「ちゃんと」のコスト

何かものを作るときには、「シンプルなやりかた」と「複雑なやりかた」とが選べることがあって、 「ちゃんとやれば」同じ結果がシンプルに達成できるやりかたを選んでしまうと、「ちゃんと」のコストが、 構造の複雑さを上回ってしまうことがある。

「単純な機能を達成するために単純な構造を採用する」ことは、基本的には正義なのだろうけれど、 単純な構造とトレードオフになっているものが何なのかを見極める必要があって、 それが「精密な加工技術」だとか「名人芸的な設計技術」であった場合、その考えかたに乗っかると失敗してしまう。

機関銃

機関銃には、銃弾の反動を利用した「ショートリコイル方式」と、火薬のガスを利用した「ガスオペレーション」方式とがあって、ショートリコイル方式のほうが部品点数が少ない。

マキシムの機関銃だとか、ブローニングの軽機関銃はショートリコイル方式で、この構造は比較的単純なのだけれど、 ショートリコイル方式が成り立つためには、品質の高いばねを作る技術だとか、ごく精密な機械加工の技術が基盤として備わっていないと再現できない。

ガスオペレーション方式の機関銃は、ショートリコイルよりも部品点数が多くて複雑だけれど、部品を動かす力を大きくできるからなのか、 そこまで厳密な設計をしなくても、精密な機械加工ができなくても、そこそこ確実に動作する。

代表的なライフルであるAK47 なんかもガスオペレーション方式で、ソビエトロシアの機械加工技術がなくても、 このライフルは世界中でコピー品が作られて、稚拙な加工技術しか持たない国でも、似たような動作が実現できている。

モルタルの壁

建物の「壁」を作るときに、コンクリートを打ちっ放しにすると、シンプルでかっこいいものが出来上がる。

ところが壁というものには、内側の見栄え品質、中心部分の断熱性、外側の防御機能といういくつもの機能が求められて、 こうした機能をモルタル一つで実現するためには、職人芸的な技能がいる。

安藤忠雄の建築は、コンクリート打ちっ放しの壁で有名だけれど、あれを設計図面どおりに仕上げるのは大変で、 以前何かのテレビ番組で特集されていたときには、海外の建築物なのに、結局想定した仕上がりを実現できなくて、 日本から専門の職人さんを招いていた。

壁紙を貼って、真ん中に断熱材を入れて、外側にはまた別の素材を使うような、一般住宅の壁構造は複雑だけれど、 コンクリート打ちっ放しに比べるとむしろ安価で、職人芸的な技術を持たない人でも、既製品の壁材を組み合わせることで、品質と機能の両立ができる。

空冷エンジン

エンジンには「空冷方式」と「水冷方式」とがあって、冷却のために水を使わなくていいぶんだけ、空冷方式のほうがシンプルであると言える。

ところが空冷エンジンというのは、気流の当たりかたにどうしてもむらができて、高回転までエンジンを回すと、 どこかに必ず過熱する場所ができる。一箇所が過熱すると、エンジンはそこから焼き付いてしまうから、 空冷エンジンというものは、よほど上手に設計しないと、信頼性と馬力とを両立できない。

液冷エンジンは、エンジン内部を水が循環する。水は大量の熱を運搬することができて、「水路」の設計をそこまで緻密に追い込まなくても、 エンジン全体が水で強引に冷やされる。神業的な設計技術を用いなくても、液冷エンジンは、空冷エンジンに比べると信頼性と性能との両立を達成しやすい。

大昔、ホンダがF1 に挑んだときには、空冷エンジンF1 がトライされたけれど、完走できなかった。

ポルシェの空冷エンジンは素晴らしい性能で、しかも高い信頼性を誇っていたけれど、当のポルシェにしてから、 ついに空冷エンジンの改良に限界を感じたのか、今では水冷に変更してしまった。

「ちゃんと」のコストは案外高い

部分の複雑さを受け入れることで、全体としての信頼性を上げる考えかたというのがちょっと面白い。

信頼性や再現性を実現するのに、必ずしもシンプルさが回答にならないケースがあって、一見理想に見える構造が、 場合によっては必ずしも正解にならない場面というのが、技術の世界だと結構あるような気がする。

技術者が乗っかるべき基礎技術というか、「空冷で行くべきか、液例を選択すべきか」といったような判断は、 理想を追求するよりも、むしろ設計しやすさを、「平凡な設計」でもそれなりの性能を期待できるような構造というものを選択したほうが、 その複雑さに引き合うだけの信頼性だとか、柔軟性を得やすいことが多いのではないかと思う。

その人にしか設計できない、精妙を極めた設計/製造を前提に、初めて実現できる単純さというものは、理想的ではあっても、やはり目指してはいけないような気がする。