「勝つ予感」はデザインされる

恐らくは「名将」なんて持ち上げられるような人というのは、あとから冷静に振り返ってみると、 案外「ショボい」勝利しか上げていないような気がする。

「名将」はその代わり、大きすぎる問題を切り分けることが上手で、「小さく解決する」やりかたをデザインして、 現場から「勝つ予感」を引き出すことが上手で、もうひとつ、そうして得られた小さな勝利を運用して、 それを大きな戦果に結びつけるのが上手なのだと思う。

えらい人が指揮する部隊は怖い

墨東病院が大騒ぎになっている。

人手が絶対的に足りなくて、結果的に患者さんが一人亡くなった。都知事厚生大臣と、 日本を代表するような大物が二人、病院を舞台に喧嘩を始めた。すごくよくないことだと思う。

どちらが勝つにしても、喧嘩の舞台になった病院は、これから先は、 大物自らが指揮を執ることになる。

ふがいない。俺様自ら戦闘というものを教えてやる」なんて、 現場を知らない大将軍が指揮したぶたいは、たいてい悲惨な結末を迎える。

大将軍はどうせ間違えるし、絶対に退却を許さない。一番えらい人が間違えるなんてありえないから、 代償軍はたぶん、敗北を認めるぐらいなら、現場に玉砕を命じる。屍の山を前にして、 大将軍は「やれるだけのことはやった」なんて独りごちて、自分は安全地帯に引き上げる。

厚生大臣都知事と、現場を知らないことではいい勝負の、「大将軍」争う場所には、だから誰だって居たくない。 大学だって恐くて人を出せないだろうし、フリーランスの人達だって、寄りつかない。

あの病院にはだから、これから人が増えて盛り上がるとか、ちょっと想像しにくい。

「大将軍」がそこにいる限り、なんというか現場には、「勝つ予感」みたいなものが、全くしてこないから。

なんとなく「インパール作戦」の状況に似ている気がする。

負け戦になるのが見えていて、現場はみんな反対したのに、 「失敗したら腹を切る」だとか、気合いの入った将軍が指揮を執って、 結果として何万人もの日本兵が餓死した戦い。

戦いの途中で糧食はつきて、現場は何度も撤退の伺いを立てたけれど、 将軍はそれを許してくれなかったのだという。

墨東病院は都立だ。都立の医師は、食わず、眠らず、人がいなくても患者を取るもんだ。それが都立だ。 それを泣き事言ってくるとは何事だ。 人がいなくても手を増やせ。手がなくなったら足で働け。 足がだめなら頭を使え。都立病院には大和魂があるということを忘れちゃいかん。東京は首都である……

最後はたぶん、こんな訓辞を「将軍」が述べる中、寝不足の現場からは、人がいなくなってしまうんだろう。

予感はデザインされる

太平洋戦争直前、黒部渓谷第3 ダムのトンネル掘りに携わっていた現場の人達は、 摂氏150度にも熱せられた岩盤にぶつかって、非常な苦労をしたんだという。

これぐらいの温度だと、運が悪いと「発破」は自然爆発してしまって、 何百人もの職人が犠牲になって、現場の工事は動かなくなった。

技術者の人があれこれ工夫しても、現場は納得しなかったけれど、工事長がダイナマイト3 本を竹で束ねて、 束ねたダイナマイトごと製氷機で凍らす、「アイスキャンデー作戦」を提案して、 自らその「アイスキャンデー」で岩盤を爆破して見せたら、現場の職人も納得して、工事は再開したんだという。

武器というものは、持ったときに「当たる予感」がするようにデザインされていないと当たらない。

設計者がどれだけの性能を主張しようと、そのデザインが兵士に「当たる予感」をもたらさないのなら、 武器を手にした兵士が、「当てる自分」をその武器から想起できないのなら、その武器はやっぱり当たらない。

交渉の名人は、たぶん無理しない。

価格交渉ならそんなに値切らないし、身代金交渉なら、たぶん親族が払える最大値で妥協する。 彼らがつかむ勝利は常に「小さい」けれど、交渉の名人はその代わり、交渉で得られたごくわずかな勝利を、 最大の戦果として喧伝する。

名人は、あとから冷静に振り返ると、意外にショボい交渉しかしない。そのことは名人自身も理解していて、 だからこそ名人の交渉は常に成功するから、名人が現場に来ると、そこにいる人達は、勝利を予感して、 名人はまた、小さな勝利を一つ重ねる。

ニュースでは、病院間を結びつけるネットワークシステムの不備に問題意識を感じているとか、 偉い人達がコメントしていた。恐らくはこれから、けっこうなお金が投入されて、 「ネットワークシステム」が完備されて、「これで理論上、現場はもっと効率よく回る」なんて 流れになる。

改良された病院間ネットワークは、あるいは本当に、問題を解決するだけの性能を 持っているのかもしれないけれど、やっぱりそれは動かないと思う。

「ネットワーク」というアイデアを聞いても、なんというか、そこからは全然、「それを使って勝つ自分」 が想像できないから。

「勝利をデザインするセンス」みたいなものが大切なのだと思う。

士気というもは、設計上の性能だとか、投じられたお金や政治的努力の量ではなくて、 むしろ視覚的な、感覚的な、「デザイン」に相当するものが分かりやすく示されて、初めて発生する。

「士気を出せ」だとか、「現場がだらしない」なんて怒鳴る指揮官は、それは「勝利のデザイン」に 失敗していて、それを意識できない人というのは、たぶんどれだけの資材を現場に投じても、 現場を動かすことができないのだと思う。