もうすぐ家が建たなくなる

何となくだけれど、自分たちの業界では、もうすぐ「家が建たなくなる」予感がする。

業界からは、「いわゆる大工さん」がいなくなる。

煉瓦を積む専門家だとか、かんなをかける専門家はたくさん生まれるだろうし、 そうした「部分の専門家」の腕前は、おそらくは昔ながらの大工さん以上に優秀なんだけれど、 家は建たない。

「家建てる人」を目指している研修医は少ないか、もしかしたらみんな、「家を建てる」ことから逃げている。

部分の専門家

自分が昔習った病院は、「部分の専門家」を生み出す方針だった。

患者さんの方針は上司が決めて、研修医は、まずは手を動かす。

胸水のたまった肺炎の人が入院する。チェストチューブを入れるとか、 人工呼吸器をつなごうだとか、そういう決断は上司が行ってくれて、 研修医は上司の監督下に、手を動かす。

手が動くと、なんだか上手になったようで、やる気が出る。「一人前」になった気がする。

そればっかりやってると、「治る」というのは、部分を積んだ先に、いつの間にか降ってくる何かみたいに 思えてくる。目をつぶって、ひたすら目の前の「煉瓦」を積むことだけに没頭していると、 いつの間にか、そこに「家」ができあがるような。

もちろんそんなことをしても、できあがるのはせいぜい「壁」で、本当は、 指揮をする「大工」がいて、はじめて家が建つんだけれど、「煉瓦の専門家」だった自分には、 それが見えなかった。

震災の昔

阪神大震災の時、若手が動けなくて大変だったんだよ」なんて、先輩の昔話を聞いたことがある。

自分がまだ学生だった昔、阪神大震災がおきて、当時の若手は大挙して、 現地の救急外来を回すために現地入りしたんだという。

みんな縫えるし切れるし薬も知ってるし、論文だって読む。「手を動かす」ことだったら、 たいてい何だってできるはずなのに、怪我した人を診て、その人が「治ったイメージ」を想像して、 そこまでの道筋をつける、そうした訓練をだれもうけていなかったものだから、 救急外来は最初の頃、まわらなかったんだという。

現地にはそれでも何人か、道筋をつけられるベテランがいて、もちろん現場は動いたのだけれど、 その人たちは「取り替え」が効かないものだから、交代できなくて、ずっと現場に張り付いていたのだと。

あと何年かして、ベテランが現場からいなくなると、このときの状況が再現されそうな気がして、けっこう怖い。

大学には大工さんがいた

神経内科をまわってた頃、大学から来た先生に、「どうしますか?」なんてやること尋ねて、 「この人は寝たきりで返すのがゴールになると思う」なんて返事を聞いて、ずいぶん驚いた。

自分は研修医だったから、予期していた返答は、とりあえずの点滴だとか、治療に使う薬だった。 当時の自分は自分は「治療」を見ていて、その人は、「治癒」、患者さんが退院するときの イメージを描いてた。そういう発想は、そのときの自分になかった。

昔の大学病院は、医局からの派遣でいろんな病院をまわる。当時は「臓器別」なんてハイカラな制度はなかったから、 循環器内科医も消化器疾患を診るし、外科医局には「外科しかいない関連病院」がたくさんあって、 外科の先生たちはたいてい、内科も診た。

知識がないからちゃんとできるわけないんだけれど、適当にやる。何とかする。日本中そうだった。

いい加減だけれど「何とかする」という訓練を積んで、昭和60年ぐらいまでの昔は、 それでもそれが許されたから、医師というのはみんな、「いわゆる大工さん」だった。

「大学のやりかたは根本的に間違ってる」なんて、自分が入った研修病院ではそう教わったけれど、 「いびつな専門家しかいない」はずだった大学病院の循環器内科医局は、 カテ屋さんなのに大腸カメラができたりして、自分なんかよりもよっぽどゼネラリスト揃いだった。

専門家が眉をひそめるような、いいかげんなやりかたであっても、とりあえず何とかして、治して帰す。 治癒のイメージを描く練習は、昔の「専門家」は、病院を問わず、当たり前のようにできていた。

そういう人は今、もう40代超えてて、みんなそろそろ開業したり、「次」を考えてる。 その人たちをみてショック受けた自分たちだって、臓器別の診療科制度が敷かれる以前を知っている最後の世代。

もうすぐ家が建たなくなる

「絵がうまくなる」ためには、とにかく何度も完成させることを繰り返すんだという。 「線を引く練習」だとか、「顔の輪郭描く練習」をいくら積んだところで効果がなくて、 きれいな絵を描くためには、とにかく完成させて、失敗して、落ち込んで、また次を完成させる、 それを繰り返すしかないんだと。

いい加減なやりかたであっても、とにかく完成させる練習を繰り返す、 昔ながらのやりかたは、うちの業界で続けるのは難しくて、 自分にはどうすればいいのか分からないし、処方箋を知っている人は、たぶんいないんだろうなと思う。

誰か患者さんが「家」を買おうと相談して、ひたすらに煉瓦を積んだ「壁」を売られる時代が、たぶんそこまで来ている。

支えのない壁は崩れてしまうんだけれど、文句を言ったら、 「私は煉瓦にベストを尽くしました。壁が崩れても、それは企画を持ち込んだあなたの責任です」なんて返答される。

うちの施設も人がいなくて、夜間の全科当直には、整形外科の先生方にも手伝っていただいて、 田舎の病院はようやく回る。

手広く内科の専門医を標榜する近所のクリニックは、それでも18時を過ぎた頃になると、 「貴院にての専門的ご加療をよろしくお願いします」だなんて、時間外の患者さんを紹介してくる。

「私は整形外科なので、せめて先生、最初の一晩だけでも、内科の指示をいただけませんか?」なんて、 当直の整形外科医は電話対応するんだけれど、応じてくれたことはないんだという。