分散された脅威への対処

いろんな要素が徹底的に分散された架空兵器の思考実験。

中枢を持った脅威のこと

あまりにも強力すぎて、事実上弱点の存在しない敵を相手に、「弱い味方」をどう運用すれば勝てるのか。

大昔、OGRE (オーガ) という、巨大戦車を主人公にした ゲームがあって、「強い単体対弱い多数」をテーマにしていた。

「敵」になるのは人工知能を持った巨大な戦車。1 台しかいない代わり、射程の長い、強力な武器を 山ほど積んでいて、普通に勝負したのでは、「味方」側は絶対に勝てない。

「味方」は単なる歩兵であったり、ちょっとした放題であったり。巨大戦車の前には単なる雑魚だけれど、 その代わりたくさんいる。

プレイヤーは、たくさんの弱い味方を様々に配置して、巨大戦車を迎え撃つ。相手が動くほどに 犠牲が増えるから、とにかく相手の「足」を止めて、それから武器が尽きるのを待つだとか、 弱い側には弱いなりに、いろんな攻略方法があった。

「単体だけれど強力な敵」に、無力な味方が知恵と工夫で対峙するテーマは、いろんな物語に引用されている。

ゴジラ」みたいな単体の敵は典型的だし、映画「インディペンデンスデイ」みたいな巨大艦隊で攻めてくる敵もまた、 必ず「中枢」を持っていて、主人公が頑張って、そこを叩ければ、たいていの問題は解決する。

架空の戦争を扱った物語には、「中枢を持った強大な敵」がたくさん出てくるけれど、 次に来るのはやっぱり、中枢を持たない、分散された強大な敵になるような気がする。

叩くべき中枢を持たない、事実上弱点が存在しない、そんな「敵」に対峙した、 弱い味方の物語。

追記:「エンダーのゲーム」に出てくる敵は、「中枢を持った巨大な敵」の延長と考えています。

「たとえ相手が強大であったとしても、自滅前提の攻撃を、指導者は命じてもいいものなのか?」という テーマがあって、「エンダー」は、司令官を何も知らない子供に設定することで、この問題に回避をかけているのかなと。

たとえばこんな究極兵器

襲われる側から見た「敵」の見た目は、要するに爆弾を抱えた無人機の群れ。

1 トンぐらいのペイロードを搭載可能な、無線誘導の無人機が500機ぐらい、 ある日主人公が住んでいる地域の上空に群れをなして現れるところから、物語が始まる。 ちょうど巨大な鳥の群れが、無目的に旋回しているように見える。

無数の無人機には、IP アドレスみたいなものが割り振られていて、各々の機体は。 本国からの制御を受け入れるとともに、制御信号の中継も行っている。 ちょうどインターネット電話の「Skype」みたいに、全ての無人機は、 中枢を持たないネットワークを介して、本国と繋がっている。

鳥の群れみたいな無数の無人機が上空に到達したあと、「敵」はその国に、選択を迫ることになる。

無人機は数が多いだけで、撃墜することそれ自体は簡単だから、戦うこともできる。 戦ったらその代わり、撃墜された無人機の爆弾は、真下の都市に落ちてしまう。

反撃を放棄するならば、無人機の群れは、あたかも「脳外科手術を行うように」、敵側パイロットによる 都市の精密爆撃が行われて、その国の機能は麻痺することになる。

黙っていれば、あるいは無線の信号を邪魔すれば、無人機の群れはいつまでもそこで飛び続けて、 制御が効かなくなったり、あるいは燃料が尽きたとき、全ての飛行機は墜落して、都市は無差別爆撃を受ける。

無人」のメリット

米軍の無線誘導機「プレデター」が改良されて、1機あたり最大1.7トンのミサイルを搭載して、 対地攻撃に使えるようになった、なんて報道されてた。

無人でいい」利点というのは大きくて、たぶん機体設計の考えかたなんかは、今までの戦闘機とずいぶん変わる。

人が乗る必要がないから、撃墜されても困らない。機体には、運動能力だと加速力だとか、 パイロットが「勝つ」ための性能が不必要になって、ただ単純に、安くて作りやすくて、 あとはたくさんの爆弾が詰めるような設計にすれば、十分に役に立つ。

無人機は、飛びながらにしてパイロットを「交代」できるから、燃費は武器になる。戦闘機パイロットは、 たとえば24時間寝ないで戦ったら倒れてしまうだろうけれど、これが無人機ならば、 交代しながら何十時間でも飛び続けて、疲労しない。どれほど強力な軍隊であっても、 パイロットが人間である以上は限界があって、のろまだけれど疲れない無人機が群れをなすと、止められない。

無人攻撃機の群れに必要なパイロットは、少ない数で済む。

1000機の航空機を飛ばすためには1000人のパイロットが必要になるけれど、 無人機の「群れ」を引率するためには、先頭の一機だけ操縦すれば、あとは簡単な制御でついてくる。 鳥はきれいな編隊を組んで飛ぶけれど、あれなんかもまた、群れの中央に向かうこと、 他の個体と同じ方向を向くこと、近づきすぎたらお互い離れることという、ごく単純な 命令を与えるだけで再現できる。

敵の上空に「群れ」がたどり着いたら、パイロットは各々、群れから任意の機体を選んで操縦して、 撃墜されたなら、また群れに戻って、別の機体を選んで操縦できる。

シューティングゲームと同じく、撃墜されてもやり直せる環境で戦えるから、 無人機を操縦する人にとっては、まさにゲーム感覚の戦闘になる。

無人機というのはこれから増えるんだろうけれど、相手にする側はたまったもんじゃないだろうなと思う。

隣の子供が殺人者になる

物語の舞台装置としてもう少し悪意を入れるなら、無人機の操縦桿を、 子供達にゆだねるても面白いと思う。

ネットワークでつながったゲーム、それはファンタジー仕立てのものもあれば、SF 仕立てのものもあったり 様々だけれど、なにかその時はやっているゲームを仮想して、ある日その舞台が、 主人公がいる都市になる。見た目はゲーム世界のままだけれど、建物の配置は世界のどこかと同じになって、 ゲームに出てくるモンスターは、味方兵士の場所に配置される。

自機を操作して、ゲームに出てくるクリーチャーを、ネットワークにつながった子供達が狙う。

敵を倒すために押したA ボタンは、そのまま無人機の爆弾制御装置に接続されている。 ゲーム世界の敵が吹き飛ぶとき、実世界でもまた、建物だとか、味方の兵士が吹き飛ばされることになる。

味方がゲリラ戦を挑もうにも、世界中の「ゲームで遊ぶ子供達」は無数にいるから、疲れない。 兵士が奮闘するほどに、「ゲーム」は面白くなって、ゲーム世界でキルマークを稼いだ「勇者」は、 明日はそこで戦っている自分の父親に向かって、ミサイルを発射するかもしれない。

無人機の群れはいつまでも上空に舞って、ゲーム世界でモンスターの全滅がアナウンスされるときまで、 戦いは終わらない。

分散された脅威のこと

映画「インディペンデンスデイ」の昔、敵というのは常に中枢で制御されていて、 どこか一点を破壊できれば、案外脆く、逆転できた。

兵力を分散するやりかたは、破壊するのが困難で、生存確率が高い代わりに、 統率の取れた動きは難しかった。

インターネットの考えかただとか、「創発」の考えかたが生まれて、今はたぶん、 その気になれば、分散と、統率とは、ネットワークを利用して両立可能になった。

分散した、相手の「顔」が見えない、もしかしたらそもそも「敵」は、 自分がやっていることが人殺しであることすら気がつかない、 そんな状況に対峙した人を主人公にした物語を読んでみたい。

そんな「敵」と戦うことを決断したその時点で、主人公が住む地域は、無差別爆撃の脅威にさらされる。 恐らくはだから、地元住民の半分ぐらいは主人公の決定に反対するから、物語が始まったその時点で、 主人公はいろんな「敵」と対峙することを強要されるはず。

「スーパーハッカーが作ったウィルス一発で敵が全滅」ではつまらないけれど、 「無敵兵器が無敵でいられる条件」というのは、恐らくは案外狭くて、 何かの前提をキャンセルできれば、「無敵兵器が無敵でなくなる状況」を生むことができるはず。

自分なんかが考えると、この状況は最初から詰んでいるんだけれど、何かアイデアが思いつければ、 結構面白い物語が書けると思う。