神話としてのアンパンマン

ハッヒフッヘホー。アンパンマン、腐敗と発酵の違いを知っているか?」

大体このへんから始まった、一連のおしゃべりをまとめた。

バイキンマンからこんな問いを投げかけられて、アンパンマンはたぶん、 答えを見つけられないはず。正義というのは本来、「悪役」なしには存在できないから。

妄想:アンパンマンは山の神様だった

原作だとこのあたりは、アンパンマンの本体は、ジャムおじさんのパン種に飛び込んできた星みたいな何かで、 バイキンマンは異星人だけれど、このあたりはあくまでも、人間の側から見た事実。

物語の序盤に、 「アンパンマンとバイキンマンは元は同類の存在であったが、片方はイースト菌で食用に、もう片方は雑菌が繁殖し出来損ないとして廃棄された」なんて設定を持ち込むと、 印象がずいぶん変わる。

焼かれる前のアンパンマンバイキンマンは、恐らくは山の中に「パン種」として存在していた。 ジャムおじさんの介入を受けることなく成長していたら、彼らは山の神様として、 人の世界に定期的に出現しては、食料と災厄をもたらす存在、 制御された神の化身がアンパンマン、制御しきれない荒魂がバイキンマンという、2面性を持った、 典型的な日本の神様になるはずだった。

アンパンマンという物語では、神様の片割れが人にさらわれ、焼かれ、殺されてしまう。

ばい菌は発酵させたり殺したりして「食べられるようにする」、都合のいい状態にするというのが人間たるジャムおじさんの宿命で、そうしないと現代的な生活なんてできない。 「火を通す」という行為を通じて、「向こう側」にあった存在は作り替えられて、正義の味方として、 人の世界にとって都合のいい、暴力装置として働きはじめる。

バイキンマンから見れば、それは「同胞を殺された」ことに他ならないけれど、 人間の側からみれば、ジャムおじさんのオーブンから「生まれた」正義の味方は、 紛れもなく生きている。

アンパンマンという物語は、死者であり、正義の味方でもある、アンパンマンという存在を軸にした、 「神」と「人」との関係を問いかける。

バイキンマンは本気を出さない

神の世界に属するバイキンマンは、ある意味自然界そのものだから、一個の生命体というよりも、 台風とか山火事のような、自然災害に近い存在。そもそも不死だし、それに対して「戦う」なんて行為自体、 バイキンマンがよほど手加減をしない限り、成り立たない。

バイキンマンは「意志を持った膨大な細菌の群体」だから、いくらでも増殖できるし、 死というものがない。焼かれて生命を失った有機物に過ぎないアンパンマンでは、そもそも勝てない。

物語世界の中で、バイキンマンという存在は飛び抜けた力を持っていて、 アンパンマンがいくら頑張ろうと、バイキンマンが本気を出したら、世界は滅んでしまう。 人類はだから、戦っているのではなくて、バイキンマンの意志によって、生かされている。

ジャムおじさんに焼き殺されたバイキンマンの同胞は、焼かれる以前、 たぶん「正義になりたい」夢を持っていたのだと思う。

「正義」は恐らく、バイキンマンにとって最悪の形で実現したけれど、 正義はそれでも、焼かれた同胞の夢だった。バイキンマンはだから、正義になりたくて、 「焼かれて空っぽ」になったかつての同胞に、せめて夢だけでも見せようと願い、 世界の存続を決断したのだと思う。

似たようなお話が延々とループするアンパンマン世界を継続させているのは、 バイキンマンの哀しい優しさであって、バイキンマンは、 かつて同胞だったアンパンマンを焼いた人類を呪いながら、 頭を焼かれ、神としての存在を失った同胞の「夢」を守るために、 アンパンマンと戦い、負け続ける。

脳を焼かれて思考する力を失っているあんパンは、終わることのない日常をいぶかしむことなく、 今日も呼ばれては、笑顔でバイキンマンをやっつける。たとえそれが欺瞞であったとしても、 正義の味方のそれは夢だったから、物語は均衡状態を保ったまま、終わらない日常が続く。

アンパンマンマーチを作ったのは誰か

あの詩を作ったのはバイキンマンなんだと思う。

バイキンマンは人類を憎んでいるけれど、彼らを殺せない。

ジャムおじさんは、アンパンマンを焼き殺した張本人であると同時に、神から見れば「死んだ」状態にある アンパンマンの夢世界を構成する、大切な部品でもあるから。

バイキンマンにとって、あの世界は地獄に見える。自分は常に疎んじられて、 同胞は毎日のように自分を殺しに来て、絶対に勝てない戦いを強いられて、 それが永遠に繰り返す。

村の住人を皆殺しにするぐらいのことは簡単だけれど、 それをすると、バイキンマンの復讐が終わる代わりに、アンパンマンの夢も終わってしまう。

バイキンマンはたぶん、そこが地獄であっても、アンパンマンの暮らすこの世界が好きで、 たとえ形だけの存在になったとしても、同胞には幸せな夢を見てほしいから、 自分が自分でいられる間だけでも、悪役を続けて、 アンパンマンにとっての「正しい世界」を維持しようと頑張っている。だからあの歌詞になる。

「そうだうれしいんだ 生きる喜び たとえ胸の傷が痛んでも」

アンパンマンのマーチ」を、「人が歌っている」と考えると、あれはなんだか、奴隷を使役する歌みたいに聞こえる。 歌詞の中には、アンパンマンに対する感謝の言葉が入らないし、アンパンマンを気遣う言葉も入ってこない。

何よりも、アンパンマンには「友達」がいない。

普段村人と親しく会話しているはずなのに、歌の中では「愛と勇気だけ」が友達とされる。

あの歌は、空っぽの中身に愛と勇気を詰め込んで、自らのアイデンティティのよりどころである悪と(本人の意志はともかく)戦い続ける日常を繰り返すための歌」であって、 アンパンマンに対する応援歌ではないんだと思う。

人から見ればおかしな歌詞も、これをバイキンマンによる、「殺された同胞を悼む歌」であるとするなら、 矛盾は無くなる。

物語の設定上、バイキンマンはこの歌が大嫌いで、子供がこれを歌っているのを聞くと、 全身がかゆくなるんだという。

同胞を殺して使役している人類が、、「自らの危険を顧みることなく、自らの存在に疑問を持つことなく、 今日も命がけで戦いましょう」なんて、アンパンマンに歌いかけているのを見れば、 憎しみで全身をかきむしりたくなるぐらいのことは、当然だと思う。

人類は進歩する

全ての元凶はジャムで、アンパンマンは正義を演じる愚かな操り人形、ジャムを除いて全てを知っている唯一の人物がバイキンマン、という構図に見えますね

あの物語はたぶん、バイキンマンが「終わらせよう」と思わない限りは永遠にループする。

物語に終わりをもたらせるのは、だから人類代表である「ジャムおじさん」で、彼は実際、着々と手を打っている。

神様世界の存在が、奇跡みたいな偶然で人間側に転がり込んできたのがアンパンマンだけれど、 ジャムはすでに、カレーパンマンを制作することで、奇跡の再現に成功している。

技術はさらに進化して、海外ではすでに、「量産型」の食パンマンが生み出さた。 ジャムおじさんはまた、メロンパン、ロールパンの制作を通じて、 「添加物によるクリーチャーの性格コントロール」にも、部分的な成功をおさめた。

適切な食品添加物を生地に加えることで、ジャムおじさんの工場は、もうすぐたぶん、 オリジナルよりも耐腐食性、耐候性に優れ、性格的にも従順な「神殺しの武器」を作りはじめる。

恐らくバイキンマンは、「終わり」が来るのを分かった上で、あえて何もしていないのだと思う。

技術を進歩させた人間は、いずれアンパンマンの助けなしでも神を殺せるようになる。 夢見るヒーローであるアンパンマンは、そうなれば、人類から解雇通知を突きつけられてしまう。

それは恐らく、バイキンマンの本意じゃないから、最後はたぶん、バイキンマンは覚悟の上での相討ちを試みる。 アンパンマンに自分を殺させて、一緒にアンパンマンを倒す。神は敗北するけれど、倒れるその瞬間まで、 アンパンマンの夢は覚めない。

もう一つの終わりかた

悪の象徴であるバイキンマンが倒された世界に、もはや正義の味方はいらない。最後の戦いで、 もしもアンパンマンが生き残ってしまったら、彼は今度は、人類を敵に回すことになる。

正義の味方が「味方」するのは、常に現状維持を望む人の側であって、正義というのはたいてい、 その世界で既得権を得ている人の利益を、そのままに保護することと結びついている。

現状維持を望む勢力における正義というのは、あらゆる変化を「悪」と認識する程度に頭が悪くて、 十分に強力な「正義の手先」であって、「正義が実現された望ましい世界」を自ら考え、 作り出すほどに強力になった「正義の味方」なんて、望まれない。

アンパンマンの頭には、だからあんこしかつまっていないし、時々頭ごと新品に取り換えられるし、 アンパンマンは1人しかいないから、「あんこにとって正義とは何か」なんて考える余裕もないぐらい、常に忙しい。

変革がなされ、「悪」のいなくなった社会において、仕事を失った正義の味方というものは、 「スタンドアロンで制御不能なナンセンスな兵器」 であって、社会はたぶん、アンパンマンの排除を望む。

村には大規模資本が入る。ショッピングモールと高速道路ができて、村は観光地になり、 アンパンは銅像と着ぐるみに置き換わり、パン屋は大いに栄え、そのくせたぶん、パンを焼く音は絶える。

管理維持コストが莫大な無添加アンパンは用済みになり、胴体は裏庭に捨てられる。

アンパンマンのいらなくなった町」の山奥では、産業廃棄物置き場に捨てられた、 カビにまみれた胴体が町を見下ろして、復讐を決意するかもしれない。決意したとして、 彼はだったらどうすればいいのか、正義とはなんだったのか、分からないと思う。

用済みになった正義の味方は、あるいは自分が必要とされていた昔を望んで、悪役となり、追い詰められる。

物語終盤、顔も失い、包囲されたかつての勇者は、「ジャムおじさん、腐敗と発酵の違いを知っていますか?」と尋ねる。おじさんはたぶん、「アンパンは無添加に限る。腐って土に還るからね」なんて答えるのだと思う。