場合、おかしいのは患者さんの態度ではなく、初診を取った医師の頭のほうだ。血圧に脈拍数、呼吸数、SpO2。これらは最低限まじめに測って、必ず上級生に伝えるようにすると、会話にバイアスがかかるのをある程度防げる。もちろん、血液生化学検査、画像診断所見もウソをつかない。だが時間がかかりすぎる。

医者のプレゼンは、最初の一言目に全てをかける。まず主張が来て、次にいきなり結論に入る。その後、上級生から許可をもらったら、その理由を述べる。

前の観覧車に乗った子供の話でいくならば、こんなやり方が望ましい。

「昨日観覧車に乗った。とても面白かった。来週もまた行きたい。昨日はね…」