勉強が楽しくなる

このところずっと、内科の勉強が楽しくて、他のことが手につかない。

そもそもが勉強嫌いで、昔は論文を一生懸命読んだけれど、最近はそれも面倒で、 せいぜいが日本語の教科書を月に何冊か、面白そうな分野をつまみ食いする程度だったのだけれど、 今月に入ってからは、けっこう厚い英文教科書を、飽きもせずにずっと読んでいる。

作るために教科書を読む

教科書を自分で書くメリットというのは、意外なところにあるものなんだなと思う。

自分が今作っているものは、何か当てがあるとか、依頼されてやっていることではないのだけれど、 それでも一応、誰かに向けて、何かを伝えたいからこそ、教科書というものは作られる。

穴だらけの知識を開陳したところで馬鹿にされるだけだから、教科書はまず、自分の知識を言語化して、 他の教科書と比べる必要がある。書いてみて、比べてみて、はじめてそこで穴が見える。

穴だらけなのを見るのは落ち込むんだけれど、穴が埋まると、 なんだか自分が書いているものが「強く」なっていくような気がして、面白い。こういうのはたぶん、 RPG で自分のキャラクターを育てるのに似てるんだと思う。

目的もなく、あるいは「勉強のために」、他の人が書いた教科書を頭から読むのは、 たぶん間違っている。特に読者が、ある程度その分野に明るい人ならば。

頭から読んだ教科書は、目が滑って、読むのに努力がいる割には、集中できない。

教科書には「総論」部分が必ずあって、作者の考える総論を、その人が知識を整理するためのやりかた みたいなものをまず受け入れてからでないと、各論が読めない構造になっている。ある程度その分野に明るい人は、 たいていの場合、自分なりの理解のやりかた、知識の置き場所みたいなものがすでに出来上がっているから、 教科書を読むとき、「総論」部分の構造が異なっていると、それが障害になって、集中できない。

自分なりに教科書を書いて、頭の中にある「総論」部分を言語化しておくと、自信のあるところと、 穴になっているところが明らかになって、見通しがよくなる。教科書を読むときにも、自信のある場所は批判的に、 知識がほしい場所は、コピーできそうな「おいしい」記述を探すために、場所ごとに読みかたを変えられる。

読むときに目的が生まれるから、集中力が続く。

見出しシールは大切

他人様の教科書を読むときには、自分なりの見出しをつけるべきと思う。

今自分が作ろうとしているのは症状別のカンニングペーパーみたいなもので、まずは症状があって、 そこから連想しないといけない「死ぬ病気」を列挙して、それぞれの病名に対して、 ベテランの悪知恵みたいな、統計的な根拠によらない、「効く治療」をメモしてまとめている。

自分にとっては「症状」が総論だから、興味は必然的に、「死ぬ病気」の見分け方と、回避のしかたに集まってくる。

教科書の目次を読んだところで、目当ての知識がどこにあるのかはあやふやで、 そういうのをいちいち探していると、そのわずかな手間が積み重なって、嫌になる。

今読んでいる教科書には、見出しシールが60枚ぐらい、自分が興味のある病名の、 総論抜きの「診断」のところに貼ってある。そこを引っ張れば、目次を見なくても、 自分の知りたい知識が飛び込んでくる。

見出しシールを張るのは面倒なんだけれど、役に立つ。

教科書というのは、まず読んで、今度は自分の文章に置き換えて、 あやふやなところをまた読んで、と、何度も何度も同じ場所に立ち返る必要があって、とくに 教科書に求める目的が、それを書いた人とは全く違うところにあるときには、いろんな記述を 並べて見直して、共通している記述を探したりする作業が欠かせない。

見出しをつけておくと、目次からページを探す、わずかなその手間がなくなって、 教科書を広げ直すときの閾値が下がる。薄い教科書ならそれでも、たいしたことがないんだけれど、 A4版1600ページの本は、見た目はもはや電話帳で扱いにくいから、わずかな手間が大きな差となって現れる。

本というメディアにとってと特等席は、表紙と裏表紙、ラベルシールを貼れる小口のところで、 こうした場所は、本を開かなくても、そこに書かれていることを読むことができる。

たいていの教科書で、表紙と裏表紙にはせいぜい題名しか書かれていないし、小口に専用のシールを 用意している教科書も少ない。これはもったいないと思う。

やっぱりLaTeX

「優れた臨床医を目指すなら、君もLaTeXぐらい嗜んでおくといいよ」なんて、研修医を何人か 騙したことがあるけれど、やっぱり今でもLaTeX は役に立っている。

断片を集積した、穴だらけの知識であっても、それに目次がついて、索引がつくと、 とりあえず教科書っぽい見た目になる。一度そうしたものを作って、いろんな教科書とあたりながら、 自分の教科書を「育てて」行くやりかたは、胡乱なようでいて、正解に近い気がする。

勉強に目的を持つこと、知識のインプットよりも、むしろ何かのアウトプットを志向したやりかた、 不完全でもとりあえず何かつくって、できればそれを他人様の目につくところに置いておく、 というプレッシャーをかけるやりかたを目指すときに、それ専用の道具を持っておくと、 きっと勉強の効率が上がる。

インストールもずいぶん楽になっているみたいだから、新人の人は試してみるといいと思う。

進捗状況

とりあえずCMDT2009年版を読み終え、今内容の整合をとっている最中。呼吸器関連のところまで終了。 たぶん1週間ぐらいで、訂正が一巡すると思います。

PDFが新しい版にさしかわっているので、ご意見いただければ幸いです。