リーダーシップの軸足

リーダーシップというものは、「組織を作るのが上手な人」、「動機付けが上手な人」、「アイデアを出せる人」というのが3大要素で、「人の上に立つ」リーダーという、古典的なリーダーの風景に一番違和感が少ないのが、組織を作るのが上手であるリーダーシップのありかただった。

通信のコストが高価であった昔、組織というものは通信を効率よく行うための道具であって、リーダーシップを持った人とは、要するに通信インフラを作れる人のことだった。

ネット時代は、通信のコストを引き下げた。通信のコストが下がった結果として、従来的なリーダーシップの購入コストは大幅に下がって、いろんな人にリーダーへの道が開けた。

こういう流れは結果として、「アイデアを持っている人がリーダー」という、リーダーシップのありかたを強化していくのだと思う。

本部のコスト

資格試験は群れるといろいろ便利で、医師国家試験を乗り切るために、昔は全国規模の組織があった。情報をやりとりしたり、模擬試験を共同で受験することで予測精度を高めてみたり、国家試験予備校が提供してくれる「傾向と対策」のプリントを印刷して配布したり、今どうなっているのかは分からないけれど、昔はこういうのは、下級生の仕事だった。

国家試験直前、その年の主幹大学は「本部」を設置した。本部のインフラは大がかりだった。ホテルの大部屋だとか、どこかの事務所スペースを借りて、国家試験直前、そこにNTT の電話回線を引き込んで、さらにリコーのコピー機兼用FAX を複数台並べて、24時間待機した。

これだけの設備を整えるのに、NTTから回線をレンタルするだけでも数十万円オーダーだったし、ホテル大から移動料金、手伝ってくれる学生のアルバイト代、学生から見るとめまいがするようなお金がかかった。

バブル末期の頃、ワンボックスカーに自動車電話コピー機にFAX、簡易会議室を積んだ移動オフィスのレンタルサービスを始めた会社があって、あれを3日間借りると300万円ちょっとだった。ビジネス用途の移動会議室をフルに使って、あれでぎりぎりいけるから借りようか?なんて話が十分現実的な選択肢になるぐらい、本部にとっての通信は切実であって、同時に高価なものだった。

すごいお金をかけて、当時得られたものはといえば、各大学と本部とをつなぐ、糸電話に毛が生えた程度の専用回線だけだった。全世界規模のインターネットが当たり前の現在から見れば、もう笑っちゃうぐらいに細い帯域だったけれど、それでも大学時代、後にも先にも、学生レベルであれだけのお金がかかった通信インフラは見たことがなかった。

あの頃用意したインフラは、それでも必要な物だったけれど、じゃあ今の機材で「本部」を設営したならば、たぶんノートPC 1台で全部いける。ネットがある現在、携帯電話とインターネット、どこかの無料Wiki を借りてくれば、「本部」に必要な機能のほとんどは再現できてしまうし、全ての通信はリアルタイムでいける。お金も人手もかかった昔に比べると、圧倒的に高品質な通信が、恐らくは数人の人手でまかなえてしまう。

「本部」を指揮していた人は、間違いなくリーダーだった。リーダーとはこの時代、設備と同義であって、設備を作れる、それだけのお金と人手とを集めて動かせる人でないと、「本部」が成り立たなかった。通信が安価になったネット時代、今では誰でも「本部」になれる。個人的にはこれは、とんでもない進歩に思える。

通信の昔

国試前、下宿に引きこもった同級生に連絡を取るのは、下級生の役目だった。

当時自分の下宿には留守番電話がなかったし、そういう学生は決して珍しくはなかったから、試験の情報や、講義の日程のような大切な情報は、地元のコンビニエンスストアと交渉して掲示板を置かせてもらったり、下級生に地域を割り当てて、訪問販売よろしく先輩の家を訪ねてもらったりする必要があった。

今振り返れば笑い話だけれど、携帯電話もネットもなかった昔は、通信すること、回線をつなぐことは困難で、切実だった。

「たくさんの人と通信するコストが安価になった」のが画期的だ、なんて回想は、携帯電話やインターネットを知っている人からすると、「昔は空気が有料だったんだよ」と言われるようなものなのかもしれない。

携帯電話前夜、学園祭前日に欠かせなかったのがトランシーバーの準備で、クリスタルを取り換えて、無線の周波数を合わせて、大学のいろんな場所に下級生を走らせて、「感度、入りまーす」なんてやるのが常だった。通信とはトランシーバーで、これがダウンしてしまうと、当日大変なことになったから。

無線機にしたって数がないから、通信が必要そうな場所には、あらかじめ通信担当の下級生に走ってもらった。誰もが端末を持っている現在なんて、当時からするとSFだった。

あの時代、通信ができる人間こそがリーダーであって、通信を行うためには、たとえば「コピー機のあるコンビニエンスストアが近いこと」なんかが大切な資質だった。プリントをコピーして、下級生にそれを配ってもらうためには、プリントのある場所と、コピー機のある場所が物理的に近くないと難しくて、当時はもちろん、インクジェットプリンタなんて誰も持っていなかったから。必要な道具に手が届くこと、情報を届られる誰かと連絡が取れることが、通信するための、リーダーとしての絶対条件だった。

そういう意味で、「リーダーがいるはずだ」という、エジプト革命に対する自分の見かたは、あるいは「空気が有料だった昔」の常識で物を見ている可能性があって、根っこから間違っているのかもしれない。

印刷の昔

情報というのは、「完成品」として発信しないと、伝わらない。ペラ紙に殴り書きした文字は単なる文字であって、情報とは違う。清書されて、コピーに耐える品質を持たない限り、文字は情報にならないし、情報にならない文字は発信できないから、伝わらない。

学生運動の大昔、ガリ版と鉄筆が、運動を支えた。新聞にしかできなかった「清書とコピー」が、学生にも手が届くようになって、リーダーになれる人がそこから生まれた。

自分たちの頃はコピー機だったけれど、大学の学生棟にはリソグラフがあった。自分の部屋には大した家具もなかったけれど、リコーの業務用コピー機だけは持っていたから、情報が自分の家に集まって、それを清書することができた。「コピーする」ことには2つの意味があった。文字どおりの複製と、もう一つは切り貼り原稿を1枚の紙に焼く、「清書」の意味と。自宅にコピー機があると、切り貼りした原稿をコピーして、原稿を「清書」することができる学生は少なかったから、コピー機を持っていることは、発信できることと等しい意味を持っていた。

切り貼りの文化は、ずいぶん長く続いたと思う。

保育園の頃はガリ切りで、ガンジーのインク消しでよく遊んでいた。小学校は青焼きコピー、中学生徒会で和文タイプ、そのあとオアシス100J が職員室から払い下げられて、大いに使わせてもらったけれど、大学時代、ワープロコピー機リソグラフを使うようになっても、清書の最終工程としての「切り貼り」は、ずっとついて回った。画像を電子化して切り貼りをなくす、個人レベルでのDTP が実用になったのはずいぶん後で、大学を卒業して数年するまで、自分はPCに触ったことがなかったから、このあたりはずいぶん遠回りをしたのだけれど。

今はもう、机の前に座ったまま、LaTeX で原稿を作って、図版は全部PostScript で埋め込み、あらゆる物がテキストとして電送可能で、ネットワーク越しに出版社のPCで出版原稿を作れるようになった。この2年間ぐらい、当たり前のようにこのシステムを使っているけれど、ガリ切りの昔から振り返ると、同じ国とは思えない。

イデアへの回帰が来る

通信や印刷の機能を持つと言うことは、通信のコストが高価だった大昔、リーダーであることと、ほとんど同じ意味を持っていた。

そういうことができる人間は限られていて、ならばそういうものに手が届く人が、人を引きつけるようなアイデアや人望にあふれていたかと言えば、決してそんなことはなかったのだと思う。

2ちゃんねるを敵に回した誰かが、掲示板住人に追い込まれて、片端からプライバシーを剥かれる事例がときどきあるけれど、あれなんかはまさに「リーダー不在」で、そのくせ分業がきちんとなされて、そこに参加する全ての人が、何らかの形で目的に貢献していて、見事な連携を見せる。同じことをたとえば、お金を出した誰かが興信所のプロを指揮して、同じような成果を出せるかと言えば、恐らくは難しい。指揮する誰かは、人を雇うだけのお金は持っているかもしれないけれど、動機付けも、アイデアも、持ち合わせていないから。

匿名掲示板には、リーダーを名乗る人こそいないけれど、アイデアを出した人、そこにいる住人に動機付けを行った誰かが必ずいて、どうすれば目的が遂げられるのか、今何が足りないのか、どうなったら「勝利」なのかを語る。問題の大きさは比較的小さくて、参加した人のことごとくが、自分たちがどんな形で問題解決に貢献できたのかがよく見えるから、リーダー不在の盛り上がりが実現できている。

通信のコストが下がって、「組織が作れる」というリーダーの資質は、誰にでも、低コストで調達できるようになってきた。価値の軸足が変化して、ようやくここに来て、「問題設定と解決に必要なアイデアが出せる」ことが、リーダーの一番大切な資質になってきたのだと思う。