専門科コンサルトの問題点

大学病院で診療をしていく上での最大の強みは、全ての疾患の専門家が集結していることだ。

市中病院の連中にどう批判されようと、数は力だ。マンパワーはあればあるほどいい。そのうえ手を貸してくれる人が本物の専門家集団なら、もう無敵だ。

ところがこの専門家集団による治療は、期待したほどうまくいかない。

名前を聞いただけで病気のほうが逃げ出すような専門家が複数治療に加わり、知識面ではもうこれ以上の力は望めないぐらいのチームを作っても、患者はなかなかよくならない。

コンサルタントの言うことは、神の言葉だ。従っていれば絶対に間違いなどおきるわけが無い。ところが治療にかかわる「神様」の数が増えるほど、患者の治療の目標は迷走し、病気を深追いしすぎて失敗するケースは珍しくない。

専門家とは何なのか。

人が複数で相談した場合、一番過激な意見を言う奴が専門家である。誰もが日和見主義者には見られたくない。専門家同士の話しあいには撤退の要素は入ってこない。

無難な治療というものは、いかに上手に妥協するかがポイントになる。一方、専門家にとって妥協は負けだ。結果、専門家の合議で決めた治療方針は必ず過激なものになり、病気を深追いしすぎて泥沼化する。

奇妙な治療手段を提示されるのも問題だ。専門家はしばしば普通である勇気をもてず、また注目を集める誘惑に打ち勝つことができない。奇想は人の注目を集める。専門家以外に誰も考えもしなかった方法で状況を突破できると、専門家には賞賛の声が集まる。このため、専門家はしばしば驚くような提案をする。

誰もサプライズなど求めていない。もっとも手堅い方法が知りたいだけだ。場合によっては、専門家のアドバイスも欲しくない。単に専門家の証言、後押しが欲しいだけ。

こうした専門家の暴走に対する解決策は2つ。患者さんの「落しどころ」を、自分の中でできるかぎり具体的につめておくこと、議論の際には患者さんの医学以外の要素を前面に押し出すことだ。

自分達としては患者を「どう」したいのか。

とりあえず胃瘻/寝たきりの状態を目標に老健の転院を狙う、原疾患の予後は非常に厳しいので、挿管までして家族が納得したら看取る、PCPS/透析上等でとにかくやれるところまでやる…
こうした自分達の方針がぶれると、治療方針は専門家の言いなりになり、泥沼化する。最初に「この人の落しどころはこのあたりです」と宣言してしまうと、専門家からはより現実的な回答を引き出せる。

患者の情報を集めておくのも大切だ。

経済的な問題、宗教上の問題、父上が透析末期で大変だったのでこの人は絶対に透析を嫌がっている、家族が不信ありありで、その日の思いっきりテレビに対するコメントを毎日求められる…。
医学以外のこうした話題は、専門家に「じゃあ、仕方ないですね」と逃げ道を与えることができる。専門家に対してクライアントが逃げ道を用意してやると、その専門家を追い込むことなく現実的な回答を引き出せる。

本当の専門家のアドバイスは当事者を自由にしてくれる。

以前泥沼化した患者さんを受け持ったとき、全科コンサルトの暴挙に出たことがあった。無茶な陣容の医師団が結成されたとき、腎臓チームの先生が一言「いつでも透析できますから、腎臓は真っ先に切り捨ててもらって結構ですから」といってくれた。

そのおかげでドリームチームは原疾患に対する治療を妥協することなく、その後の治療方針の決定が非常に簡単になった。

主治医を安心させるアドバイスというのは泥沼の底にいるときには本当にありがたかった。

自分もいつかこうしたアドバイザーになりたいのだが、「イロもの担当」の役はなかなか離れられない…。