ゴールの設定

研修医を倒れるまで働かせるためのTips。

某高校のマラソン大会は、かつて(今もか?)富士スピードウェイで行われていた。 あのサーキットはバックストレートの長さで有名なのだが、サーキットを走って疲れ果てた頃、最終コーナーを回ってバックストレートに出ると、ゴールが目の前に見える。 実際にはコース幅の錯覚で、最終コーナーからゴールまでは1km近くあるのだが、ゴールの見えた学生は皆狂ったようにラストスパートをかけ始める。 どんなに疲れていても、何か明白な目標が目の前に見えていると無茶がきく。いわゆるランナーズハイの状態になって、ゴール直後に倒れる奴続出。毎年行われる行事なので、みんな慣れているはずなのだが、やはりゴールが見えると全力で走ってしまう。

この現象を研修医を働かせるときに役立てられる。

いつまでたっても終わらない勤務時間、いったいいつになったら休めるのか、どこまで働いたら睡眠をゆっくり取れるのかが分からない状態が長く続くと、研修医は仕事にかける力をセーブし始める。

仕事の終わりが見えないと、誰も「ラストスパート」をかけることが出来ない。結果、実際にゴールにたどり着いてもまだまだ余力が残る。この間にやってきた仕事のクオリティは必ずしも高いものではなくなってしまう。

「手を抜くな」と彼らを怒鳴り飛ばしても無理だ。研修医にとってもっとも恐ろしいのは先が見えないこと、予期しない急変、急患だ。

普段から限界に近い体力、精神力で働いているのに、余力がもう無い状態でこうした患者が来たら、いったい自分はどうなってしまうのだろう?
この恐怖心を拭い去れないかぎり、研修医が自分の力をフルに発揮する機会はまず訪れない。

研修医の仕事に明確なゴールを設定できれば、この問題を解決することが出来る。

自分の研修した病院では、当直医の仕事が重い代わりに、夕方の引継ぎを済ませた研修医は一度家に帰ったら絶対に呼ばれなかった。

このルールはその研修医が当直医に不義理をしないかぎりは絶対で、受け持ち患者さんが急変しようが、亡くなろうが、家に帰った研修医は絶対に呼ばれることはない。

オンとオフがはっきりしているというのは、非常にありがたいことだ。

例えば土曜日の当直中、明け方に緊急が来ても、「ここを乗り切れば明日は日曜で1日休める」と思えば、最後の数時間を気合で乗り切れる。この結果訪れる「ランナーズハイ」に近い精神状態は、研修医の限界を高めてくれる。

このときに、「日曜日にも仕事の切れ目がなくなってしまうから体力をセーブしておこう」などと考えると、そのときに来た患者さんにミスが出る。

前の病院では引継ぎ業務を徹底し、土曜日に来た患者さんについては全て日曜日チームに引き継ぎ、最終的な主治医の割当は月曜日の朝に行ったので、土/日の当直チームは安心して全力を出せた。

引継ぎシステムだけでなく、会津のほうの某病院では「当直明けは午前中いっぱい寝てもいい」という暗黙のルールがあったり、米国などではさらに徹底して「ナイトフロート」という当直専門チームと日勤帯の主治医とに医師団を2つに分けたりして、さまざまな形で「ゴール」の設定を行う取り組みがなされている。

もちろんベテラン勢にはそんなことは許されない。自分が受け持ちの患者が安定するまでは、スタッフの責任で安定させなくては家になど帰れるはずもないし、急変すれば呼び出される。しかし、「自分の判断が患者さんの予後にかかわっている」という実感が医師にあれば、「デスマーチ」状態を長く続けても体力は持つ。

患者さんについてこその研修医だという意見もあるかもしれない。反論はこうだ。研修医はまだまだ未熟な存在で、患者さんにかかわっているという実感はまだそう強くはもてない。そうした人間に「自覚」をいくら促したところで、たかだか1年で自覚など出来るはずも無い。だらだらと病棟に居残ったところで、わけもわからず神経をすり減らすだけだ。

それぐらいなら、スタッフ側で恣意的に設定した「ゴール」まで、せめて倒れるまで突っ走ってもらおうというのが当時自分が研修した病院の考えだった。

実際のところ、オン/オフをはっきりさせる方法論にも問題はあった。

一番問題になったのは「ゴール」近くになると手を抜くレジデントが出てきたことで、なまじオフタイムがはっきりしていたために、オフに遊ぶための体力を温存するためにゴールの間際に手抜きをする。結果、「ゴールまで全力疾走する」のが目標ではなく、「いかに効率よく、早く帰るか」が目標になってしまうレジデントが結構な数に上ってしまった。

このあたりは究極的には個人のモラルの問題なのだが、「他人の痛みをどこまで共感できるか」というのは半ば先天的なもののように思う。

「その考えは患者さんのためにならないよ」という言葉が研修医の動機づけに使えなくなって久しいが、次の切り札であった「そんなことをすると訴訟で負けるよ」という言葉も、全く心に響かない研修医は一定数存在するように思う。

結局、分からせるには殴るしかないのか?