ガタがあるからうまくいく

先週の日曜日には、熱を出した子供さんが100人近く来た。休みが明けて、外来が始まって、 もちろん「それ以上」を覚悟していたのだけれど、外来は、平和なままだった。

インフルエンザはたしかに流行しているんだけれど、パンク寸前の休日外来は、 みんな「休みだから」病院に来てたわけで、「熱が出たから」病院に来た人は、実は案外少なかった印象。

遊びが減ってこうなった

社会から「遊び」要素が減って、平日にみんな、休めなくなった。

土日をずらして営業していた病院というのもあって、一時期はうまく機能していたんだけれど、結局みんな止めてしまった。土日外来の収益自体はよかったのだけれど、世の中が土日休みで回ってるから、役所とか学校とか、「平日」を要求する場所がシビアになって、スタッフに子供ができると、組織が瓦解しちゃうんだという。

世の中の遊びが減って、しわ寄せが、緊急避難装置的な場所に集まって、結果として、救急外来のパンクとなって現れてる。誰が悪いというわけではないんだろうけれど、遊びを「無駄」だと断じる文化が、こうさせたのだとは思う。

AK-47にはガタが多い

世界の兵士に愛用されるAK-47 というライフルがあって、AKは、部品どうしのはめ合わせは遊びだらけで、部品はどれも、けっこう重たい。

見た目の精度感みたいなものとは無縁なんだけれど、AKはその代わり、ガタが多いからホコリに強くて、どんな状況でも、少ない手入れでよく動く。部品が重たいから、銃弾を動かす力もそれだけ強力で、弾が少々凹んだぐらいなら、AK-47は、弾詰まりを起こすこともなく動作する。

AK-47の「ガタ」とか「重たい部品」は、それを設計したカラシニコフに言わせれば、最初からそういうように作ってあるものなんだという。これをたとえば、より精密に「改良」したところで、改良されたその製品は、たぶんオリジナルより悪くなる。そこにどうしてガタがあったのかを考えないで、「前より厳密」を、無批判に「いいことだ」なんて努力する人たちには、AK-47 は一生かかったって作れない。

厳密を、単純に「いいこと」なんて断じると、AK-47はたぶん、砂粒一つ噛みこむだけでで動作を止める。「厳密に改良された」ライフルで戦って、兵士がみんな、動作不良で殺されたところで、努力の好きな人たちは、「やるべきことはやった。しかたがなかったのだ」なんて、満足そうに敗北をふり返る。自分たちのせいなのに。

うまく回ってた何かに「無駄」を見つけ出して、それを「改良」したとのたまって、むちゃくちゃになった現場からは目をそむけつつ、勝利宣言して尻まくる人たちって、幸せそうだなといつも思う。

精度を出して系が死ぬ

AK-47をコンサルタントに手渡して、「これをもっと高性能にして下さい」なんて問題を出したらいい。少なくとも、ガタをなくす方向の改良を提案した人は、AK-47で射殺されるべきだと思う。

「精度を追求した帰結として系が死ぬ」現象というのに、何かもっともらしい名前を付けて、世の中にもっと周知してほしい。トヨタの「カンバン方式」にしてから、あれはたぶん、「無駄とり」なんかじゃなくて、もっと別の理由があって、ああいうやりかたにたどり着いてる。

「個々の部品が完璧な動作をすることで、系としての動作が完璧になる」なんて考えかたは迷信であって、むしろ「個々の部品に最大の自由度を与えつつ、系としての動作を一定に保つような制約をデザインする」ことを目指さないといけない。世の中で成功している多くのプロダクトが、たぶんこうした方針に沿っているのに、それはしばしば、「改良」が好きな人から見れば、「無駄の多い」ものに見えて、「改良」を受けた結果として、いろんなものに不具合が波及する。

個々のその場所を「よく」することそれ自体は、正義どころか悪徳なんだと思う。「全体の良さ」につながる改良は、むしろしばしば、どこかを「悪く」、「いいかげんに」することで達成される。

その代わりたぶん、「無駄の多い平凡なもの」を開発するには、莫大な人的コストがかかる。それはたとえばAK-47だし、米軍のジープだとか、補修用のダクトテープなんかもそうだけれど、ああいうのは、誰かのアイデア一発で生み出されたものでは決してなくて、実際には、プロダクトには莫大なコストが投じられて、長い開発期間がかかってる。

「必要なガタ」を備えた、ロバスト性の高いプロダクトを生み出すためには、たくさんの人的資源を擁する大きな組織が必要で、そういう場所は、しばしば高機能高精度病に侵される。「一見平凡に見える非凡なプロダクト」は、だから組織を強力にガバナンスするリーダーがいて、フォンブラウンとか、デヴィッド・カトラー みたいな、「大組織を束ねる独裁者」と、独裁者を支えるたくさんの技術者とがそろって、初めてたぶん、そうした製品が作られる。

平凡なのに、何となく広く使われる、「 これ以上改良の余地がない中途半端さ」を備えたプロダクトの裏側には、たぶんすごい物語が隠れてる。それを読めない人は、そもそも「改良」になんかかかわってはいけないのだと思う。