テトリスみたいなチャート表について

今回作った版には、パズルゲームの「テトリス」みたいに入り組んだ表を全面的に取り入れました。

これはもともと、"Cooking For Engineer" - BluePillの別宅 というサイトで紹介されていた、料理の手順をチャート表示するやりかたです。

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これはマッシュルームスープの作りかた。

この記法は、条件分岐を記述できない代わり、ある行程に複数の動作を組み込むことが簡単で、自分が今 どのあたりにいて、これから何をすればいいのか、一望するのが簡単だ、という特徴を持っています。

この表が面白かったので、料理の「材料リスト」に当たるところに「鑑別診断名」を、 手順だとか、調理に相当する場所に「検査」をそれぞれ代入すれば、 ある症状を持った患者さんに対して、医師が取るべき行動を、分かりやすく記述できないかな、 というのがそもそもの始まりです。

思考経路を図解する、あるいは伝えるフォーマットとしてのフローチャートは本当に便利なのですが、 やはりあの形式は、人間の生理に即していないような気がします。

フローチャートで思考記述を行うと、判断の根拠ははっきりしているし、 フローチャートの穴を全て埋めたら、なんだかとてももっともらしい、いいものを書いた気分になれます。 フローチャートを仕上げると、書いている人間が、なんだかとても上等な人間になれたような気がして、 この気持ちよさみたいなものが、多くの手順書でフローチャートを普及させた 原動力になったのだと思います。

ところがたぶん、どこの業界でも共通して、そうして生まれたフローチャートは、 それを作った人が期待したほどには、使われていないか、あるいは役に立っていません。 フローチャート形式の教科書はたくさんありますが、チャートが役に立ったためしはないし、 それは恐らく、自分が昔書いた2004 年版のマニュアルでも、同じだったのでしょう。

以前作った研修医マニュアルでは、自分が普段やっていること、思考の経路、判断の手順を、 全部フローチャート形式、NSチャートという、フローチャートのを改良した記法でまとめました。

フローチャートは分かりやすかったし、知識のあるべき場所が定まって、そこにたどり着くために必要な検査だとか、 思考もまた、ツリー形式のどこかにきちんとおさまって、出来上がったチャートは整然としていて、 そこそこ複雑で、なんだか自分が頭のいい人間だったことに、書いてみて改めて気付かされるみたいな、 妙な気持ちよさがあったのですが、作者的に完璧に思えたフローチャートは、結局のところ、 当の作者も使いませんでした。

いろいろ考えて、自分はたぶん、あるいは多くの同業者もまた、「もっと適当にやってるんだろう」なんて 結論に至りました。

患者さんが来る。診察するまでもなく、患者さんを見たその瞬間に、おおよそ「お腹っぽい」なんて 見当をつけて、そっち方面の検査を、そのときの気分だとか、病院の状況に合わせて、 適当にオーダーする。答えが返ってきて、ある病名に飛びついて、そこではじめて、 何となく患者さんに接してきた今までの時間が書き換えられて、あたかも最初から、 医師がきちんと考えていたかのような思考経路が再構築される

入り口が一つしか設定できない、チャートの「木」を逆戻りできないフローチャートは、 一つ一つの判断に厳密さを要求されて、そこで失敗すると、もう他の「枝」をたどることはできません。 あの記法はだから、人間の、少なくとも医師の生理には反していて、 それを描くと気持ちがいいのにもかかわらず、役に立ちません。

以前の版だと、たとえば「失神発作」の患者さんは、こんなチャートに従って診断を受けることになっていました。

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患者さんは最初に心電図検査を受けなくてはならず、ここの読みを間違えると、もういくつかの鑑別診断は、 二度と振り返ることができません。心電図というあやふやな検査に、そこまで重きを置くべきではないのに、 「フローチャート」という形式で鑑別診断を記述しようとすると、心電図をここに持ってこないと、ツリー構造が描けません。

出来上がった図版は、そこそこに整然としているにもかかわらず、実際にこの図版のとおりに 物事を進められる状況は限られるような気がします。

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今回の図版は、もっと素朴というか、見た目馬鹿っぽい代物で、心電図、心エコー、胸部画像診断など、 表を構成するブロックの、どこから入っても使えるようになっています。

たとえば失神を生じた患者さんに、とりあえず誰かが胸腹のCTスキャンを提出していたとして、 チャートに従えば、それでとりあえず、心タンポナーデと肺塞栓という、 2つの病名が疑えるか、あるいは除外できることになります。

ブロックが一つ消せたところで、この患者さんにたとえば「血液ガス」検査を施行しても、 この検査はブロックの大きさが小さい、判断貢献度の低い検査なので、 この検査から得られるものは少なそうだ、という見当がつきます。 大きなブロックを探すと、次に行うべきは「心電図」であるか、あるいは「心エコー」になります。

「心エコー」のほうは、病名に近い分、これは疾患特異度の高い検査で、 「心電図」と比較したブロックの大きさ、判断貢献度はどちらも同じぐらいに高い検査なのですが、 手元に「胸部画像診断」という情報を持っている状況なら、より広い疾患を除外できるのは「心電図」であって、 何かをよりたしかに診断できるのは「心エコー」と、現場の医師の判断により、 どちらかが選択されます。

どちらの検査にしても、それを施行したところで、まだ「けいれん発作」のような疾患が存在する 可能性が残っており、そちら側を疑うならば、出すべき検査もまた変わってきます。

今回作った「テトリスみたいな図」は、どこからでも入れること、なんとなく病気の方向に向けてブロックを消していけば、 いつかは病名にたどり着けることを意図して作ったのですが、これは図版としての整合性を作るのが 恐ろしく面倒な割に、出来上がった図版は、なんだか当たり前のことを、すごく馬鹿っぽく書いているように見えて、 こんなものが本当に役に立つのか、今のところはまだ分かりません。

図ができて、なんだか自分がとてつもない馬鹿であったことに今更気がつかされる思いがして、 作っていると嫌になる、その嫌感が、たぶん正解に近いことの裏付けなんだ、などと考えてはいるのですが。。