同意獲得ゲームとしてのネットコミュニケーション

実世界でのコミュニケーションが、「合意形成ゲーム」であるのに対して、 ネットコミュニケーションというものは、「同意獲得ゲーム」なのだと思う。 ゲームの目的が違うから、おしゃべりの戦略は異なってくるし、ゲームが違うから、 ネットで支持を集めた言葉というものは、ネットの壁を越えて、実社会に浸透できない。

コミュニケーションの大きさと深さ

2ちゃんねる」みたいな場所には、何となく、「話を聞いたら、それをもっと面白くしないといけない」という、 プレッシャーみたいなものが働いている気がする。

物事を分析する方向で「面白く」するのは大変だから、たいていは、「動物を見た」というお話が 「狼を見た」になって、「狼が襲ってくるぞ」に進化していく。 「ラーメン屋さんのスープが夕方になると塩辛くなる」理屈と同じで、掲示板みたいな場所に留まって、 そこにいる人たちからの同意を獲得しようとすると、話題はどうしても、「もっと濃い味付け」に向かってしまう。

おしゃべりだとか、伝言ゲームにも、「大きさ」や「深さ」の考えかたがある。

マスメディアは、莫大な数の視聴者に言葉を伝えるけれど、伝言深度はごく浅い。実世界でのおしゃべりは、 「大きさ」も「深さ」も小さいけれど、うわさ話が大規模に発生すると、言葉の大きさと、伝言深度とが、 それぞれ増していく。

ネット世間のおしゃべり、特に掲示板でのコミュニケーションは、伝言ゲームとして、 極めて深い、その割には小さな構造をしていて、たぶん話が極端な方向に動きやすい。

「ネット言論が極論に走りやすい」という現象も、場所によって、ずいぶん印象が変わる。 ニュースで問題視されているのは、「ネット」言論でなく、むしろ「掲示板」言論じゃないのかな、と思う。 いわゆる「ネット右翼」的な、陰謀論ありありの文章というのは、掲示板のまとめサイトだとか、 最初から陰謀論を看板にしている場所ぐらいでしか見かけない。

長文を扱える、blog を使ったおしゃべりは、 陰謀論的なものを書いても突っ込まれるだけだから、話題はどちらかというと分析的な、 「悪い人はいなかった」みたいな論調が増えて、掲示板文化圏からblog 文化圏を見ると、たぶん「サヨク」的に見える。

同意通貨が駆動する

ネット世間での振る舞いは、誰かの「同意」という通貨が駆動している。同意通貨をより多く獲得するため、 発信し、誰かを攻撃し、反撃する。通貨から自由でいられる人は、そもそも書かないし、 気にくわない言葉を読んでも無視するし、そういう人とは住み分ける。

掲示板文化圏で同意通貨を獲得するためには、前の人よりも「濃い」言葉を発信しないといけない。 時間軸で流れる掲示板というシステムは、だから時間とともに「濃い」発言が生き残るし、 極端に流れやすいし、極端な意見を重ねていかないと、参加者は、同意通貨を獲得できない。

Twitter という場所は、住人が違うこともあるんだろうけれど、言葉が濃くなっていく現象がおきない。 言葉の濃さよりも、むしろ独自性が同意に結びつく。誰もが漠然と「こうだ」と思っていることを、 上手に言語化した人が、その場に提出された同意通貨を総取りする構造だから、「極端なことを言う」 競争よりも、むしろ「上手いことを言う」競争が発生しやすい。

言葉の「うまさ」を可視化する、「ふぁぼったー」みたいな仕組みだとか、 あるいはスラッシュドットみたいな、 言葉に重み付けを行う仕組みを2ちゃんねる に導入すると、たぶんあの場所の「言論」みたいなものは、 ずいぶん変わるのだと思う。

実世界は合意形成ゲーム

実世界のコミュニケーションは、合意を形成するために行われる。同意獲得ゲームと、 合意形成ゲームとでは、ゲームの目的が違うから戦略が違うし、同意獲得ゲームの強者は、 必ずしも合意形成の名手にはなれない。

実世界には傍観者がいない。合意通貨が存在しない。コミュニケーションは、 お互いの「歩み寄り」という、価値の交換を介して行われる。より少ない歩み寄りで、 相手から多くの妥協を引き出した上で「合意」を獲得することが、合意形成ゲームの目的になる。

合意形成ゲームにおいては、相手から見て、こちら側が「歩み寄った」という感覚が、振る舞いを駆動する。 どれだけ切れ味のいい、鋭い議論を展開したところで、言葉を発する側が歩み寄る気配を見せなかったら、 合意は形成されない。言葉の鋭さは、合意形成ゲームには、あまり役には立たない。

たとえば麻生総理や小沢一郎みたいな有名政治家の人が、自分たちの側に一歩進んで握手を求めてきたら、 たぶんたいていの人は驚く。驚いた分だけ、今度は自分たちの側から、それに等しい価値の「歩み寄り」を 支払わないと、帳尻が合わなくなる。政治家はだから歩くし、握手をするし、頭を下げて、そうしたささいな 振る舞いが、とてつもない重さを発揮する。

ところがこれが、選挙に出たての、誰も知らない候補者が握手を求めてきても、自分たちはたぶん、 その行動に価値を感じない。駆け出しの、若手候補が有名政治家に等しい価値を生み出そうとしたら、 彼らはだから、汗だくになって走らないといけないし、有名政治家が自動車に乗ったら自転車で、 彼らが自転車に乗ったら歩いて、相手以上に「歩み寄り貨幣」をばらまかないと、支持は得られない。

小沢党首の泥臭い選挙戦略は有効に機能して、一方で、ネットで支持を集めた自民党の言葉は、 選挙には、あまり役に立たなかった。自民党は、もしかしたらたくさんの同意通貨を集めたかもしれないけれど、 選挙というのは合意形成ゲームの勝者が勝つルールだから、選挙には負けた。

ネットは実世界を動かせない

ネット世間でたくさんの同意通貨を獲得した議論、「民主党が勝つと中国が攻めてくる」みたいな議論は、 実世界でそれを聞いた相手を説得する役には立たない。極論を喋っている人にとっては、 同意通貨を大量に獲得したこのお話は「真実」であって、歩み寄る余地が存在しない。歩み寄りのない 言葉は、合意を生まないから、世間は動かない。

宣伝の技術を駆使した、ヒトラーみたいな人物にしてからが、駆け出しのナチス党員として入党した頃は、 泥臭い合意形成ゲームに勝利することで、ナチス党という世界の中に、 自分を支持してくれる小さな場所作るところから始めないといけなかった。

ナチスドイツは、「宣伝が上手だったから」ドイツを支配したわけではないんだと思う。

ヒトラーは自分の考えを、「国民を宣伝で支配する」というところまで、「我が闘争」にきちんと書いて公開していたし、 ナチス党と当時のドイツ与党と、どちらが勝つのか分からない時点では、ナチスがメディアを支配していたとか、 全てのメディアで朝から晩までナチスの宣伝番組が流れていたとか、そういうことはなかった気がする。未検証。 ナチスだって単なる野党で、きちんと選挙の手続きを踏んで、たぶん最初は、泥臭い、 合意形成ゲームを与党に挑んで、勝ち上がってはじめて、宣伝という同意獲得ゲームに駒を進めたのだと思う。

ネットと実世界とを接続する道具として、たぶん「発見された物語」というのが鍵になる。