属性が事実を編集する

ある属性が付加されたその瞬間から、その人の振る舞いは、属性により、事後的に編集される。

たとえば「高慢で冷淡」という属性を貼り付けられた人は、どれだけ丁寧に、 へりくだった振る舞いを心がけたところで、振る舞いの中から「高慢で冷淡」な部分だけを 切り出され、属性どおりの人間だと思われてしまう。

事実として、その人がどんな振る舞いを行おうと、観測者には、先入観にかなった部分だけが認識される。

自らに付加された属性を理解しない限り、漠然と丁寧な態度を心がけても、 その努力は、実体として、その人の置かれた境遇を変えるだけの力を持ち得ない。

血液型性格仮説は正しい

血液型仮説は間違っているけれど、たとえばA 型の人というのは、 社会の中ではやっぱり「A 型っぽい」と思われる。

「A 型はまじめだけれど頑固」なんて先入観を持つ人は、A 型の「A 型っぽい」振る舞いに注目する。 A 型がどう振る舞おうと、わずかでもまじめに見える部分があれば、「さすがA 型」なんて評価されるし、 わずかな意見のすれ違いがあれば、「やっぱりA 型は」なんて納得される。

血液型仮説の理屈は嘘かもしれないけれど、現象としての血液型と性格との相関は、 血液型性格仮説を信じる人達にとっては、紛れもない真実としてうつる。

「血液型によって性格が規定される」が真であるかどうかは分からないけれど、 「A 型の人が血液型を公開されると、周囲はその人のA 型っぽい振る舞いに注目するようになる」は、 真実だと思う。

太陽黒点活動と景気循環との連動なんかもそうなんだろうけれど、 多くの人が抱く、科学的な根拠に基づかない先入観みたいなものが連鎖すると、 それはいつしか、実体としての力を持ってしまうのだろうと思う。

「科学的」には間違っているかもしれないけれど、なぜか社会で通用してしまう、 こんな法則は、頭からそれを否定する人よりも、それを信じたり、利用できたりする人のほうが、 社会ではたぶん「うまくやる」。

科学的であるということ

たとえば「血液型の分からない人を部屋に入れて、血液型信者の人がその人の血液型を当てる」、 という実験系を組むと、血液型仮説を信じる人は、たぶんその人の血液型を当てられない。

一方で、血液型性格仮説を全く信じない被験者を用意して、その人の血液型を公開した上で、 どこか実社会で生活してもらって、1 年後ぐらいに近隣の人達からアンケートを取れば、 その人は「典型的なA 型人間」だなんて認識されている可能性が高い。

人間の振る舞いを評価する実験系に、「人間には前知識がない」という前提を置くのは、 やりかたとしてもちろん正しいんだけれど、社会を理解する上では、 ずいぶん現実と隔たったやりかたにも思える。

科学というものさしで真偽を評価するためには、どこかで安定した、不変の状況を想定しないといけない。 状況そのものが、その仮説により変容してしまう、血液型仮説だとか、太陽黒点による株価変動だとか、 そういうものを評価するための道具として、いわゆる「科学的」なやりかたは、 限界があったり、そもそも実体として「うまくやる」役に立っている、 そうした知識を評価することが出来ないような気がする。

属性とつきあわないといけない

医療ボランティアの人達による、医師の外来接遇講習会みたいなやりかたには、だから意味がないのだと思う。

ありがたくも医師を「矯正」してあげようだなんて、そんなボランティアの人達というのは、 もちろん本人は全否定するだろうけれど、「そもそも医師は高慢で冷淡だ」なんて、 そんな前提で動いてる。

ボランティアの人達は、わざわざ自分の時間を割いて、自分の前提を確かめるために講習会に参加する。 努力は報われないといけないから、参加した医療従事者は、どんな振る舞いを行おうとも、 「高慢で冷淡」という属性からは逃げられない。

講習会による「矯正」には何の意味もないけれど、ボランティアに参加するような人達の話は、 きっと役に立つ。

自分に貼られた属性が理解できれば、それとつきあって、自らの力として、利用することだって出来る。

それがA 型の人ならば、普通の成果を上げても、「精密である」と評価される反面、 些細な瑕疵でも、失敗は、しばしば実態以上にその人の評価を下げるから、避けないといけない。

医師に貼り付けられた属性が、「冷淡で高慢」ならば、冷淡さにつながる状況、 たとえば「否定」というカードを、交渉の場から追い払う努力をしないといけないし、 たとえば「診察室の外で、患者さんを気遣う」みたいな、ごくささやかな「やさしさの演出」から、 極めて大きな効果を得ることも出来る。

自分に背負わされたステレオタイプを理解して、それを生かした振る舞いをすることは、 「科学的」には意味がないけれど、きっと実社会で「うまくやる」役に立つのだと思う。