「物言わぬ上司」の力

初めて離島に飛ばされた昔。何でもできる気分でいたのに、「普通の肺炎」で 外来に来た患者さんと対峙して、薬を処方できなくなった。

「それができる」ことと、「それを決められる」こととの断絶について。

いつも上司がいた

当時たしか3年目ぐらいだったから、その頃にはもちろん、 肺炎の人なんて100人以上診療していたはずなんだけれど、本土にはいつも上司がいた。

研修の後半は、基本的には自分で指示を出していたのに、島に一人で放り出されて、手が固まった。 今までは要するに、「上司が黙ってみてる」というのが、強力な承認装置として働いていて、 それがなくなって島に飛ばされて、目の前にいる、一見典型的な肺炎の患者さんが、 本当に「典型」と認識してもいいのかどうか、確信できなくなった。

研修医はたぶん、「正しさ」を、「上司に怒られない」ということを通じて理解する。

だからいきなり一人で放り出されたそのときは、たぶん「正しいこと」がなんなのか、 いくら教科書に「正しい」と書いてあっても、確信が持てなくなってしまう。

一人ぼっちで決断して、後ろ盾なしで経過を見て、やっぱり大丈夫と納得する、 これを繰り返さない限り、「ほどほど」だとか、「いつもの」みたいな、 自らを安心させるような感覚は、身につかない。

場を作ること

外科医はそういうものを、「場を作る」なんて表現する。

患者さん見て、病気想像して、切開線決めて、進入ルートを決める。全部考えて決める。 研修医の頃は、それが「当たり前」と思ってるから、「場を作れる」ことがどれだけすごいことなのか、想像が及ばない。

虫垂炎を切るだけなら、上司の指示があれば、1年目の研修医でもできる。 上司が黙ってみててくれるなら、3年ぐらいの経験を積めば、診断から治療まで、 一応一人でこなせるようになる。

ところが新しい病院に一人で飛ばされて、じゃあ虫垂炎の患者さんが来て、 その人を治癒に導くためには、やっぱり10年たってもまだ、経験が足りない。

「今自分が遭遇しているこの状況は、典型的なやりかたで対処可能である」と認識するためには、 本当は、あらゆる例外ケースを体験しないといけない。

それはもちろん無理だから、やるべきは、「これは典型だろう」という先入観を形成して、 結果として大丈夫たった、という、不完全な成功体験を積むことなんだけれど、 それにしたって時間がかかる。

虫垂炎は素人でも切れる」だなんて、たぶん3年目ぐらいまで、研修医はそんなことを考える。

「最低でも回盲部切除ができるようになっておかないと、虫垂炎が切れるとは言えない」だなんて、 7年目ぐらいになって、いくつかの病院で経験を積んだ外科医は、ある日いきなりハードルを上げる。

できることと決められること

今の研修制度は、恐らくはあらゆる決断機会を奪われたままに進められて、 一定年次を超えたとたん、「君もう一人前だから」なんて、ほかの病院に放り出される。 昔はそれでも5年ぐらいあった研修期間は、来年からはもしかしたら、1年間に短縮される。

研修医はたぶん、「黙っている上司」の存在に気付かないまま、いきなり独り立ちを強いられる。 もちろん体は動かないだろうし、だから臨床続けられなくて、内科外科から人がいなくなってるんだろう。

「それができる」ことと、「それを決断できる」こととの間には、たぶん7年目ぐらいを境に、 必要な経験年次の断絶がある。「できる」ための経験はそんなにいらないけれど、 「決める」ための必要経験は莫大で、量を積まないと、決断なんてできない。

「技術の継承」が断絶するもっと早いタイミングで、たぶん「決断の継承」が断絶して、 内科外科は、実質死に体になると思う。

あと7年ぐらい先の話。