運の良さについて

ずいぶん昔、アポロ宇宙船の特番を見た。

あまりにも多くの「運」が、あのミッションの成功を支えていた。

アポロは運がよかった

  • アポロ11号は、月着陸船のコンピューターが着陸寸前にエラーを生じたけれど、マニュアル操作でどうにか着陸できた
  • アポロ12号は、大気圏を突破する時に雷に打たれて、電気系統を全部吹き飛ばされたのに、 何とか復活して、月まで行って、生きて帰った
  • アポロ13号の不運は映画にまでなった。月着陸船に詰め込まれていた、メモ帳だとかダクトテープだとか、 様々な余剰物資が、あの生還を支えてくれた
  • アポロ13の爆発は、これもたまたま、「外側」を向いていた。あのときもしも、爆発が内側を向いていたなら、 乗組員はその場でなくなっていた。運がよかった

アポロ宇宙船にしても、サターンロケットにしても、あるいはロシアのソユーズにしても、 成功したプロジェクトというのは、どこか「運がいい」要素を持っていて、基本設計が優れているだとか、 技術者の士気だとかプロダクトの品質みたいなものは、「運の良さ」には直接貢献していない気がする。

ハイテクの固まりであるスペースシャトルは、どちらかというと「運の悪さ」につきまとわれた 失敗プロジェクトだし、日本のH2 ロケットにしたところで、日本の技術者が、あれだけ品質の良さを心がけても、 ロケットはなかなか飛ばせない。

運のいい技術者がいる

最新の火星探査ロボットには、1970 年代の「バイキング宇宙船」のパラシュートが、そのまま引き継がれて用いられた。

アメリカのサターンロケットは、開発されてから何十年もたっているのに、 スペースシャトルの後を引き継いで、これからまた、現役復帰しそうな雰囲気になっている。

恐らくは技術者には、独創的であるとか、緻密な設計ができるとか、外からみて分かるすごさとは別に、 「運のよさ」というパラメーターがある。

運がいい技術者が作ったものは、案外不格好で、他の人の目から見て、必ずしも「優れた」 ものではなかったり、あるいは「改良」の余地がたくさんありそうに見えるのに、 そのプロダクトはうまく動いて、「改良」すると、なんだか運に見放されてしまう。

特番が組めるぐらいのドラマを生んで、それでもほとんどの人たちを死なせずに、 宇宙から帰還させることに成功し続けたアポロ宇宙船のシステムというのは、 恐らくは相当に「運がいい」設計が為されたのだろうと思う。

認識不可能な価値に敬意を払う

第二次世界大戦の頃、「運悪く」敗北した将軍は、米軍だと更迭されて、日本軍だと許された。

「運」という、科学では認識不可能な何かに対して、米軍は一種の「敬意」を持って、 日本は逆に、「ないものは関係ない」という、科学的な立場をとった。

米軍は勝って、日本は負けた。

同業者にもまた、「運のいい人」と、「引きの悪い人」というのがいて、努力していて、 「腕」もいいのに、どうしてだか重症の患者さんばっかりに当たる先生もいれば、 正直適当に仕事しているようにしか見えないし、何か隠れた努力をしているわけでもないくせに、 どういうわけだか「軽い」患者さんばっかり引き当てて、病棟が荒れない先生もいる。

科学だとか、工学の分野には「運」なんてパラメーターは存在しないし、 運というものを、それ以外の言葉で記述できる人もいないけれど、 それでも厳然と、「運」はそこに存在する。

運というものは確率論で決まるものではなくて、やっぱり人間が、自覚のできないどこかから、 自らの力で引き寄せるもの、方法論はないけれど、それでもいつか、手を伸ばせば届くものなんだと思う。