交渉には語彙が足りない

「平和を欲するならば戦争を理解せよ」 みたいな金言を、交渉ごとに持ってこようとすると、 困ったことになる。

コミュニケーションについての文章を書くなら、金言は 「○○を欲するならば、交渉を理解せよ」なんて文章に ならないといけないのだけれど、「○○」に相当するもの、戦争という手順が目標として想定する「平和」に相当する何かが、 交渉には存在しない。

交渉という手段が、「目標」として想定する何かは、 「交渉」という行為を描写するための単語リストに、そもそも存在しない。

交渉を行って、とりあえずそれに「勝った」として、じゃあそこで何を目指すのか、 たぶん想像以上にたくさんの人が、それを想定しないのだと思う。

「交渉学」を記述するための言葉

交渉ごとにおける目標、「交渉の成功」というものを、何らかの「組織」、 友人同士のコミュニティから会社組織に至るまで、何らかの序列構造の中において、 相手よりも上位に立って、その状況を維持することであると、とりあえず定義する。

目標が決まって、はじめてやるべきことが見えてくる。

まず最初に、自らが置かれている「地形」の把握が為されなくてはならない。

  • 相手と自分とを比較して、どちらが「高い」位置に立っているのか
  • 「地形」というものは絶対的なものなのか、それとも論理や暴力といった手段を用いて、相対的に変更可能なものなのか
  • 自分達が置かれている「地形」は、それが武器として利用可能な程度に険しいものなのか、 それとも無視しうるぐらいに平坦なのか

交渉を始めるにあたっては、だからまずは「自分を知る」ことから開始しないといけない。

地形要素の強い場所で交渉を行うならば、場所の概念が主要になる。交渉の成否は、 この場所において、あるいはむしろ、この場所によって決定される。 議論が上手であること、自ら正当性を保持していることといった、「人」に属する能力は、 それが「地形」に影響を与えない限りにおいて、意味を持たない。

相互が置かれている状況が、「地形」を持たないフラットな場所であるとお互い認識されて、 そこではじめて、「情報」というものが要請される。

  • 相手はどんな人間なのか。その交渉にどれぐらい力を入れていて、交渉の期限をいつまでに設定しているのか
  • どんな知識を持っていて、どんな交渉技法を得意としているのか

こうした「人」に属する情報は、交渉に「地形」効果が援用できない場所にいたって、 初めて意味を持つ。お互いが遭遇するまでの間に集められた情報量、自身が持つ最大火力と手数が、 交渉の成否を左右することになる。

交渉ごとというのは本来、ある目的があって、それを達成するやりかたが、こんなふうに導き出される。

原則立脚型の、「人」要素を交渉から排除する立場を取る「ハーバード流交渉術」の考えかたと、 詐欺師のテクニックだとか、心理学のテクニックみたいな、相手を「騙す」ことを狙った交渉術とは、 そもそも「交渉戦略」の中で、それが有効に働く場所が違うから、個人の中で、矛盾なく両立する。

ところが「交渉の言葉」には、まず「戦略」と「戦術」に相当する、階層性を持った交渉の表現が存在しない。

目標を決めるところから、実際に、個人と個人とが対峙する状況に至るまで、「交渉」には、 いろんなスケールがあるはずなのに、それを表現する言葉は「交渉」ひとつだけだから、 世の中にはあたかも無数の「交渉術」があるかのように見えて、混乱する。

今は暫定的に、目標を達成するための「戦略」に相当する言葉を「交渉」に、 個々の戦闘に勝利するための「戦術」に相当する言葉に「対話」を当てている。 もっとふさわしい言葉を探しているんだけれど、見つからない。

目的のある人は少ない

交渉を表現するための単語セットには、「交渉」という、ただひとつの言葉しか存在しないから、 そもそも交渉の階層性という考えかたがないし、階層がないから、 交渉の言葉では、「目的」もまた、記述できない。

恐らくはたぶん、交渉というものに、目的を持って臨む人というのは、実は少ないような気がする。

「交渉」に臨んで、みんなとりあえず「論破」を目指すけれど、目的も、戦略もそこにはないから、 せっかくの「勝利」を結果に結びつけられなかったり、「努力したのに報われない」だとか、 本来なら筋違いな怒りかたをする人がでてくるのだと思う。

湾岸戦争前夜のホワイトハウスを描写したドキュメント「司令官たち」には、 「文民」の人達が「武力」のカードを切ろうとしては、 軍人が「今は止めるべきです」なんて進言するという状況が、何度も繰り返される。

ブッシュパパをはじめとする「文民」側の空気は、「とにかく軍事行動」でおおむね一致しているのに、 それを一緒に聞いていた国防長官は、それでもその時、何をすればいいのか、いっこうに見えなかったんだという。

まず必要なのは、「軍事目標」と「任務」なのに、みんな「ならば戦争だ」とか盛り上がっているのに、 戦争するなら何を目的とした計画を立てればいいのか、イラクへの報復なのか、 それともクウェートの解放なのか、それともサウジアラビアの防衛なのか、そういうものを、誰も決めなかったのだと。

いろいろあって、「とりあえずサウジを守ろう」なんて結論が出て、 米軍の先遣隊が向かった矢先、ブッシュパパは「イラク侵略を逆転させる決意を持っています」 なんてメディアに語って、パウエル国務長官はびっくりしたらしい。 サウジの防衛と、クウェートからのイラク軍放逐とは、同じ「戦略」からは、決して出てこない目標だから。

戦略家のリデルハートは、「複数の目標を考えよ」と説く。

同じ戦略から到達しうる目標を複数用意しておけば、成功率は高まるし、 相手は目標が予測しにくくなるから、戦いを有利に進められる。リデルハートは軍人だから、 軍人にとって、絶対動かせないものは「戦略」であって、「複数目標」の前提は、 あくまでも「単一戦略」であるように思える。

政治家の人達は、武力を行使すれば、目的は達成できるなんて考える。 軍人にとっては、戦争というのは予想しがたいものであって、明確で、 達成可能な目的が示されて、そこではじめて、取りうる手段のひとつとして、 選択枝に上がってくるものなのだという。

軍人というのは、政治家から提出された、「目的」を達成するためのプロであって、 目的がなければ、動けない。政治家は、目的立案のプロでなくてはならないのに、 たぶん「プロ」である政治家は、案外少ない。

出来れば将来、交渉の本が書けたらいいな、なんて思って、言葉を探してる。

で、軍事方面の考えかたが面白くて、それを「交渉」に移植しようなんて考えて、 やってみると、語彙が足りなくて、「交渉の言葉で交渉を語る」ことが、 とんでもなく難しい。

こういうのは、日本語だけの問題なんだろうか。。