交渉の名人が来た

警察で収監中の人が、「症状悪化にて入院希望」でやってきた。刑事さん同伴で。

外来でおきたこと

  • 「ひどい頭痛にて受診希望」ということだったんだけれど、元気だった。朗らかで、親しそうで、 当直をしていた自分と患者さんと、なんだか15年ぶりに出会った友達としゃべってるみたいだった
  • その人が外来に来た最初、「先生、俺はこの病院が第2の実家みたいなものなんだよ」と言われた。 子供の頃はよくこの病院に来てたとかで、「俺は小学校の頃からここの院長に頭叩かれてたから、 バカになっちまったんだよ」とか、懐かしそうに語ってた。目も笑ってた
  • 愛想がいいのが、逆に怖かった。警察の人が6人ぐらいでその人を囲んでいて、その人も全身入れ墨、 手錠に腰縄のフル装備なんだけれど、ずっと朗らかだった
  • 「症状が悪化」しているようには見えなかったし、本人も、痛がってみせるとか、 苦しんでみせるとか、そんなそぶりは全くないんだけれど、「今は生涯最悪の症状」であって、 「頻回の嘔吐」と「頻回の頭痛」があるんだなんて、笑顔で語った。ちゃんと証人もいるのだと
  • 「症状」は極めて具体的だった。○月○日より頭が痛くなって、その日に何回トイレで吐いて、 「そのことは刑務官の鈴木さんが証言してくれる。写真もあとから撮ると言っていたし、そう約束した」とか、 とにかくあらゆる細かい振る舞いを、「何回」という具体的な数で語って、 何かあったらそのつど、「証拠」とか、「証人」の存在を付け加えていた
  • その人は今までにも、いろんな施設から薬をもらっているらしくて、もらった薬もまた、 「これは飲みたくない」とか、「これは朝にまとめて飲みたい」とか、刑務所で、ずいぶんいろいろ訴えてたらしい
  • で、薬の飲みかたはずいぶんアレンジされていて、「これどれぐらい飲んでましたか?」とか尋ねると、 「自分はこう飲みたかったのに、刑務官の○○さんがそういう飲み方はよくないと、自分に薬をくれなかった」とか、 「○月○日に、○○病院に受診をしたいと弁護士を通じてお願いしたのに、刑務所のレベルでそれが断られてしまった」とか、 自分が置かれた環境が厳しいこと、「治療」しようにも、それが許されないことを、やっぱり具体的に語り出した

外来には、自分と看護師さんと事務の人と、あとは警察の人がたしか6人、みんな緊張していて、 何があっても対応できるように身構えていたのに、手錠に腰縄をつながれて、警察官に囲まれたその人は、 なんだか八方ふさがりのその場所で、世界で一番自由な人に思えた。

患者さんの「症状」が、どこまで本当だったのかは分からない。自分たちには、それを疑うことは許されないし、 疑ったらたぶん、「先生は俺を疑うんですか?」とか笑顔で尋ねられるだろうし、よしんば刑務所に問い合わせをして、 刑務官の人が「そんな現場は見ていない」なんて語ったとしても、あの人ならたぶん、「俺は刑務官に裏切られた」と、 やっぱり笑顔で傷ついてみせるような気がする。

見た目は元気なその人は、それでも症状を尋ねた限りでは「重症」であって、本人さんの口を借りれば、 「刑務所という場所は、病人が療養するには不十分な環境しか提供してもらえない」から、 たしかにこの状況は、「入院」という選択枝以外とれないように思えた。ここで折れると、 その人がまた来たとき、今度は「入院の先」を笑顔で求められるだろうから、折れるわけにはいかないんだけれど。

自分ではもう手に負えなくて、それこそ「小学校の頃から知っている」上司に来てもらって、 いくつか検査を行って、全ての検査が正常値であることをお話しして、話は丸く収まったんだけれど、怖かった。

患者さんが求めていたもの

その人は、良くも悪くも「言葉のプロ」なのであって、このとき外来で起きたことというのは、 その人にとってはそれがお仕事みたいなものなんだと思う。

「お仕事」の前半は、自分に向けられてた。「気の弱そうな医者から入院を勝ち取って、刑務所を離れて英気を養う」のが目的。 その人は最初から、自分に対してはとても丁寧に振る舞っていたし、「先生みたいな人なら、オレの具合が悪いのは、 よく分かるでしょう?」なんて、朗らかに語りかけてきた。

友達みたいな口ぶりで、「具合が悪くてご飯が食べられない」とか、「発作が昨日は13回あって」とか、 「親しい友人がこれだけ具合が悪くなったら、ここはもちろん入院だよね」なんて、 言外に込めたメッセージはすごくよく分かるんだけれど、そんな要求は、もちろん相手から出ることはなかった。 朗らかに語って、親しそうに笑って、具合の悪さを、証拠付きで、すごい勢いで積み上げていくだけ。

上司に代わってもらって以降、その人は、「ああ先生、いてくれたんですか。助かりました」なんて、 やっぱりにこやかに、うれしそうに話してたんだけれど、その時点でたぶん、 自分は「仕事」の対象から外れたんだと思う。そこからあとは、もう一瞥もされなかったから。

後半になって、たぶん「公判の証拠」作りというのが、その人の仕事のテーマになった。 具合が悪いこと。それを訴えても、刑務官が取り合ってくれないこと。刑務所が、病気に見合った食事を提供してくれないこと。 薬の飲み方が自由にできなくて、治療が不十分になっていること。いろいろ語ってた。

公判が近いんだと言っておられた。入院は難しそうだとその人はたぶん判断して、 今度は自らの境遇が劣悪であることをいろいろ語って、たぶん「それを医師が聞いた」という、 言質とか、証拠を得ることに、仕事の目的を切り替えたんだと思う。

言葉を蒔いて証拠を収穫する

「あらゆる行動を記録しろ。数字をメモしろ。ノートにまとめて、それを交渉の席に持参しろ」というのは、 企業や役所を相手にする交渉の基本なんだけれど、その人のやりかたもまた、その延長なんだと思った。

恐らくは「名人」の症状には、「嘘」や「誇張」も混じっているのだろうし、 「証人の○○さん」だって、下手するとその場で適当に思いだした名前なのかもしれない。 それでも「○○さん」が証言を否定すれば、「刑務所は嘘をついた」と叫べばいいんだし、 そのとき同席した医師や刑事さんが確認をしなかったなら、今度は自分たちの怠惰を責めればいい。 いずれにしても、本人さんは絶対損しない。

  1. 相手の「サービス」に、あれこれと難癖をつけてみたり、自己流を通したり、状況をできうる限り複雑にする
  2. 付き合いきれなくなった相手が、「要するに」で何かを省略したその瞬間をめざとく記録しておく
  3. その人がいない場所で、権威を持った別の誰かと親しく語り、「ここにいない誰か」の不作為や不義を訴える
  4. それを否定すれば、自分たちの手落ちだから「交換条件」を引っ張れるし、それを傾聴すれば、 今度はたぶん、「これ聞いたよね。その時否定しなかったよね」なんて、言質をとれる
  5. たくさん作った「証言」や「証拠」は、裁判一歩手前の状況なんかで、交渉のテーブルに山と積まれて、 相手を不利な立場に追い込む武器になる

こういうのはたぶん、状況を耕して、言葉を蒔いて、証拠や言質を収穫する、どこか農作業に似た営みであって、 「耕される」側がどう突っぱねようと、こういうやりかたの上手な人には、あんまり関係ないような気がする。

今回たぶん、ずいぶんたくさんの言質を収穫された。その人の症状は、どこまでが本当で、 どこから先が嘘だったり、誇張だったりするのか、それを判断することはできないんだけれど、 「症状を訴えた人が病院に来て、その人の話を医師が聞いた」ことは事実だから、 法律の席ではきっと、「医師も話を聞いてくれました」なんて、自分たちのことが「証拠」として、 その人の言葉を補強してしまう。

「証拠と結びついた言葉」が、交渉の貨幣になる。

いざ交渉に臨めば、その人はだから、ものすごい量の貨幣をテーブルに積めることになる。 身の回りに起きたあらゆることを記録していたところで、「普通の人」に提出できる貨幣の量なんてたかがしれていて、 呼吸するように、何もないところから無尽蔵に交渉の貨幣を生める、こういうプロの人たちには、 原理的には絶対勝てない。

そこに居合わせた法律の人たちが、貨幣の「質」を吟味してくれるのを祈るしかないんだけれど、 それがきちんとできるなら、そもそも法律なんていらない。

「名人」の仕事に立ち会えたことなんて、まだ何回もないんだけれど、自分たちが仕事の対象に なったとして、そのときどうすればいいのか、本当に分からない。