経験は「どう」に集まる

「何をするべきか」を語れる人は多いけれど、「どうやってそれを実現するのか」を語れる人は少ない。

「何」は一般化して、買い叩かれて、いっぽうで、「どう」を知っている人は生き延びて、 経験や知識というものは、「どう」を知っている人に集まってくる。

売りになる経験のこと

たとえば最近、近所の開業クリニックで「医事職員募集」の広告を出したら、 大学を卒業したぐらいの人たちが30人、ずらっと列をなして集まってきたんだという。

今はもう本当に仕事が厳しくて、田舎だと、立派な学歴を持った人でも、 ある程度安定して勤められる職場というのは本当に少ないらしい。

うちの病院には最近、30代も後半の男の人が2人、新規職員として就職してきた。

2人とも、以前に病院勤めをしてきた人たちで、その頃の病院というのは、ちょうど「DPC」という、 新しい会計制度を導入した頃で、事務長は、「その時に病院にいた」という経験を買ったのだと。

DPCルールは、従来のやりかたと、会計の仕組みが全く変わる。それを導入する施設は、 だからたいてい、最初のうちは混乱するのだけれど、「混乱を知っている」人がいて、 その人が混乱を乗り切る術を知っていたのなら、その経験は本当にありがたい。

こういう状況を指南する「コンサルタント」という人たちはもちろんいるんだろうけれど、 知識それ自体を売りにしなくても、「その時そこにいた」という経験は大きな売りになって、 「どうやればいい」という経験を積んだ人は、前の病院で得た「どう」を生かして、 今度はうちの病院で、更なる「どう」を蓄積するのだろうと思う。

恐らくはうちの施設が募集をかけたときに、もっと若くて、あるいは何か別の資格とか、学歴を持った人もいたはずなのだけれど、 「経験したことがある」ということは大切な強みであって、経験を持つことで、その人にはますます経験が蓄積されて、 経験を持っていない人は、いつまでも経験を得ることなく、年を重ねていく。

「できる」の深度

「私はこういうことができます」という経験は大切なんだけれど、「できる」には深度があって、 浅い「できる」には、あんまり価値が生まれない。

「できる」の深度というのは、「その仕事が上手にできるかどうか」とは少しだけ異なって、 ある仕事を上手に回せる人が、じゃあ深度の深い「できる」経験を持っているかといえば、案外そうでもなかったりする。

自分は研修医の頃から、心臓カテーテル検査が「できた」つもりでいたけれど、大学に来て、実は自分が「できない」ことが分かって、ずいぶん落ち込んだ。

心臓カテーテル検査の「本質」みたいなものは、自分にとってはカテーテルの操作であって、自分はその訓練を積んだのだけれど、 じゃあまわりの人がどう動いているのか、カテーテル以外の道具、レントゲンの設備とか、機材の配置とか、 どう準備して、どう操作して、他の人たちをどう動かせば検査室の運営が上手に回せるのか、全然把握していなかった。

大学の上の先生が要求していた「できる」というのはそういうことで、「どこかに1人で飛ばされたら、そこでダンボール箱一つ、 心電計一つで運動負荷心電図検査を立ち上げて、お金を貯めてカテ室を作ったならば、人を訓練して、 最終的に、自分が部長になってそこで心臓カテーテル検査ができること」というのが、部長の考える「できる」だった。

そういう「できる」は、無目的な熱心さを通じて得ることはできなくて、傍観者としてそこにいたときに、そうなる自分を想像しながら、 メモを取ったり、覚えたりといったことを積み重ねることで、同じ経験でも、質的にははるかに高級なものが手に入るのだと思う。

「こういう経験をしました。こういう感じで仕事をして、こんなことを観察しました」みたいな観察記録を持っておくと、どんな分野であれ、けっこう大きな武器になる気がする。

「どう」は自己増殖する

「こういうことができます」という人に、「じゃあここでやって見せて下さい」と尋ねたときに、 出来る何かを再現するのに必要な道具、人数、人員の質、必要な予算や道具を、その場でスラスラ言えない人というのは、 要するに「できない」のだと思う。

大昔、大学祭の実行委員をやっていて、「お祭りの経験がある人」を見分ける術として教わったのも、こんなことだった。

「イベントを企画したことがあります」という人に、「じゃあここで再現して見せて下さい」なんて質問して、 最初に「何人ぐらいの規模でお客さんを呼びますか?」と問い返せる人は、経験者なのだと。

「何人」が決まると、必要な椅子やテントの数、押さえるべき会場の大きさや、それに必要な予算が決まって、イベントまでの進捗が、一気に決まる。

ここで「どんな祭をやりますか?」と聞くのは、お祭りが好きな素人で、「イベントを運営すること」それ自体が根っから好きな人というのは、 なんというか、イベントの「中身」それ自体にはあんまり興味がなかったりする。

人数と日程が決まって、「次に何が必要ですか?」なんて質問をすると、「模造紙50枚とユニポスカ3ダース、マッキー20本、 布ガムテープ10巻」というのが大学祭の定番で、これがないと、運営室を立ち上げて、会議を開いたり、 おおざっぱなメモを取ったりといった活動が、そもそも立ち上げられない。

「イベントに参加したことがある」人からは見えない、一方で、本当の最初からイベントにかかわって、 しかもイベントを立ち上げることそれ自体に興味がないと絶対に見落とすような、こういう部分の経験を持っている人は、 今度は別のイベントに観客として立ち寄っても、本部の散らかり具合だとか、会場の回しかたを見て、 スタッフの工夫や、頑張りどころ、「ここは足りないな」なんて思った部分があったとして、それが実際のイベントでどうなのか、 答え合わせができるようになる。

根本にある「どう」を知った人は、だから今度は、そこにいるだけで、勝手に経験値が増えていく。

たぶんいろんな業界に、「どう」でご飯を食べている人というのがいて、一見そんなに勉強もしていないように見えるのに、 その人がいないと回らない、そんな人の「どう」を知ることができると、きっと役に立つ。