コミュニケーションの戦略論

こういう意識を普段から持っておくと、他愛のないおしゃべりが、 なんだか軍事作戦中の統合幕僚本部の雰囲気になって、ちょっと面白い。

そもそもコミュニケーションとは何なのか

コミュニケーションというものを、「意図を達成するために構想される、一連の行動計画」と定義する。

交渉者の目標は、自分の意図した度合いで、相手の意志をコントロールすることにある。 「論破」や「人格否定」、あるいは「勝利宣言」は、手段の一つであって、ゴールではない。

コミュニケーションが達成されるために、まずは相手との均衡を崩し、 「コミュニケーションの重心」をずらすような働きかけが行われる。 あらゆるコミュニケーション技法は、重心移動の手段でもある。

均衡が崩れ、重心がずらされた相手は、均衡状態に戻ろうとする。 コミュニケーションは、本来的に予測不可能なものだけれど、 均衡に戻ろうとする相手の行動は、予測ができる。

予測可能性が高まった相手は、様々な割合でのコントロールが可能になり、 コミュニケーションが達成される。

交渉者の理論

目標とするコントロールの度合いや、交渉者が対峙した相手との力関係などによって、 それぞれの交渉手法が得意とする状況は異なる。交渉者は、自らが置かれた状況を把握することが大切になる。

ほぼ全ての交渉者は、意識するしないにかかわらず、「組織内コミュニケーション」、 「水平型コミュニケーション」、「道徳的コミュニケーション」、「説得的コミュニケーション」という、 大きく4 つのやりかたのうち、どれかひとつ、あるいは複数を組み合わせて行使している。

大雑把に、組織内コミュニケーションと水平型コミュニケーションは「強者の戦略」、 説得的コミュニケーション、政治的コミュニケーションは「弱者の戦略」に分類される。 どちらかというと、組織内コミュニケーションと説得的コミュニケーションは「負けない」こと、 守備に強く、水平型コミュニケーションと道徳的コミュニケーションは、攻撃的な性格を持つ。

コントロールの達成には、大きく「順次的な」やりかたと、「累積的な」やりかたとがある。

理を詰めていく、順次的なやりかたは、結果の予測可能性が高い反面、 「地形効果」で無力化されたり、相手に論破された場合、全てを失うリスクを持つ。 うわさ話や陰口、心理学的な技法を用いた累積的なやりかたは、 相手を決定的にコントロールすることができない代わり、 自らを安全地帯に置いたまま、特定の選択枝への圧力を強めていくことができる。

交渉の地政学

コミュニケーションの大部分は、「組織内コミュニケーション」と 「水平型コミュニケーション」との争いとして記述できる。 決定的なコミュニケーションは、常に「組織内コミュニケーション」と 「水平型コミュニケーション」とが衝突する場所に発生する。

組織内コミュニケーターは、官僚組織に代表される組織内において、 相手よりも社会的な上位に立つことを目標にする。 水平型コミュニケーターは、カフェテリアでのおしゃべりのような、 フラットな、「地形」を意識しない場所での交渉を通じて、 むしろ質的な優位を目指す。

大雑把な傾向として、社会の上位に位置する者は、必然的に組織内 コミュニケーションを重視し、ビジネスマンは水平型コミュニケーションを用いて、 社会的な上位者に対して、質的な地位の逆転を試みる。

「水平型コミュニケーション」は「組織内コミュニケーション」を 封じ込めることができるが、逆はあり得ない。 水平型コミュニケーションを行使する者が、自らの優位を保持している限り、 組織内コミュニケーターは、水平型コミュニケーションの行使者には手が出ない。

その代わり、コミュニケーションにおける最終的な「勝敗」を決するためには、 常に組織内コミュニケーションが必要になる。交渉の最終局面において、 相手よりも社会的に、地形的に有利な立場に立つことによって、 コミュニケーションははじめて達成される。

組織内コミュニケーション

組織内コミュニケーションには「地形」の概念が大切になる。 他のコミュニケーション技法には、この考えかたは存在しない。

地形を持った「組織」においては、交渉者の行動は、 全て「戦術」レベルで決定される。組織内部に置かれた交渉者が、 大局的な、「戦略」を考える状況はまず発生しない。

組織内部では、常に交渉が発生している。あるいは、それが失われたその段階で、その人は、組織から排除されてしまう。 「遭遇」という概念は、だから組織内コミュニケーションには存在しない。 見えない相手のことを考える必要はなく、「自分の半径1 m を守備する」戦術が重視される。

組織内コミュニケーションにおいて、最も大切なことは「地形の把握」であって、 最大火力それ自体は、決定的な意味を持たない。自らの論拠がどれだけ正統なものであろうと、 「丘の上にいる」相手に対してダメージを与えることは、しばしば不可能なのだと 理解しなくてはならない。

地位や年次に代表される社会的な力、あるいは経済力、場合によっては暴力が、 コミュニケーション地形、組織内部における「丘」や「谷」を形作る。 それぞれの力はお互いに置換可能で、組織の上位者は、自ら「地形」を生み出すこともできる。

「そこに丘がある」ことが見えない人には、だから組織内コミュニケーションを行うことは できないし、そうした人には、組織の論理は、しばしば極めて理不尽なものに見える。

組織内コミュニケーションにおいて、「決定的な交渉」というものは発生しにくい。

状況は、局所、局所のわずかな勝利を積み重ねることによって、累積的に推移する。 ひとつの決定的な勝利は、以後の交渉における優位を、必ずしも保証しない。

水平型コミュニケーション

水平型コミュニケーションは、「場のコントロールの確立」と、 「組織のコントロールの確立のために、場のコントロールを利用する」ことの、 大きく2 つの部分から構成されている。

水平型コミュニケーションが行われる状況は、組織から「地形」要素が失われ、 それが「海」のように拡大したものと解釈できる。 海に地形は存在しない。大量の物資を移動、集中することができる反面、 海は広すぎて、相手はしばしば、遭遇するまで見えない。

水平型コミュニケーションは、「遭遇」から始まる。相手よりも早い状況把握が、常に有効な戦術となる。

最大火力と、手数の多さがコントロールを決する。 水平型コミュニケーションには、どこかに「決定的な状況」というものがあって、 そこを制した者は、以後の交渉を優位に進めることができる。

コミュニケーションが、必然的に連続したものになる組織内コミュニケーションにおいては、 人的関係の疲弊、「兵站」の問題が常につきまとう。水平型コミュニケーションが行われる状況では、 通常は、兵站の問題を無視してかまわない。

場のコントロールを確立した水平型コミュニケーションの巧者は、組織内コミュニケーションに干渉できる。

水平型コミュニケーションの技術を用いたところで、地形に守られた組織の内部に 直接手を下すことはできないけれど、プロパガンダのような「累積的な戦略」を用いることで、 組織内部のパワーバランスに影響を与えることができる。

政治的コミュニケーション

道徳的コミュニケーターは、平和だとか、平等だとか、反論不可能な概念から、 交渉者が望む結論を「科学的」に導いて、相手に同調を強いる。

道徳的コミュニケーションにおいては、相手の同意というものは、交渉の結果でなく、 理論から導かれる必然であると定義される。同意しない相手は「理論を理解しない馬鹿者」 であって、非難の対象となる。このコミュニケーションおいては、だから「コントロールの確立」と、 「相手の破壊」とが、しばしば暗黙的に同一視される。

自らが道徳の保持者であると宣言すること、その状態を維持したまま、 相手の同意を取り付けることが、道徳的コミュニケーションにおける基本戦略となる。 道徳的コミュニケーションは、それを仕掛ける側が、反論不可能な「道徳」の保持者でいられる限りにおいて、 常に状況を有利に進められる。組織が持つ「地形」は、運用された道徳に対してしばしば無力であり、 道徳的コミュニーターは、組織の奥深くにまで、自らの手を伸ばすことが可能になる。

その代わり、前提となる道徳自体が攻撃されると、道徳と、そこから導かれた論理が生む「必然」によって 結びつけられた味方集団は、力を失ってしまう。

道徳権利者の「純化」志向と、「原理主義の台頭」は、この戦略が内包する宿命的欠点となる。

純粋さの表明を求められた道徳保持者は、純粋な原理と、実情の齟齬を指摘された結果として、 実生活を選んだ者の離反と、コアメンバー純化が生じる。純化を繰り返す過程において、 コアメンバーが実社会から離反した道徳的交渉者のコミュニティは、しばしば崩壊を余儀なくされる。

道徳を制する者は勝利するし、道徳を巡る争いに敗北すれば、コミュニケーションは失敗する。 「道徳保持権」の獲得と維持こそが、道徳的コミュニケーションの成否を分ける。

説得的コミュニケーション

説得的交渉者は、既存の組織、あるいは道徳の意味を上書きして、全く新しい価値を提供することを試みる。

説得的コミュニケーションにおいては、「決戦」などというものは存在しない。 交渉には、常に累積的なやりかたが選択され、決定的な、目に見える形での交渉というものは、そもそも発生しない。

説得的コミュニケーターの姿であったり、あるいは意図などは、常に相手側から隠蔽される。 説得的コミュニケーションは、その効果が不確実である代わり、交渉者は、常に自らを安全地帯に 置くことができる。このため、このコミュニケーション技法には、 防御のための戦術というものは存在しない。

説得的コミュニケーションにおいては、「境界」や「遭遇」の概念は存在しない。

人がいるその場所は、常に交渉の「前線」になる。交渉に参加する人と、 交渉を見物する人とを、説得的コミュニケーションは区別しない。

説得的コミュニケーションの効果は予測不可能で、曖昧である代わり、ときに壊滅的なものになる。 説得的なコミュニケーションが成功裏に達成されると、上書きの対象となった組織、 あるいは道徳の価値は喪失し、それを論拠にした交渉技法は、その力を失ってしまう。