神様のまずい設計

人間の体はよくできているけれど、ライフスタイルが変化すれば、やっぱり「設計」は古くなる。

胃を切った人は元気

「メタボ検診」の悪影響で、病院に健康診断の患者さんが大挙して、一時大変だった。

普段病院に来ないような人達をたくさん診察して、「胃を切った人は元気だよね」なんて、 医局で話題になった。

今70歳ぐらいになる人達が若かった頃は、胃潰瘍の治療といったら「手術」だった。 当時はまだ、開業した人達も手術してたから、今だったら薬を飲むだけで済むような人が 片端から手術を受けて、胃を切除された。

胃を切られた人は、食べられないから太れない。やせた人が来て、お腹を見ると手術跡があって、 「これは昔、潰瘍で」なんて教えていただく。診察して、後日血液検査を見ると、みんな正常値。 こんな人が何人か続いた。

サンプルは偏っているし、観察者の主観でしかないから、この事実にはまだなんの意味もないけれど、 「メタボ検診」は、患者さんの腹囲と血圧を測って、あとは高脂血症の検査と糖尿病の検査と、 「成人病」を診断するのに必要な検査が、一通り行われる。 もしかしたらだから、「若い頃に胃を切った」ことと、「その人が高齢でも元気」であることと、 何かの相関が、統計的に証明できるかもしれない。

当時の状況をきちんと検証すれば、たぶんたくさんの人が合併症で亡くなっていたり、 きっとろくでもない数字がたくさん出てくるのだろうけれど、とにかく日本のある年齢層の人達は、 「正常」な胃を当たり前のように切られていた時期を過ごしていて、 その人達が高齢になって、今健康診断を受けに、日本中の病院に来てる。

「カロリー制限」というのは、ある程度まじめな検証が為されている健康法の一つだから、 きっと面白い数字が出てくるような気がする。

仮に「胃を切った人は健康である可能性が高い」なんて結果が出たところで、 胃を切った「から」健康なのか、胃を切られた「にもかかわらず」健康な人が生き残ってるのか、 相関関係と因果関係とを鑑別するのは、また別の問題なのだけれど。

介護と人工肛門

寝たきり老人が増えた。人生の最後の10年ぐらいをベッドの上で過ごす人は、半ば当たり前になってきた。

団塊世代の人達が、これから寝たきりになってくる。

介護の需要はいよいよ増えるはずだけれど、若い人は減ってしまうから、人手は間違いなく足りなくなる。 人手が足りない業界の給料は上がるはずなんだけれど、今はもうお金無いから、 やっぱりたぶん、介護業界に投じられる予算は増えないのだと思う。

人間の「排泄」ラインは、あくまでも立って生活するのに特化していて、「寝たきり」の体位を想定していない。 おむつを当てたところで、寝たままの排泄は苦痛だし、うまく出ないし、介護するほうは、 だから1 日中、おむつ交換に忙殺される。

「人間らしい」介護が求められてるんだという。介護施設を外から観察する人達にとっての 「人間らしさ」とは、食事の介助を付きっきりでやることだとか、日中は車いすで外を散歩することだとか、 たとえ不隠のきつい人であっても、夜中も付き添って、縛ったりしないことだとか。

実際に療養病棟でやられていることは、「おむつ交換」と「体位交換」の繰り返し。 「人間らしい」お仕事は、もちろん介護を提供する側にとっても 「人間らしい」お仕事だから、みんなそういうことしたいんだけれど、便汁と床ずれは待ってくれない。

見学に来る人は、食事の風景だとか、レクリエーションの時間なんかはチェックするけれど、 スタッフが4 人がかりで便まみれのシーツ交換している風景だとか、茶色が染みた紙おむつの山を バケツに放り込んだ台車が廊下を何往復もしている風景だとか、あんまり見てくれない。

「おむつ」の問題が解決できれば、寝たままトイレに行ったり、排泄できたりするベッドが作れれば、 介護は画期的に楽になる。おむつ交換に回す人手が減らせれば、お互いもっと「人間らしい」ことができる。 そこにはすごく大きな市場が在るはずだから、今はもちろん、世界中の寝具会社が開発に全力挙げてる はずなんだけれど、未だに何も出てこない。

寝たきりになった高齢者に「人工肛門」と「膀胱瘻」を作ってしまうと、問題は解決する。 へその左右に、袋が一つずつつく形になる。

これをやると、肛門側からは何も出ないから、おむつ交換は理論上必要なくなる。 便とか尿が背中に漏れないから、シーツの交換頻度も減らせるし、お尻が便で汚染されないから、 床ずれも治りやすい。

介護の仕事は、食事の介助、体位交換、おむつ交換と便の始末がほとんど全てだから、 人工肛門を作った患者さんについては、食事の介助以外、ほとんど全ての作業が不要になる。 人的リソースが節約できるから、みんなが大好きな「人間らしい」仕事に、余力を割けるかもしれない。

これからは在宅介護が主流になるらしい。絶対無理だと思う。24時間、 4時間おきに体位交換とおむつ交換とか、一人でそれをやり続けるのは無理だから。

「自然」であり続けるためのコスト

  • 減量するために、あるいはもしかしたら、老後健康であり続けるために、胃を切除する
  • 介護を楽にするために、限られた人的リソースを「人間らしい」仕事に集中するために、人工肛門を作る

「自然でない」なんて反論が絶対に出るだろうけれど、神様にだって想定外のことはあるんだと思う。

食生活がよくなりすぎて、重量あたりのカロリーが高い、「いい」食品が世の中にあふれた現在、 神様が想定した胃の容量を今の食品で満たしてしまうと、カロリーオーバーになってしまう。

立って活動するように設計された「自然な人」が寝たきりになった状態は、そもそもが不自然な状態。 排泄みたいな行動は、そもそも寝たきりの状態を想定していないから、 その人を介護するのにすごい人手が必要で、介護施設では慢性的な人不足が続く。

人間が、本来想定されていない環境の中で「自然」であり続けるためには、 高いコストを対価として支払わないといけない。「寝たきり」みたいな不自然な環境に対して、 その状態にあわせて自分の体を作り替えた人は、たしかに「自然ではない」けれど、 「自然」な寝たきり老人に比べれば、たぶん環境に適応するためのコストを下げられる。

こういう考えかたの延長には、どうしたって安楽死が待っているんだけれど、 「どこまでが自然なのか」という議論は、それが必要になる前に、もう少し盛り上がってもいいと思う。