交渉における火砲の役割

交渉の場に参加する人たちには、「歩兵」や「砲兵」、「騎兵」のような 兵科の区別というものがあって、自らの兵科を理解しないで交渉に臨むと、 その強みを生かせなかったり、場合によっては墓穴を掘ることになってしまう。

「火砲」という決定的な力を持った、「砲兵」のお話。

火砲というもの

  • 「弁護士のような資格を持っている」こと、「説得力のある暴力を行使できる」こと、あるいは 「正義を自分のために運用できる」ことが、交渉の場において、火砲として役に立つ
  • 正しく生かすことができれば、それだけで交渉が終了するぐらい、火砲は決定的な威力を持っている。 その代わり、それを生かせる前提作りが不十分な状態で火砲を行使しても、いい結果は得られない
  • 一度「火砲」を行使すると、状況はもはや、後戻りができなくなる

火砲は決定的な威力を持つ反面、それが生かせる状況は限定される。 相手が見えないと撃てないし、風が強かったら外れるし、 1 mにまで接近した相手を狙ったところで、狙いを定める前に襲われてしまう。

砲兵はだから、「火力を持った強い歩兵」などではなくて、 歩兵とは全然違った戦闘教義に基づいて運用しないと力を出せない、 全く別の兵科だと理解する必要がある。

法律という火砲

たとえば法律という武器は、それが正しく行使されれば、交渉の流れを決定する、 強力の武器だけれど、「こちらが合理的な説明を繰り返しているのに、相手がそれを拒否している」という状況が、 前提として成立していなければ、その威力を生かすことができない。

法律家はあくまでも、「法律という火砲」を扱う専門家であって、 法律が生かせる前提作りが為されていないまま、 法律家を「交渉の名人」として交渉のテーブルに招いたところで、状況は解決しない。

弁護士は、「交渉に強い」というイメージを持たれたり、あるいは弁護士の人たち自身、 交渉に強いという自己イメージを持っているからなのか、「弁護士が書いた交渉の本」は、 世の中に何冊も出回っている。

弁護士の人たちは、法律の知識という強力な武器を持っているのに、 「弁護士の交渉学」には、その武器を駆使するやりかたが書かれていない。 「弁護士の交渉学」ではむしろ、自らの、「人としての交渉哲学」みたいなことが、 一生懸命語られる。その内容はたいてい、心理学系の人たちが書いた交渉のコツみたいなことばっかりで、 それを参考にして役に立てようだとか、あんまり思えない。

弁護士はしばしば、職業からは考えられないような失態をしでかしたり、 「職業倫理に反した」振る舞いを犯したりする。あれなんかはたぶん、 法律という決定的な武器が使えない状況におかれながら、それでもなお、 「交渉の名人」であることを要請されて、無理な交渉に足を踏み入れてしまった帰結なのだと思う。

暴力や正義にも使いどころがある

「暴力」という武器も、交渉においては、万能ではあり得ない。 たとえば交渉のテーブルに着いたその瞬間に、「殺すぞ」なんてすごんだところで、 相手がそこから逃げてしまえば、交渉は続かない。警察にでも駆け込まれれば、事態はむしろ悪くなる。

恐らく暴力という火砲が効果を発揮するためにも、いくつかの条件がある。

交渉の場所が外から閉じていること。そこに集まったすべての人が、 言いたいことを言い尽くして、みんな後に引けない状態になっていること。 恐らくもう一つ、「平等に痛みを分かち合う」以外の選択枝が見つけられないという、 こうした前提がそろったところで、交渉を解決するためのきっかけとして、暴力が場から要請されるのだと思う。

火砲には、もう一つたぶん、「正義」というものがあって、市民団体を率いる人だとか、 場合によっては政治家の人たちがこれを使う。正義もまた、前提条件に厳しく縛られる 「火砲」であって、前提条件を満たせないままに正義が発動されても、むしろ使った人が傷ついてしまう。 恐らく「正義」が効果を発揮するためには、マスメディアという、「騎兵」に相当する兵科の援助が必要なんだけれど、 このあたりはよく分からない。

運用は運用でしか解決できない

狙いを外した大砲を、いくら強力に改造したところで、大砲はやっぱり当たらない。

運用の問題は運用で、技術の問題は技術で、解決は、それぞれ別個に行わないと意味がない。

交渉において、「火砲が生かせない状況」を、「火力の増加」によって解決することはできない。 それを試みた砲兵は、たぶん増加したその火力で、自ら損害を被ることになる。

前提作りというものは、恐らくは「歩兵」の、利害に直接絡む、 現場でお互いに、直接交渉に当たる人たちの仕事なのだと思う。

相手を理論で追い詰めるとか、隠しておいた証拠を突きつけてみるだとか、 あるいはちょっとした、「後戻りの効く」程度の暴力をふるうだとか、「歩兵」どうしの、 そんな「白兵戦」が重ねられていく中で、状況がある「前提」に到達する。 それを決定的なものにするために、はじめて「砲兵」が要請されて、火砲は威力を発揮する。

歩兵の戦いかた。騎兵の戦いかた。砲兵の生かしかた。「兵科」が異なれば、 振る舞いかたはみんな異なって、自分の属する兵科の長所を生かしながら、 相手兵科が生きる前提を避ける、交渉は、そんなやりかたをしないといけない。

相手が弁護士だから、マスメディアだから、そういう人たちが乗り込んできたからそれで「負け」ではないのだと思う。

「歩兵」にもまた、歩兵にしかできない、能力の生かしかたがあるのだから。