それが使われる風景を想像する

4年ぶりに改訂したマニュアルに関するお話。

見た目のびっくり度と、視覚に訴えるわかりやすさを押し出した前の版とは考え方を改めて、 今回作った版は、無難であること、使ってくれる人たちに、それを使う理由を提供できることを目指した。

無難は難しい

自分で書いておいてなんだけれど、無難な本を作るのは本当に難しい。

医局で一人、ちまちまとパソコンを叩くだけのもモチベーションを維持するのはもちろん自己顕示欲だから、 とにかく「すごい」ものを、それをみた人たちに、そのすごさが伝わるようなものを目指してしまう。

自己顕示欲に負けてしまったプロダクトは、たいてい惨めな失敗に終わる。

レイアウトが変に凝ってる代わりに読みにくかったり、普通の本なら「ここ」というべき場所に、 当然あるべき記載がなかったり。無難なやりかたには、無難なりの意味があって、そこを無視した本は、 奇抜だけれど使いにくくて、最終的に捨てられてしまう。

「思想」を前面に押し出したテキストは、思想の暑苦しさ故に煙たがられる。 昔書いたマニュアルは、ダウンロードされた数の割には反響はさっぱりなかったんだけれど、 たぶんこのあたりに原因があったのだと反省している。

新しいものには理由がいる

昔の版は、スタンドアロンでとりあえず間に合うものを目指していた。

この方針は、出だしからして間違っていたような気がする。

スタンダードがすでに出来上がっている業界に、あとから割り込みをかけようと思ったならば、 たぶん「何かすごいもの」を作り上げるよりも、スタンダードとして通用している定番商品に、 「寄生」する形での伝播を狙ったほうが、まだ現実的なのだと思う。

昔の版は、あんなものでも内心「ワシントンマニュアルとの置き換え」みたいなポジションを狙っていた。

もちろんかなうわけないし、今の病院業界は、人と違ったことをやったら後ろから刺されても文句言えない場所だから、 そういう状況で、誰が書いたのかも知れないマニュアルをダウンロードして、それを日常業務で使う人なんて、 そもそもいるわけがない。

無理な目標目指して、それを超えるために「よさ」を追求するのは間違った努力なのだと思う。

今回作ったものは、「Current Medical Diagnosis and Treatment 」という定番教科書の、 「日本語目次」として使われることを目標にしている。

CMDT はそこそこ広く使われている内科の教科書で、毎年改訂される代わり、 値段は7000円前後と医学書にしてはそこそこ安価で、 臨床に即した内容が多い。病棟で使うにはちょうどいい本で、以前は日本語版もあったのだけれど、 けっこう売れていたはずだったのに、 なぜか改訂がストップしてしまった。

CMDT は「電話帳」なんて呼称があるぐらい、分厚い割にはヘロヘロの装丁で、重たい本で、索引が使いにくい。 ここにはたぶん、日本語目次の存在できるニッチがある。 今回の版は、「ワシントンマニュアルと真っ向勝負」なんて馬鹿な野望捨てて、 まずは「これを持っているとCMDT 検索するのに便利」を目指そうと考えている。

次に打つべき一手のこと

市販の医学教科書は、ほとんどが臓器別の分類になっていて、たとえば「お腹が痛い」患者さんが外来に来て、 とりあえず腹部レントゲン検査を行ったんだけれど良く分からなくて、じゃあ次にどうすればいいのか、次の一手を教えてくれない。

検査戦略というか、ある症状を抱えた患者さんと検査データとがあって、医師がまだ結論にたどり着けないでいるとき、 次に行うべき一手というものは、アートというかセンスというか、個人の裁量任せになっている。このあたりに 医師ごとのばらつきがあって、ばらつきがあるから結果が不均一で、トラブルに厳しいこのご時世で、 トラブルの多い科に人が集まらない原因になっている気がする。

じゃあ症状別に教科書作るとどうなるかというと、「この病気はどこの症状に入れるべきなのか」という問題が発生して、 収拾がつかなくなる。

おなかの痛くなる病気は無数にあって、たとえば「腸炎」みたいな病気は、吐き気もくるし、下痢することだってある。 医学知識は病名ごとなのに、症状別分類を行うと、知識のおさまるべき場所が全然決まらない。 今はどの教科書も、何人かの先生方が分担執筆するのが常識だから、 分担できないものは、作れない。

今回の版は、症状別に病気を押し込んで、病名ごとに相互参照を行って、 問題ご強引に解決しようと試みた。

これが本当に使いやすいのか、本を開いて、文章があるべき場所に「○○ページ」としか書いていなかったら、 ユーザーはそのときどんな気持ちになるのか、こればっかりは、実際に使ってみないと分からない。

今回の版は、書籍内相互リンクと、もうひとつ、「次の一手」を図示するために、 「テトリス」みたいな図表を導入している。これは一応、症状ごとに主だった病名を列記して、 病名に対する「疾患特異度」を横軸に、症状に対する「判断貢献度」をブロックの大きさで、 それぞれ表現しようとする試み。

素朴な図だけれど、新しいと言えば、これはけっこう新しい試みだと思います。

感想を聞かせていただければ幸いです。