先入観は大切

漠然と「いい人」みたいな印象を持つ患者さんが、「いい人なら来るはずのない時間」に、 ありえないほど軽い訴えを持ってきたときは、すごく気をつけないといけない。

患者さんに対して先入観を持って接することは、もちろん教科書で勧められているやりかたとは 異なるんだけれど、先入観というのは、潜在意識のささやき。意識に上がってこないレベルで、 自ら積み重ねた経験知が何か伝えようとしているならば、それを使わないともったいない。

「誠実な」患者さんとそうでない人。

漠然とした印象それ自体は、思考を正しい診断から遠ざけるためのバイアスしか生まないけれど、 医師が置かれた状況と、その人に抱いた印象とを結びつける「文脈」を 考えるなら、漠然とした印象は結構大切な手がかり。 問題を系の外側から解く視点を提供してくれることがある。

状況文脈というもの

この患者さんは、「この状況に来てもいい人」なのだろうか?

「一週間前から」「ときどき」なんて言葉のあとに、ちょっと頭が痛くなるとか、 胃が痛くなるなんて症状くっつけて夜中にくる人は、たいていの場合「不誠実な」人。 昼間来るのが面倒くさいとか、「すいませんねー」なんて、絶対すいませんなんて思ってない、 病院をコンビニエンスストアとしか思ってないような人。

深夜の救急外来。「以前から」「時々」生じる「軽い症状」で夜中に来る状況に おいては、文脈上正しい患者さんは、「不実」な人を想定しないといけない。

医師がその人に持つべき先入観は、だから昼間来るのがめんどいとか、待ちたくないとか、 近所に飲みに来たついでに寄りましたとか、そんなイメージ。状況と、印象との 文脈が一致していたならば、その人の重症度は、文脈どおりの解釈をしても大丈夫。

「以前から」「ときどき」「軽い症状」で夜中に来たにもかかわらず、その患者さんが 一見まじめな、「いい人」に見えたときには、実はものすごく怖いことが起きている可能性がある。

その患者さんの「軽い」症状が、実はとんでもなく重たい症状を我慢してたり、 診察を受けに来たはずの患者さんが、じつは「絶対大丈夫」なんて言質を取りに 来てることがある。「いい人」だからと安心して、「いい医者」の振る舞いすると、 大失敗する可能性がある。

承認を買いに来る人

コンビニ感覚で薬をもらいに来る人とか、とりあえず酔ったついでに医者罵って憂さ晴らししたいとか、 そんな人を相手にするのは、まだ大丈夫。

むしろ怖いのは、夜中の外来にやってきて、言質とか、承認を買いに来る人。

ものすごく元気そうなお子さんつれて夜中に来て、そのお母さんとかお父さんが、 一見すごくまじめそうな、こんな時間に外来に座ってるはずのない人だったりするときが、 「承認を買いに来た人」の危険因子になる。

どう見ても大丈夫だから、「ちょっと整腸剤で様子を見ましょう」なんてお話しすると、 「じゃあ大丈夫なんですね」なんて答えが返ってくる。大丈夫なんて言い切れないから、 「明日また小児科にかかってください」とか逃げようとすると、今度は「来週の土曜日に来ますけれど、 それまでは大丈夫ですよね」とかたたみかけてくる。この人は要するに、夜中の外来で面談しただけで、 そのあと 1 週間分の言質を買おうとしている。

専門じゃないから分かりませんとか、先のことはまだ見えないから様子を見ましょうとか、 この頃になるともう真っ青になって逃げを打つんだけれど、そのたびに「専門外でもいいなら大丈夫なんですね」だの、 「様子を見ていいなら大丈夫なんですね」だの、外堀埋めてくる。

親御さんたちは、別に子供を病院に放り込みたい訳じゃなくて、とにかく「品質保証」がほしいみたいな感じ。 目の前の子供は、元気に普通にしているのに、その状況を誰かに承認してもらいたくて、 保証がほしくて病院に来る。見た目はごくごくまじめそうな、同じ常識共有できそうな、 「いい人」の皮かぶった人たち。

何を言ってもどう解釈されてるのか全然分からないし、一度「大丈夫」奪われたら、 使用期限抜きで「大丈夫」運用されそうなのが、本当に怖い。

交渉ルールの外に立つ人

漠然と、誠実さのミスマッチという現象がある。

不実な症状を訴えた、不実そうな患者さんが、不実な時間帯に来たならば大丈夫。 不実な症状を、不実な時間帯に、誠実そうな患者さんが訴えてたときは、ものすごく危険。 こういう人こそが、交渉ルールの外側に立つ人だから。

真夜中に「ちょっと頭痛い」なんて、酔っ払った怖そうな人が来て、 医療者側が何か対応にしくじったところで、そんなに怖くない。そんな人たちは 交渉というものをよく分かっていることが多くて、最終的には 医療者側が頭を下げれば、トラブルは大きくならない。

ちょっと見た目「誠実」そうな人が、夜中に「ずいぶん前からの軽い症状」訴えてきたときが、 実は一番怖い。こんな人達は、純真無垢に医療従事者の完璧性を信じてて、 「医療者とはかくあるべき」みたいな俺様定義を振り回すから、交渉できない。

交渉のルールが見えない状態。医療者側が、よしんば何か「失敗」したところで、 ルールが見えないから、自分たちの側からは、そもそも何が失敗だったのかすら 分からない。目隠ししたまま地雷原の中歩いてる気分。そんな人たちは、一見すごく 「誠実」そうな顔をしていて、その人たち自身もまた、自分自身のことを 誠実だと信じてるから、余計にたちが悪い。

訴訟にまで発展するようなトラブルケースは、たいていの場合、被害にあった患者さんご家族は、 病院のことを「信じて」いて、「真実を知りたくて」訴訟に踏み切る。たぶんそんな言葉は、 ご家族から見れば心の底からの真実であって、ポーズなんかじゃないんだと思う。

たぶん多くの医療従事者が、真夜中に来た「誠実な」患者さんに、気がつかないうちに 「大丈夫」を販売していて、一人歩きした「大丈夫」が、たぶんどこかのタイミングで 災厄を引き起こす。

それはもはや、医療者側からコントロールは出来ないし、病院側はそもそも「悪いことをした」という 認識すら持たせてもらえないだろうから、対処の手段が見つからない。

クリティカルコミュニケーションのこと

現場での「クリティカルコミュニケーション」を題材にした本を 誰か書かないかな、と待ってるんだけれど、なかなか出版されない。

精神科の面接技法はちょっと違うし、カウンセリング畑の人たちが書いた本は、もっと違う。 患者さんサイドから「こうあるべき」なんて書かれた本は、あれは無理筋な願望であって、 現場見てない。

人質交渉人とか捕虜尋問官、メーカーのクレーム窓口の人とか、いろんな立場の人たちが 「交渉」をテーマに本を書いていて、どれも面白い。面白いんだけれど、ああいった本は、 そもそも「交渉が出来る」人との争いかたをまとめていて、交渉というルールの外側にいる人たちを 対象にしていない。

医療従事者の掲示板なんかでは、訴えた相手方は、理不尽で、わがままな、 ひどい人だという叩きがよく見られるし、訴えられた側からすれば実際その通りなんだけれど、 トラブル起こす前、その人たちが「普段どう見えていたのか」を知ることが、とても 大切なんだと思う。それが見えないと、「次」が来たとき、やっぱり誰か義性になる。

地雷処理のやりかたと同じ。地雷は怖いけれど、まずは地雷というものがどんな形をしていて、 どんな場所に仕掛けられやすくて、どんな状況で爆発するのか、犠牲者を通じて分析しないと、処理は出来ない。

「地雷は悪魔の兵器です」なんて、いくら声高に叫んで、地雷処理する人たちが集まって 怪気炎あげたところで、対処のやりかたが研究されなければ、地雷はたぶん、 いつまでたっても有効な兵器として使われるんだろう。