難民化した研修医の明日

ローテーション制度も、そろそろ施行後1年を終えようとしている。

この制度は、研修医が全ての医局を見られる。仕事のつらそうな医局、教育をあまり熱心に行ってくれなかった医局は敬遠される。研修医同士の情報交換を活発に行えば、「勝ち組み」医局と「負け組み」医局との差がはっきりとつき、雑用の多い、研修医の教育に熱心でない医局には研修医が寄り付かなくなる。一見すると、研修医にとっては選択の幅の大きい、メリットの大きい話にも見える。

一方で、医局も全ての研修医を見ている。

従来型の研修制度では、飛び込んできた卒業生は、どんな奴でも医局の責任で育てる義務があった。研修医に対して、入局する前持っていたイメージなど全く当てにならない。とりあえず1年いっしょに働いてみて、「こんな奴だとは思ってもみなかった」という話は数え上げたらきりが無い。

どちらの方向に期待を裏切るにせよ、医局員としてその医局に入った以上はその人は一生「医局」の看板を背負う権利がある。看板を背負った奴を、その看板に恥じないだけの医師に育てられなければ医局の恥だ。だれも自分の看板を汚したくないから、上級生はそのプライドをかけて下級生を鍛える。

今の制度は違う。

医局も1年間、研修医の性格や熱心さをじっと見る時間があった。選択の幅が広いというのは医局から見ても同じだ。

どこの医局も「さくらんぼ摘み」をする。医局はどこも、おいしそうに見える奴から獲りにいく。表面上は入局は研修医の自由意志だが、水面下では特定の研修医に入局のオファーが殺到し、一方でどこからも相手にされない研修医は必ず一定数出てくる。

講義型式の教育では、臨床医は育たない。徒弟制度の嫌な部分は現在も生き残っている。医師は湿っぽい人間関係を通じた教育でしか育たず、教育は常に不公平な形でしか提供されることはない。

研修医に医局の看板を背負わせる必要がないなら、そこには教育のモチベーションなど生まれるわけが無い。きれいな部分だけを研修医に味わってもらい、「おいしい」医局を演出することなど簡単に出来る。

研修医の眼力をなめてもらっては困る。うわべだけの取り繕いなどすぐ見破れる。

そんなわけが無い。研修医が社会に出て、さんざんずるさを身につけたなれの果てが病棟スタッフだ。研修医のやり口など全て知ってる。小児科や産婦人科などの「勝負の前から終わっている」とみられる科ですら、研修医にその魅力を演出することなど朝飯前だ。

女性がたとえ2人がかりで頑張っても、人間の子供が5ヶ月で生まれることはない。研修医を1人一人前にするのも同様で、近道はいまだに見つからない。

研修医を育てるにはスタッフの労力がいる。この労力の代償は「医局の看板」とか「病院の名誉」とかいった、本当は形のないものであったのだが、今回のローテーション制度の導入、医局の解体といった一連のイベントで、国が太鼓判を押した形で「形なんてないんだ」と証明された。

教育に対する労力の代償が、何お金や権力といった、何かの形でお上から与えられることは今後も無い。

何もないところに教育への動機など育つはずは無い。どこの医局から声もかからなかった研修医の将来は、誰が責任を持つのだろう。

現時点での対策は簡単だ。個人のつながりを利用して、失った「形の無い価値」を復活する。

幸い、今の医局にはおだてられるとパワーが倍増するような、頭の温かい医者はまだまだ生き残っている。研修医にやたらと熱く語りたがるから、見分けるのは簡単だ。

この人たちの電池が切れる(たぶんあと2年は持つ)前に、「先生に教わりたいんです」と個人的に頼み込む。これだけで、従来と同じクオリティのレクチャーを受けられる可能性はまだまだある。

こうした問題は、市中病院での研修では存在しないかもしれない。自分はたしかに市中病院で研修したが、これはこれでリスキーだ。ずっとそこにいるわけで無し、2年後に市中病院からあぶれた研修医が大挙して医局に押しかけるようになったら、「市中病院の医者」と個人の努力とは無関係にステレオタイプで見られてしまうかもしれない。

個人的には、旧医局制の崩壊後は強力な縁故主義へのゆり戻しが来るのではないかと想像している。

医学生は大学時代からの部活の上級生、興味のある講義の演者の先生などに頼み込み、6年生の最後までに推薦状を書いてもらって希望の科に入る。

推薦状を書いた人は、卒後数年間はその学生の質に責任を持たなくてはならないので、そうおいそれとは推薦状など書けない。結果として、推薦者は「自分の看板」を研修医に背負わせることになるので、推薦者が信用できるなら、医局としては研修医の質が保証されることになる。

うろ覚えだが、ハーバード大学の入試がこの型式をとっている。推薦状重視で、入学試験に相当するものが事実上無いはずだ。

多分、非常に窮屈な学生生活になるのだろうが、学生の本分は勉強だ(他人事なら何だっていえる)。

大学体育会が潰れかかっている昨今、難しいのだろうが…。