「当直医学」を作ってほしい

できれば雑誌の連載とか、なにか公的な文章として残る形で。

「総説」は役に立たない

患者さんはみんな違うから、医療という分野においては、 議論の土台になる「一般」というものが、定義できない。

病気についてはだから、「一般的にこうだと私は思う」という書きかたが難しくて、 どうしても、誰かの論文を引っ張って、「○○らはこう述べている」という書きかたしかできない。 どれだけたくさんの「○○ら」を引用したところで、その文章を書いた作者自身が、患者さんと当たって どういう治療を選択するのか、あるいはある病気に対して、「一般的には」どうやって対処するのが 一番無難なのか、読者として、一番知りたいことは、あんまり書かれない。

エビデンス」なんかよりも、「言質」がほしいな、といつも思う。

論文どおりのやりかたを行うためには、その患者さんが、議論の余地なくその病気を発症している 必要があって、そういう人たちは、たしかに専門機関の先生がたも喜んでみてくれるんだけれど、 現場で問題になっているのは、もっとあやふやな、「正解」がどこにあるのか分からない人たち。

症状は明らかにあるんだけれど、原因が「どれ」とも断定できないような、そんな患者さんに対して、 「俺ならこうするよ。責任持つよ」なんて書いてくれたらすごくありがたいんだけれど、 そういう一言を探すのは大変で、「エビデンス」の時代になって、それはますます困難になった。

「問題」の裏に「責任」がある

恐らく世の中には、「問題」と「責任」とがセットになってる業界と、 両者が根本的に分かれてる業界とがあって、医療なんかは前者なんだと思う。

研修医向けの教科書に載っているような病気についてなら、たぶんどこの病院であっても、 似たような治療ができるだろうし、たとえ専門家がいなくても、検査の機械だとか、薬とか、 少なくとも日本なら、どこに行っても似たようなものは手に入る。

よっぽど特殊な病気でもない限り、たいていの病気については、 少なくとも教科書どおりの治療を提供することぐらいは、どこの病院でもできるはずなんだけれど、 専門技能を持たない医師は、今の時代、患者さんの病気に対して「責任」を負うことができないから、 専門機関に紹介される。

「紹介」という行為は、だから紹介する側からすれば「責任の移譲」であって、「問題の解決」それ自体は、 もはや紹介の理由にならない。

今仕事をしている人たちは、もちろんそんなことはとっくに分かっているはずなのに、 「大事なのは問題の解決それ自体であって、責任なんて考えたこともない」という建前が、 責任の議論をやっかいにしている。

「判断」のコストというか、リスクみたいなものが、どんどん上がっている。今はだから、 専門家の意見が本当に必要な、具合が悪いんだけれど原因の分からない人、 ある疾患が疑わしいのだけれど、症状が典型的でないから確定診断がつかない人ほど、 専門病院の受診が難しくなって、当直なんかでそういう患者さんを引き受けてしまうと、 そこから先、誰からも意見が聞けなくて、時々ものすごく困る。

こういうのやってほしい

具体的には「当直医学」という連載企画をやってほしい。若手がベテランに、 翌朝までの、当直の乗り切りかたを尋ねる企画。

ベテランに語らせてしまうと、これはもう、役に立たない自慢話になってしまうから、 形式としては、若手からの提案を、ベテランに訂正してもらう形にする。

たとえば「腹痛」というテーマに対して、「原因不明の腹痛は、補液と抗生剤、絶食だけでも、 一晩なら経過を見て大丈夫」という仮説を、若手からぶつける。

こういう仮説の根拠になる、腹痛の原因として考えうる疾患を列挙して、例外ケースを探して、 それを除外するための検査をセットにする。

こういう思考実験をすると、一つの症状に対して、ある検査を行って、いくつか特定の疾患を否定できれば、 あとはこれとこれをやっておけば、朝まで様子を見て大丈夫、という、一般ルールみたいなものが作れる。 若手が「ルール」を作って、これをベテランの先生に添削してもらう。

「そんなのはケースバイケースで答えられない」とか返すベテランはチキン野郎認定で、 例外ケースの抜けとか、根拠になる論文の補完なんかをベテランに行ってもらえば、 最終的に、「腹痛の対処については、あの有名な○○先生お墨付のやりかたでいける」なんて結論が得られる。 ○○先生が死ぬまで、腹痛の法廷仕事は、その人に任せればいい。

頭痛とか腹痛、意識障害、呼吸困難、麻痺、症状ごとに、「若手のルール」と「ベテランの返し」と、 一つの結論を目指してぶつけ合う企画を続ければ、そのうちたぶん、「当直ならこうすればいい」という、 症状ごとの、一連の対処リストができる。

悪までも「翌朝まで」限定だけれど、こういうことを2年もやれば、内科当直というお仕事からは、 「判断」が追放される。医師に要求されるのは、行動と、検査の解釈だけになるから、 その地域にある施設で、どんな症状の患者さんなら受けられるのか、ある程度数字で測定できるようになる。

流れとして、こういうのは間違ってないと思うんだけれど、みんな責任が嫌だから、 あるいはそもそも、現場には「問題」だけがあって、「責任」なんてないことになっているから、 やっぱりこういう流れにならない。問題の解きかたが、どれだけ詳細に、「エビデンス」を積んで示されたところで、 責任の引き受け手がいないのなら、問題はやっぱり解決しないのに。

救急を受ける病院が本当に減った。あるいは「分からない人」を受けてくれる専門施設も。

こういうのはたぶん、解決する方法がちゃんとあるのに、上の人たちがそれをやろうとしてくれないから、 現場から黙って人が去ってるんだと思う。

「いわゆる当直」の技能は、もう実質失われているようなもので、うちに手伝いに来て下さっている当直専門業務の 先生がたも、みんな50台。こういうのは体力のある若い人の領域なのに、いまはそもそも、働き手がいないのだと。

ベテランから何かを「引きずり出す」企画というのは、やったら絶対に役に立つとは思うんだけれど、 ベテランの人を、いわば罠にはめるようなものだから、やっぱり難しいとは思う。

それでも責任だけが、「ないこと」にされたまま、必要以上に重くなってしまった現在、 それが軽かった昔を知っているベテランの知恵を受け継いでいかないと、もう後が続かないと思う。