バトル・ロワイアル

競争に勝つのは楽しい。一方で、負けた奴を見るのは後味が悪い。

競争というのは、要は潰しあいだ。勝ちたいと思ったら、必ず誰かを負かさなければならない。どんな競争であれ、そこには勝者と敗者というものが存在する。勝者は何かの報酬を得、一方で敗者は何かを失う。

競争には、苛酷なものと楽なものとがある。

競争の苛酷さを決定する要因はいろいろある。競争に負けたときに失うものが大きな競争は、苛酷なものになる。たとえば戦争。負けた側の兵隊は、最悪殺される。勝率の低い競争というのも、一般に苛酷と表現される。難関校といわれる学校への受験、司法試験などは合格率が低く、競争は激しい。

同じような勝率、負けたときに失うものが同じ競争であっても、その苛酷さは異なる場合がある。

競争の苛酷さを決定するもう一つのパラメーターは、競争相手との距離感だ。相手の顔がはっきり見える距離での戦いというのは、そうでないものに比べて圧倒的に苛酷なものになる。

第二次世界大戦中、「生きるか死ぬか」という状況は、世界中で見られた。

大陸での銃撃戦、軍艦同士の砲戦、首都の爆撃による市民の死亡。こうした戦争中の3つの状況では、いずれも多くの人が亡くなる。その死亡率もそれほど大きな差は無く、戦いに敗れた兵士、沈んだ軍艦の乗員、爆撃を受けた市民はいずれも重傷を負ったか、最悪死亡した。

同じような状況にもかかわらず、異なっていたものがある。戦いの後に精神に障害を負った者の数は、お互いの銃撃戦を生き延びた兵士に、圧倒的に多かったという。

陸軍の銃撃戦と、それ以外の戦いとでもっとも異なっている点は、自分が殺そうとしている相手の顔が見えるかどうかだ。戦う相手の顔、自分がこれから殺そうとしている人間の顔が見えてしまうと、戦うことに非常な心理的圧迫が加わるという。

艦砲射撃を行う、爆弾を落とすといった行為は、その行為の先にある「誰かの死」というのが実感されにくい。もちろん海戦、爆撃といった行為自体も命がけだ。自分の船が沈めば自分も死ぬ。爆撃機が撃墜されれば、もちろん自分も落ちる。そうした状況であっても、空軍や海軍、あるいは爆撃を生き延びた市民の精神疾患の発生率というのは、戦争の起きない時期と比べても大差はなかったという。

自分が戦う、あるいは競争して負かそうとしている相手は、「競争相手」という物ではなくて「人間」だ。この単純な事実をどこまで具体的に認識するかで、競争、あるいは戦いに参加するときの心理的な圧迫感は大きく異なってくる。

警察が暴漢と対面した際、まず行うよう推薦されているのは、とにかく話しかけることだ。自分と相手との間に人間関係を構築することで、相手の暴力のエネルギーを減らす。人質をとった犯人との交渉の際も、交渉人が人質を「人質」と呼ぶのは禁忌とされる。あえて「○○さん」と名前で呼びつづけることで、犯人がとっているのは人格の無い人質などではなく、名前のある人間だということを分かってもらい、少しでも人質が殺されるリスクを下げる。

で、問題は市中病院での臨床研修だ。

現在、多くの研修医が大学での臨床研修を避け、市中病院での研修を選択している。

ローテーション制度が開始されて2年目。来年度は、ローテーションの終わった研修医が、いよいよ「就職」を迎える。

市中病院には、全ての研修医をスタッフとして受け入れるだけの資金的な体力は無い。研修医一人をお金を稼げる程度に鍛えるためには、大体3000万円程度かかるそうだ(自分の研修した病院の話。今から7年ぐらい前)。このため、一人の研修医を採るかとらないかでも、事務方は大騒ぎになる。例えば研修医を10人採った市中病院があったとしても、後期研修医として残せるのはせいぜい3人程度だろう。

市中病院の生き残り競争は、非常に苛酷なものになる。10人中3人程度の合格率は、大学受験などを思えばそんなに高い競争率じゃない。それでも、自分がその施設に残るには、一緒に働いていた仲間を蹴落とさなくてはならない。相手の顔が見える距離、ましてや2年間一緒に働いていた仲間との生き残り競争というのは、心理的には大変な重圧になる。

ましてや、この競争に「負けた」時の代償は大きい。落ちたら大学に行く?そんな「負け意識」を背負って他の施設に移ったところで、その負け意識は研修医自身を何年も責めさいなむ。研修医のうちの何人かは、そんな競争に参加するぐらいなら、競争から降りる道を探るだろう。

競争のルールも問題だ。3年目に新たに試験などを設けたら、年度の後半は、研修医が仕事どころではなくなる。これでは病院側が困る。ならば面接を中心とした、「総合的な評価」で残留者を決定したらどうか?そんなあいまいな評価に人生をゆだねる研修医が何人いるだろう?なぜ自分が落ちたのか、それすらもわからない競争など、将来絶対に禍根を残す。

今までの外病院ではどうしていたのだろう?

答えは簡単。競争などどこにも無かった。

例えば民間大手の○医連や○洲会、こうした組織では、希望すれば全員スタッフとして残れた。根本的に人の足りないところなので、よしんば10人が10人、残りたいと希望を出しても大丈夫。もっと有名な病院はどうか。例えば聖○加や○ノ門病院などは、そもそも人が残れない。残れるのは、何年か非常勤で働いて、「たまたま」枠が空いたときのみ。合格率が低すぎて、ほとんど運試しの世界だから、そこまでして残留にかける奴自体がほとんどいない。

市中病院で研修することがまだまだ特殊だった頃、こうした施設ではそれなりにうまく回っており、同級生同士の苛酷な生存競争が出現することを回避していた。

そうした競争が全国区で出現すること自体、この制度が導入されてはじめて起こってくることだ。それがどんな結果になるのか、何人が競争に参加して、何人が競争を放棄するのか、それすらまだ分からない。

大学病院という組織が、研修医のセーフティーネットとして機能しているうちはまだよかった。今、ネット上の世論では、大学に戻ること自体が「負け」とみなされる。競争に参加するのも地獄、かといって大学に戻れば負け犬扱い。研修医は自分で自分の退路を断っている。

「負けて」大学に帰ってきた研修医は、自分の現状認識を変えるようになる。

財布をはたいてやっと食べられた料理がまずかったとき、人は「こんなに高い金を出したのにまずかった」と認識するのではなく、「こんなに高い金を出したのだからこの料理はうまいのだ」と考える。
「ゲームに参加する」選択をして勝ち名乗りをあげる奴がいる一方で、大学に戻った研修医だって、いつまでも負け犬扱いされるのはごめんだ。市中病院での後期研修を選択した医師、大学での後期研修を選択した医師、どちらが正しい選択だったのか、競争の第2ラウンドが開始される。お互いの仲は確実に悪くなる。

お互い住み分けることのできない、際限の無い戦いの世界。「やる気」になった奴には理想の世界かもしれないが、もっと楽にやりたい奴には住み心地の悪い世界だ。小説「バトル・ロワイアル」の世界そのもの。誰もが疲弊し、お上に反抗する気概は薄れる。厚生省が、最初からこのラインを狙ってローテーション制度を作ったのなら見事なものだ。

各施設が、研修医の定員枠をこんなふうに表示すれば、完璧だろう。

「残り○人」