縁は人を動かす

近所のショッピングモールは、ワンフロア全部が子供服になっている。そもそも子供が少ない地域で、ショッピングモールを歩いている人の顔ぶれを眺めたところで、子供はそんなに多くない。人口構成と、お店の数とは明らかにバランスが取れていないのに、大人向けの商品を扱うお店は時々潰れて、子供服売り場は、それなりの賑わいを続けている。

人の動かしかたについて。

考える人の財布は固い

物の価値をよく考えてお金を使う人からは、お金が取れない。よしんばそういう人が、何かの商品に価値を見出したとして、考える人たちは、価値に見合ったお金を支払おうとするから、利幅は少なく、商売は続けられない。

「よく考える人」というのは、商売の相手としても、あるいは選挙活動みたいなものであっても、「おいしくない」相手ではあるけれど、たぶんお金それ自体はけっこう持っている。こういう人からお金を引っ張ろうと思ったならば、その人に接続された、そこまで物事をよく考えない、自分でものの価値を判断するのが難しいであろう誰かを通じて、その人のお財布に手を伸ばせばいい。

子供の数は少ないけれど、いろんなものを欲しがるだろうし、「この商品に値札分の価値はあるだろうか?」なんて、そこまで深くは考えない。ショッピングモールの人口構成に、「財布の緩さ」をかけ算すると、恐らくは「子供を連れた親御さん」の係数と、お店の数とは、案外いいバランスで釣り合っているのだろうと思う。

誰かの判断力に、別の誰かのお財布を接続できると、商売がひとつ生まれる。トリンプの通販には「おねだり」機能があって、そこで商品を買う人は、別の誰かの支払いを当てにすることができる。子供向けの商品は、子供の判断と大人のお財布との接続を試みて、同じ流れで、高齢者に向けたトンデモ商売というものも、これからたぶん、ますます盛んになっていく。

自由人の制御コスト

医療の現場は相変わらず崩壊していて、厳しい現場からは、どんどん人が抜けていく。こういう現状を何とかしようと議論するときには、たいていは「若い人たちの振る舞いをどうにかしよう」制御しよう、という流れになるのだけれど、これはおかしいと思う。

若い人たちのコストは、ベテランに比べて安価だけれど、頭が回って、横のつながりがあって、家のローンや家族や子供のような、失いたくない何かを背負っていない若い人というのは、ベテランに比べればはるかに高い自由度を持っている。自由な人は扱いにくくて、たとえ雇用コストが安価であっても、制御コストは一番高い。

ベテランの人たち、自宅や家族、子供はすでにどこか学校に通っていて、下手すると自分のクリニックに億単位の借金を背負っている人たちは、人件費こそ高いけれど、企業経営者みたいな人からすれば、笑いが止まらないぐらいに扱いやすい人たちであるとも言える。お金の流れさえ押さえてしまえば、ベテランは抗うすべを一切持たないから、どんな無理でも言うことを聞いてくれる。

「医師が足りないどうしよう」の議論というのは、どこかこう、目の前に川があって、近くに粘土の山があるのに、粘土そっちのけで「水に動いてもらう言葉として、「ありがとう」と「こんにちは」、どちらがよりふさわしいのか?」なんてみんなで考えているみたい見える。粘土こねてバケツ作ろうよって思う。

縁の力というものがある

たとえば病院では看護師さんが不足していて、どこの施設も、慢性的な人不足に悩む。

看護師さん達は横のつながりが強くて、地域の他の病院との連絡も密に行っていて、お互いの施設を行ったり来たり、転職の閾値がとても低くて、来年の人数を読むのがしばしば難しい。

どこの施設も待遇の改善に必死だけれど、待遇もリスト化されれば「カカクコム」の泥沼で、「他施設よりも100円高いです」がずらっと並んで、リストに沈んだ病院は、もうチャンスなんてめぐってこない。

看護師さん達の流動性は高いけれど、じゃああの人たちが持っている「流動できないもの」は何かと言えば、本人でなく、たとえば子供さんのコミュニティや教育なのだろうと思う。どこかの施設が看護師さん達を集めたいと思ったならば、待遇の改善を売りにするのではなく、同じコストをたとえば託児所に投じてみるとか、いっそ病院に幼稚園を併設して、そこの教育を売りにしたりすると、差別化が図れたり、案外低コストで、人材の調達が実現できたりするような気がする。

技術者の福利厚生をうたっていたのはGoogle だけれど、企業直営の介護施設を用意すれば、それが切実な人にとっては、もしかしたら自分自身の待遇は二の次で、その企業が選択の対象になる。福祉はそれでも高価につくから、高コストな人材を集めるために用いないと、医療保険目当てでパンクしたスターバックスみたいなことになるかもしれないけれど。

大人が「無縁化」しているんだという。NHKは少なくともそう信じている、あるいはそう信じさせたいみたいだけれど、「子供の縁」というものは、まだまだこれから構築できる。人を集めて、その人たちを待遇で縛るのは難しいかもしれないけれど、たとえば子供達を集めたキャンプを毎年3回ぐらい開催してみせるとか、子供同士の縁をがっちり縛り上げてしまうと、子供を窓口に、大人の振る舞いを縛ることもできるように思う。

つまるところは企業の「村」化、終身雇用の昔はきっとこんなかんじだったのだろうけれど、転職上等のハリウッドスタイルと、人の振る舞いを縁で縛り上げる昔ながらのスタイルと、片方だけが正解、というわけではないのだと思う。