アートとクラフト

「クラフト」というのはまず素材があって、そこから何が作れるのかを考える立場。

「アート」というのは、まず作りたいものがあって、その表現手段として、 素材が選択されるやりかた。

技術はたぶん、「アート」から始まって「クラフト」へと移行する。 成熟して、確立した技術が、今度は「素材」となって使われるようになる、 そんな流れがあるんだと思う。

ボブの絵画教室

アメリカの画家ボブ・ロスは、「アーティスト」ではないんだそうだ。

人気番組だった「ボブの絵画教室」の中で、ボブは「簡単でしょう?」を くり返しながら、すごいスピードで風景画を仕上げていく。 30分ほどの番組なのに、出来上がった風景画はたしかにすばらしくて、 何よりも筆を動かすボブの手に迷いがなくて、あの番組それ自体が芸術なんだと思ってた。

ボブ・ロスの絵画はきれいで、絵を描く行為それ自体にも娯楽としてのおもしろさが 備わっているのに、伝統的な芸術家は批判するらしい。

ボブの絵画は、あくまでも表層的な手法できれいな絵を描くやりかたであって、 画家の内面に、何か描きたい物があって、それを表現しているわけではないから、 あれは「クラフト」ではあっても、アートではありえないのだと。

「そんな立場を取らないと食べていけない人がいる」というのは、何となく理解できるけれど、 そんな芸術なら、とりあえず自分はいらないかなとも思う。

中国には、芸術家の贋作で生計を立てている村がある。

村一番の「ゴッホ名人」が取材を受けて、カメラの前で「ひまわり」を描いていた。 もう何百枚も同じ絵を描いているからなのか、筆には迷いがなくて、 素人目にはいかにも「ゴッホっぽい」、スタジオの専門家も「いい絵ですね」なんて コメントしてた。

ゴッホはいいですね。描きやすくて

工芸作品としてのゴッホは、「ゴッホ名人」のこの言葉がすべてなんだと思う。

芸術作品としてのゴッホの付加価値は、あの時代だったとか、奇行が目立ったとか、 自殺したとか、あとはもうひとつ、あんな作風を初めて作ったとか。

芸術を評論する人達は、バックグラウンドの付加価値にはあんまり言及しないけれど、 作家としてのゴッホを理解してるのは、ゴッホに何億円もの値札をぶら下げて大儲けする評論家なのか、 何百枚もの「ひまわり」を描きつづけている「ゴッホ名人」の中国人なのか。

ゴッホが今生きてたら、やっぱり中国人と握手する気がする。

頭を使うと予後が悪くなる

近所で開業している先生から、心臓悪くした人がよく紹介される。

みんな同じように血圧高くて、同じようにちょっとだけ血糖高くて、 たいてい腰痛持ち。みんなまるで、判で押したように同じような患者さんなのに、 処方される薬はみんな違う。

入院依頼があって入院してもらって、たいていの場合、薬を全部止めると治る。

心臓治療に使う薬は、この10年ぐらいでほとんど確立している。原疾患が 心筋梗塞だろうが弁膜症だろうが、拡張型心筋症だろうが、使う薬は全く同じ。 薬もよくなって、適当に出しても何となく効いてくれるから、量を調整する必要もない。

自分が普段心不全の患者さんに出している薬は、9割までが全く同じ処方で、 量も同じ。調整する人もほとんどいない。頭使って頑張ると、 病棟が混乱するので、最近はかなり意識的に、頭を使うことを放棄するようにしているけれど、 結局それで問題は生じない。

自分が診察している患者さんは、だから点滴も一緒で、飲んでいる薬も全く同じだから、 原理的にはトラブルが発生しない。患者さん間違えても、同じ薬が行くはずだから。

それでも他人様が作ったクリニカルパスを受け入れるのにはものすごい抵抗があって、 ちょこちょこ書き替えては顰蹙買ったりしているのだけれど。

アートとクラフトのこと

技術は発見されて成熟して、確立したあと、今度は「素材」となって、 次世代の技術者に立ちはだかる。

素材化した技術を前にした技術者は、「アーティスト」として、素材を制圧する道を選ぶのか、 それともクラフトマンとなって、素材を受け入れ、素材に使われる道を選ぶのか、 そのとき自らを試される。

クラフトを志向する技術者は、素材に敬意を払う。確立した、「つまらない」技術を組み合わせて、 信頼性の高いプロダクトを作ろうと努力する。クラフトを極めていくと、 出来上がる製品は「ばらつき」が少なくなって、より「つまらなく」、 より「ありきたりな」、あたかも機械で作ったような方向へと進化する。

アートを志向する技術者は、何よりも「内なる情熱」を持ちつづけないといけない。 アーティストには、まず作りたいものがあって、その情熱に動かされる形で 素材を「制圧」して、素材上の何かを作らないといけない。大切なのは 「未踏」であって「未知」であることだから、もちろん信頼性なんてないけれど、 新しさが受け入れられれば、その技術者もゴッホになれる。

恐らくはもっとも無残な状態が、芸術引き受けるだけの才覚ない人が、 工芸品で十二分に間にあっている場所で、「芸術家」を気取ることなんだと思う。

それが素人絵画なら、ただのかわいそうな人で済むけれど、 医療みたいな現場では、「芸術家」はしばしばとんでもない失敗をしでかす。

ベテランはベテランなんだからこそ、「医療は本来ものすごくつまらない事のくり返しなんだ」 ということを、自ら認めるべきだと思う。