無様にやるのは難しい

相変わらず、教科書みたいなものを少しずつ書いている。

薬の使いかただとか、手技だとか、どうせ書くならば、なるべく「みっともない」やりかたを、 不格好で、誰にでもできるような、熟練した人がそれを読んだら、あまりのくだらなさに笑ってしまうような、 そんなやりかたを紹介したいのだけれど、それがとても難しい。

挿管チューブのこと

たとえば人工呼吸器管理を行うときには、できるだけ太い挿管チューブを使ったほうが、 患者さんの全身管理がやりやすくなる。

太いチューブは入れるのが少し難しいのだけれど、それでも慣れれば簡単に入る。 ベテランはだから、みんな太い挿管チューブを選択して、慣れていない若手には、 「もっと太いの使え」なんて、お前も速く一人前になれだなんて、発破をかける。

教科書には、太いチューブのメリットばっかり強調される。

喀痰吸引がやりやすいこと。患者さんの呼吸仕事量は、もちろん空気の通り道である挿管チューブが 太ければ、それだけ楽になること。それはもう、反論のしようがない事実なんだけれど、太いチューブを 入れることができない初心者には、手が届かない。 太いのがいいとして、細かったら本当にいけないのか、同じ重症度の患者さんを抱えて、 術者が下手くそで、太いチューブが入らなかったら、そのことは、患者さんに対して どの程度致命的なのか、そういうことは、あんまり書かれていない。

たとえば呼吸不全を起こした成人男性については、こんなことを知りたい。

  • 何かのトラブルで細いチューブしか入れられなかったとして、どれぐらいの細さから問題が発生するのか
  • あるいはどれぐらいの期間までなら、細いチューブでも戦えるのか
  • そういう状況をどうしても離脱できなかったときに、他に何を行えば、細いチューブで患者さんを維持できるのか

手元にある呼吸管理の本を調べても、そもそも「細いチューブ」に言及している本自体が少ないし、 それをやったことがある人も、あるいは少ないのかもしれない。マニュアル本にこういうことが記載されていたら、 きっと便利だと思うんだけれど。

真のベテランはみっともない

NHKクローズアップ現代で、グローバル化する企業の特集が組まれていた。

番組の中で、英会話教育に取り組む企業が放映されて、「きれいさ」とは対極にあるような、 単語をブチブチに切って、適当に並べただけみたいな、そんな英会話が教えられていた。

放映されていた分量はごくわずかだったけれど、講師の先生は、正しい文法だとか、 きれいな言い回しだとか、いわゆる英会話のやりかたを無視しているように見えた。

番組の中では、前置きなしで「このコーヒーは冷めないという言葉を英語で語って下さい」みたいな 問題が出されて、英会話の苦手な参加者に、手持ちの知識でどうやって相手にそれを伝えるのか、 ごまかしかたというか、逃げかたというか、「これっぽっちの知識しかなくても、英語は十分に伝わるんです」 なんてメッセージが伝えられていた。

これはすばらしい試みだと思った。

もっと無様なやりかたを教えてほしい

医学教科書は、「できる人」ががんばれば理想的にいけるやりかたが書かれていて、 たいていの場合、読者のレベルは書いた人より低いから、読者に理想を要求されても困ってしまう。

感染症医学の教科書は、患者さんを詳細に診察して、内蔵の奥の奥から、「正しい検体」を検査に出せれば、 「この薬で絶対に治ります」なんて請けあう。プロの助言はたしかに間違っていないんだけれど、 その正しさは、自分たち内科が「正しい検体」を取ってくることが前提で、そこの責任は請けあってくれない。

あの人たちの言葉は、たしかに何一つ間違っていないのに、現場ではしばしば、なんの役にも立たない。

ベテランの人たちはむしろ、「抗生剤は、こんなに間抜けな使いかたをされても、患者さんは治るんだよ」 みたいな例を示すべきなのだと思う。誰が見ても最低のやりかた、 門外漢の内科が見ても、「さすがにこれはないだろう」なんてやりかたをこそ、 プロがやって見せて、限界のある場所を示すべきなんだと思う。

身も蓋もない正論をまくし立てるベテランが、どうしていいのか分からない状況の患者さんを 抱えた若手の前に立ちはだかっても、尊敬は得られない。その人の論理がどれだけ優れていても、 邪魔された若手は、ベテランにすがるどころか、彼らを回避する方法を編み出すだろうから。

「みっともない」マニュアルを作りたい。

右も左も分からない研修医がこれを読んで、「こんなのでいいなら、俺のほうが上手に治せる」なんて、 思わず笑ってしまえるような、診断だとか、治療のやりかたが書ければいいなと思う。

「みっともなくやる」のは難しい。そうしたやりかたをするためには、「それでも大丈夫」という根拠が必要だし、 たいていの場合、「ちゃんとやった」ほうが、管理ははるかに簡単だから、 みっともないやりかたは、たくさんのトラブルケースを乗り越えてきた人でないと身につけられないし、 語れない。

その場に集った医師の中で、もっとも無様で、不格好なやりかたを提案できる人が、 本当のベテランなんだと思う。

みっともなくやれないベテランは、そもそも自分をベテランと認めちゃいけないし、 無様なベテランが、後ろで一番無様に構えてくれているからこそ、 若手は安心して「ちゃんとやる」ことができるのだから。