研修医の勇気と責任感

勇気を育てる

研修医教育において、もっとも重要な要素が勇気づけである。

研修医の目には、上級生の能力は途方もなく大きく、有能に見える。そうした上級医に鍛えられながら、研修医は持ち前の勇気だけに頼って自分を支えている。

この勇気を支えてやるのが上級医の役割であるが、勇気の中でで最も大切なのは「自分が不完全であることを認める勇気」である。研修医が自分に完全を求めると、ちょっとした失敗も許せず、失敗してしまった自分を嫌悪するようになってしまう。やり直すチャンスはいくらでもある。研修医の勇気をくじいてはならない。

例えば、研修医が初診の患者に一人で問診を試みようとした場合、いきなり頭ごなしにそれを妨げてはならない。研修医はその成長過程において、自分の能力の限界を見極めようと努力する。そのとき、上級生はその努力に水を差してはならない。

研修医の努力が実らなかったとしても、その研修医自身を責めるような言動を発してはならない。

「うまくいかなくて残念だったね」と、失敗したことのみ指摘するようにする。そして、失敗は単に研修医の能力がまだその水準に達していなかっただけで、研修医自体の価値とは何の関係もないことを強調しなくてはならない。

「何で○○(研修医の名前)のくせにそんなことしたの?」 「先生行いが悪いから、血管に嫌われたんじゃない?」

などと、失敗した行為に研修医の人格を結びつけるような発言をしてはならない。

失敗しても自尊心を傷つけられなければ、その研修医の中には勇気が生まれる。この勇気が無ければ、研修医は必ず挫折する。

責任感を育てる

責任とは、失敗した時に辞表を出すようなたぐいのものではない。なにかの課題に対して自分にやれることがあったとき、すぐに自分のすべきことはやります、という答を出せることが責任感があるということである。

研修医をしかる前に問題が誰のものなのかを考えることが大切である。本当に研修医自身の問題なのか、それとも上級医の問題なのか。

研修医が行ったほうがいい仕事を取り上げてしまうことは、研修医の負担を減らすという大義の下で過干渉、甘やかしを行ってしまっている可能性がある。

研修医レベルの問題だからといって、それを「お前らで勝手にやれ」と放置してはいけない。

研修医から「何かのアドバイスが欲しい」と援助の申し出があったとき、その問題は研修医だけの問題ではなくなり、上級医と研修医との共通の課題になる。

そこで「そんなものは自分達で考えなさい」などと援助の申し出を拒否すると、それは上級医が「責任」の模範を示していないことになってしまう。

研修医の叱りかた

「何でそんなことをしたの?」という問いを避ける。 「なぜ」という問いは答えるのが難しい。

「なぜ」を問うのであれば、その研修医の行動の原因ではなく、目的を答えとして期待する。

「原因」を過去や外的なことに求めても、それらを変えることは事実上不可能である。問いただすのは「何をしたくてそんなことをしたのか」で、今後どうすれば同じ間違いをしないかを一緒に考える。

罰しない。罰を与えるだけでは、一時良くなってもまた元に戻る。

不適切な行動には注目しない。適切な行動に注目する。相手のいい部分を伸ばしていくことで、結果として不適切な行動が減っていく。

誉めすぎない。ほめられることになれてしまうと、良い結果がでなかった時の悪影響が大きい。 結果として何か失敗を生じたとき、自分はチームの仲間でなくなる、能力がないなどと思うようになる。

不必要に誉めるのではなく、普通であることの勇気を大事にしてもらうよう配慮する。研修医は「普通」でいる勇気がないので最初は特別よくなろうとし、安直な方法で注目を得ようとし、また実際に注目を集めてしまうと行動の目標が揺らいでしまう。

競争を煽らない。優越性の追及も劣等感も、基本的には健康で正常な努力と成長への刺激である。しかし、過剰な競争心は致命的な失敗につながることがある。

たまには少しはまじめに。