速く動くとはどういうことか

のろまな奴は嫌われる

速さは力だ。どんな状況にあっても、動きのすばやい研修医は、そのことで誰かの不興を買うことはない。

もちろん、仕事は早いだけではなく、正確な事だって大事。 それでも、研修医の仕事には、正確さなんか求められない。

たいていの病院には、年次が上のレジデントが必ずいる。大事な用事、必ず間違えなくやって欲しいことは、彼らに頼むか自分でやる。研修医には、まだそこまで大事な仕事は回ってこない。優先するべきなのは、正確なことではなく、速いことだ。

上級生は研修医の「速さ」を評価する。速いとは何が速いのか?速さを測るパラメーターは、いくらでもある。たとえば以下のようなものだ。

  • 用事を頼まれてから、帰ってくるまでの時間
  • 患者のサマリーが、レポートになって戻るまでの時間
  • 研修医が廊下を歩く、走るスピード
  • 何かの手技、点滴や採血にかかる時間

普通に考えれば、「仕事が速い」とは、結果が上がってくるまでの時間のことだ。でもそれは、現場での研修医の評価とは、しばしば異なる。もちろん、まじめで仕事の速いレジデントは、評価は悪くないのだが、「まじめでなくても、速い研修医は評判がいい」。

仕事の速さは関係ない

レジデントの「速さ」を決めているのは、上級生が用事を頼んでから、その視界から消えるまでの時間が全てだ。結果がいつ戻ってこようが、頼んだ仕事の質がどうであろうが関係ない。

レジデントに用事を頼んだとき、どちらのほうが「速い」レジデントだろうか。

  • あるレジデントは頼まれた瞬間病棟を飛び出し、30分後に仕事を終えて戻ってきた。
  • 別のレジデントは病棟で詳しいやりかたを聞き、15分後に仕事をすませて戻ってきた。

「あいつはすばやい」と評価されるのは、仕事に30分かかった研修医のほうだ。

「レジデントのあるべき姿」というのは、当の研修医が目指したいそれと、上級生が考えているそれとは大きな開きがある。

研修医にしてみれば、忙しい環境の中、限られた時間で出来る限り「いい仕事」のできるレジデントになりたい。研修医にとってのいいレジデントとは、いい仕事をすばやくこなす医師のことだ。研修医は、用事を頼まれてから、その結果を上級生に戻すまでのトータルの時間を短くするよう、懸命に努力する。

上級生はそう考えない。病院での仕事は忙しい。普段の仕事が忙しすぎて、研修医に仕事を頼んだ直後には、その内容を忘れている。研修医の行動を気にかける時間なんて、用事を頼んでからせいぜい数秒間。

「これ、お願い」と用事を頼んで、研修医がナースルームを出て行くのに何秒かかるか。 この時間が3秒なら、その研修医は「遅い」。2.5秒なら、そいつは「速い」。それだけ。

上級生は、用事を頼んだ瞬間しかその研修医のことを見ていない。

仕事のプロセス全体を速くしようと考える研修医は、最も効率のいい方法を探る。

用事を頼まれたとき、まず「どうやればいいですか?」と尋ねる。効率よく仕事をこなすなら、 効率のいい方法を知っている人に聞くのが一番効率がいい。何も分からないまま飛び出した ところで、どこに行けばいいのかすら分からない。それでは時間がムダになる。

ところが上級生に尋ね返せば、それだけで上級生の時間が数秒間ムダになる。この数秒間は、忙しさに気が狂いそうになっている上級生にとっては永遠にも等しい時間だ。研修医から尋ね返された瞬間、上級生の頭の中はからは目の前の研修医に対するいい印象は消える。

上級生の時間の感覚は矛盾している

上級生は、自分には関係の無い仕事について尋ねられれば、喜んで教える。人から頼られるのは気分がいい。一方で、自分が頼んだ用事に付いて聞かれると、上級生はとたんに「忙しく」なる。

上級生が研修医に用事を頼んだということは、その医師は一刻も早くその用事のことを忘れたいということだ。その事については、口に出して以後、二度と訊かれたくない。上級生にとってありがたい研修医とは、用事を頼んだ次の瞬間、目の前から消えてくれるような研修医だ。

その後の仕事にかかる時間が、たとえば15分かかろうが、30分かかろうが、上級生にとってはあまり関係ない。仕事全体を速くやってほしいことは、最初から年次が上のレジデントに頼む。研修医にはそこまで期待していないし、大体いつ用事を頼んだかすら忘れてしまっていることだって珍しくない。

用事を頼んだらすぐ走り出し、とりあえず何とか仕事をしてくれる研修医は、上級生にとって頼りになる存在だ。上級生は、病棟のことなら何でも知っているようでいて、実は何も知らない。仕事を言いつけることは出来ても、実際にそれをどうやったらいいのか知らないことなんて、しょっちゅうだ。

やり方を教えなくても何でもやってくれる研修医というのは、非常にありがたい存在だ。ありがたさを感じた上級生は、何らかの形で研修医に報いようと、きっと何か考える。

進歩の優先度は速さ ->正確さ

研修医は進歩する。どんな人間であっても、病棟の住人を続けていけば、仕事はだんだん速くなる。この「研修医の進歩」に対するイメージも、多分たいていの研修医、とくにまじめな研修医ほど間違ったイメージを持っている。

例えば「○○を取ってきて」という用事に対して、仕事全体のプロセスを速くやろうとするレジデントは、「それは、どこに行けばありますか?」まず尋ね、正確に動こうと努力し、その後慣れてから、仕事を早くしようと努力する。

最初は手取り足取り教えてもらい、30分かかった仕事は、そのうち20分、10分で出来るようになり…。 それなのに、いくら努力して速くなっても、上級生の覚えがめでたくなることはない。

要領のいい研修医、上級生から「あいつは使える」と言われるレジデントは、速さを優先して、それから正確性を高めようとする。

「○○取って来て」といわれたら、まず何も考えずに走る。適当に走っても、前後左右4方向、25%の確率で正しい方向に走れる。間違った方向に走ったときは、ぶつかった人に「○○どこにありますか?」と尋ねて正しい方向に走りなおす。そのうち慣れてくれば、正しい方向に走れる可能性は50%になり、75%になり…だんだんと正確になっていくだろう。

ものすごく非効率なやり方に思えるかもしれない。

それでも、この方法の方が、多分学習効率も高いような気がする。

病棟の住人になり、チームの役に立つ人間になるということは、命令されたことができるというのはもちろんのこと、経験したことがないこと、不測の事態が起きたときに対処できるということだ。

何か用事を頼まれて、もっとも正しいやり方ばかりを学んだ研修医というのは、いざというときに応用が利かず、頼りにされない。こういったとき、失敗を重ねて、試行錯誤を積んできた研修医は強い。自分の力で自分を最適化してきているから、変化があっても結構何とかなる可能性が高い。

結局、要領のいい奴というのは、修羅場でも役に立つという評価をもらえる可能性が高く、まじめに考え込むタイプは、どんなときにも損をする。

何か用事を頼まれたら、考える前に走ってみることだ。