痛くないやりかたが正しいとは限らない

道具には痛いものとそうでないものとがある

外科医の使うピンセットや鉗子には、「鈎」のついたものとそうでないものとがある。 sessi.jpg 左写真、左側が鈎付きの鉗子の先端。右が通常の鉗子。右の写真は、鈎の拡大。

一見すると、鈎無しの鉗子のほうが、組織にやさしそうに見える。実際は逆だ。

鈎のついた鉗子は、皮膚のごく一部には食い込むが、健常な組織を挫滅しない。このため、傷の治癒は早くなり、傷口もきれいに直る。研修医の頃、外来での傷の縫合などで、何も考えずに鈎無しの鉗子を使っていると、本物の外科の先生からよく怒られたものだ。

生体組織は細胞のネットワーク

組織(社会の組織organizationではなく、医学用語の組織tissueのほう)は、細胞のネットワークだ。

様々な機能を持った細胞が集まり、ネットワークを作ったものを、顕微鏡で上から見下ろすと、皮膚や血管といった「組織」に見える。

例えば皮膚という組織。上皮を作る細胞や、基底細胞、分泌腺を構成する細胞から、免疫を担当するリンパ球、皮膚を養う微小血管を構成する細胞、こうしたものがお互いに関係しあい、全体として「皮膚」という組織を作っている。

生体ネットワークの自己相似性

生体のネットワークは、フラクタクル(自己相似性)のような構造をもつ。

細胞は、ネットワークを作って組織となり、組織はネットワークを作って臓器となり、臓器のネットワークが生体一人となる。さらに生体は、お互いにネットワークを作り、社会となる。

木の大枝や小枝、一本一本のかたちは、その木全体のかたちとよく似ている。生体のネットワークの任意の小部分も、その全体とまったく同じ形に見える。

細胞に痛い道具は組織に痛くない

鈎のついた道具は、個々の細胞に対しては「痛い」道具ではある。一方で、治癒能力を持った ネットワークである皮膚組織に対しては、与える影響が最も少ない道具でもある。

個々の細胞に対して痛い行為というのは、組織全体に対しては必ずしも痛いとは限らない。

皮膚という組織を構成する細胞、とくに皮膚を皮膚たらしめている上皮細胞は、お互いの細胞同士が非常に密につながっている。同じ機能を持つ細胞がたくさん並んでいるので、いくつかの細胞が致命的なダメージを受けたところで、全体としての上皮の機能にはほとんど影響が無い。

鈎のついた鉗子は、皮膚組織というネットワークに対して、特定の細胞へのダメージを集中することで、皮膚全体への影響を最小限にしている。

細胞や組織には貴賎がある

皮膚組織を構成する細胞には、様々な種類がある。組織の中の、細胞の重要度というのは、細胞の種類によって明確な差がある。

組織を代表する細胞と、重要な細胞とは全く意味合いが異なる。上皮細胞の無い皮膚など、もはや皮膚とは呼べないけれど、上皮細胞は少々傷つけたぐらいではいくらでも取替えが効く。一方、ほとんど目に付かない細胞、痛覚の受容体細胞とか、血管を構成する細胞がダメージを受けると、その領域の皮膚組織は周囲から取り残される。生体から異物認定されたあげく、痛みや萎縮を生じたり、最悪皮膚組織そのものが壊死してしまう。

細胞や組織には、取り替えの効くものと、取替えの効かないものとがある。

手術を行う際、術野へのアプローチは、絶対に切ってはいけない組織を避けて進む。皮膚を切開して、最短距離を直線で入っていくわけではない。体には、切っていい組織と、絶対に切れない組織とがある。

皮膚や筋肉は、極端な話どこを切っても大丈夫。一方で、リンパ管は、そうしたネットワークを持たないうえに縫合が難しい。下手に切ると、後から浮腫を生じて酷いことになる。血管は、大きなところを切ると危ない。思わぬ影響が出ることもありうる。でも、血管は体内で網目状にネットワークを作っているから、ほとんどの場合は大丈夫。

ネットワーク化した組織はダメージに強い

生体内では、血管の破綻や閉塞は珍しいことではない。一方で、そのことが致命的になる人は、実際に血管にトラブルを生じた人の中では少数だ。脳梗塞心筋梗塞、腸間膜動脈閉塞症といった病気で亡くなる人は多い。それでも、血管が詰まっても、全く症状が出ない人は、それ以上に多い。

血管は、お互いにネットワークを作ることで、一部がダメージを受けても他から血液を回すように工夫している。

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脳血管は、頭蓋底内に動脈輪(上の図)がある。血管が閉塞してもこのネットワークのおかげで、4本ある首の動脈のうち、3本が閉塞しても理論上は何とかなる。実際にはそこまでの回避能力は無いけれど。消化管をに入っている血管は、まさに網目そのもの。どこを適当に切っても、結構大丈夫。

一方、心臓の血管はネットワークを持っていないので、血管が詰まると心筋梗塞をおこす。心臓の血管にネットワークを持つ人がまれにいる。こうした人は、冠動脈が詰まっても、ほとんど症状を生じないことがある。

内分泌系にも、お互いに補いあう機構が存在する

たとえば、腎臓の尿再吸収の経路は、大きく4系統ある。このため、どんなに強力な利尿薬を用いても、他の迂回路が働いて、人体の水バランスを極端に崩さないように働いている。

強力な利尿薬であるループ利尿薬をいくら用いても、尿が増えない人がいる。ループ利尿薬の利尿効果には、近位尿細管からの尿吸収という迂回路が存在するからだ。

この場所には、本来は穏やかな作用しか持たないサイアザイド系利尿薬が劇的に効く。ループ利尿薬無効の乏尿患者に、少量のサイアザイドを加えると、滝のように尿が出る。

これをやると、腎臓の尿再吸収ネットワーク独特の、外乱に対する安定性は失われてしまう。薬の調節は難しく、電解質の異常が必発。まさに両刃の剣。

社会は生体のネットワーク

では生体のネットワークである社会はどうか。細胞や組織に「切っていいもの」と、「切ってはいけないもの」とがあるように、社会にもそうした役割分担が確実にできてしまう。

切ってはいけない細胞になるには、何をすればいいのだろう。

ある分野の専門家集団から、スタッフの一人や二人を除いたところで、その組織全体の力は、ほとんど落ちない。トップの人間をのぞけば、専門家集団のチームメンバーというのは強力に結びついているため、いなくなった人の代わりが効くからだ。

例えば消化器外科。医者以外にも手術室スタッフ、臨床工学スタッフ、出入りの業者さん、たくさんの人間がネットワークを作って、「消化器外科」という社会をつくっている。消化器外科グループを代表しているのは、もちろん消化器外科医だ。この人たちがいなくなったら、誰もそのチームが消化器外科だと思わない。

一方、例えばこの消化器外科病棟を構成する30人中、10人が消化器外科医だったとして、このうち一人や二人が欠けたり、学会で居なかったりしても、消化器外科は問題なく動く。消化器外科医という人間は、この消化器外科病棟を代表する人間であるとともに、もっとも取替えの効く人間でもある

この病棟から、例えば術中のモニターを整備する工学技師がいなくなったら、麻酔科と交渉してくれている事務方がいなくなったら、一人が欠けるだけで手術は回らなくなる。もちろん外科医がいれば何とかなるかもしれないが、通常どおりの外科手術の運営は不可能だ。こうした人たちは、「消化器外科」というチームを代表してはいなくても、組織に無くてはならない人間だ。

病院という社会は、医者以外にもいろいろな業種の人がネットワークを作って成り立っている。医者という人種は、自分達の病棟という狭い社会から外に出ることは無いので、病棟同士、異業種同士、あるいは他の病院同士を仲立ちしている人がいなくなってしまうと、病院の業務は立ち行かなくなってしまう。

田舎の病院に行くと、大学に紹介状を書くことだけしかできない医者が、医局で大きな顔をしている。いまよりバカだった10年前、こんな奴らさっさと首にして、もっとできる医者を雇ってくれと心から願った。 ネットワークという観点から見ると、こうした医師が大きな顔をするのは全く正しいことだ。取替えが効くのは、自分達若手の一般内科の方だった。その人がいなくなれば、大病院とのパイプが無くなる。患者さんが回せなくなり、下手をすると病院が吹っ飛ぶ。

カテ屋の世界で10年、一応のことは出来てもトップではない自分のような人間は、まさに組織にとっては取替えの効く部品で、もう尻に火がついている状態。自分もそろそろ別の生存戦略を考えないと、鈎ピンにつままれて一巻の終わりだ。

「医師の腕」という技能のネットワーク

医師の「」というのは、その医師の様々な技能を総合した、ネットワークの総合力を評価する言葉だ。

カテができる」という技能は、自分にとっては自分の腕を代表している能力のつもりだったのだが、今の病院で自分の居場所を作るのには、全くといっていいほど役に立たなかった。

役に立ったのは、自分にとってはどうでもいいと思っていた能力。人工呼吸器が組み立てられるとか、経管栄養にやたらと詳しいとか、そんなもの。そうした雑多な知識は、当時新参者だった自分に「面白い奴」という立ち位置を与えてくれ、まだどうにか大学に生き残っている。

自分の中では大切な能力だと思っていたものが、ネットワークの外から見ればそうでもない。たぶんよくある話なのだろう。

自己評価というのは難しい。医師は、自分の持つ技能のネットワークの中からしか、自分の腕を評価できない。自分の技能の中で、なにが取替え可能な技能で、なにが切ってはいけない技能なのか。

自分の持つ技能のネットワークを、周囲の状況の要請に対応してどう変化させるのが、自分の「腕」を生かせる方向につながるのか。自分を最適化出来ない奴は、今後真っ先に潰される。

もし僕が日本の大組織の再建を任されたとしたら、まずすることは、「この層」の中で飛び切りすぐれた人材(プロスポーツ選手クラス)をほんのわずか残し、「この層」の大半を組織から一掃することを「組織のゴール」と設定し、そのためにはどういう順番で何をやっていくべきかを考えていくだろう。

My Life Between Silicon Valley and Japan - 「勉強」特権階級の没落より引用

ネットワーク科学の先端を突っ走るIT関係の人たちはこんなことを考えている。「この層」としてとりあげられているのは、従来の会社組織を代表する人々。勉強をコツコツとやってきた、冒険を志向しない人たちだ。

自分の持つ技能にも、そろそろリストラを敢行しなくてはならない時期なのかもしれない。自分の積み重ねてきた技能を捨てるというのは、それこそ鈎のついた鉗子ではさまれるよりも痛いけれど…。