ベッドから始まる経済

寒くなったからなのか、また病棟がまわらない。病棟中探しても、 空きベッドあと3つで当直入りとか、ひどい状況。

このあたりの病院が閉まる18時前後になると、「入院が必要と思われます」なんて 紹介状を持った患者さんが増える。たいてい元気で、症状は5 日も前からで、 「入院が必要」なんて、本人は全く思っていないような患者さん。

「入院が必要」というのは戦略ワード。最初に見た医師が「必要」と判断したら、 それを否定するためには、後の医師は患者さんに責任を負わないといけない。 「入院が必要と思われます」というのは要するに、「もううちの病院閉めるから、 面倒くさいから後はそっちの責任でお願い」なんてぶん投げの依頼。

夜の診察は面倒だし、そこで「明日いらっしゃい」なんてやって、トラブルになったら 自分のせいになるのは分かるんだけれど、これもまた医療資源の無駄遣い。

救急外来開いている病院は、今本当に減っていて、うちみたいな田舎でも、 断り5 件目で再度搬送依頼とか、当たり前になってきた。みんな面倒な仕事から撤退して、 来年以降、当院の休日当番医は4 回増える。

「万が一」に対応するための医療資源は、毎年のように細くなる。 そんな状況を一番よく理解している、現場を知ってる開業医その人が、 まず真っ先に、残りわずかな医療資源を食いにくる。

病気は「床」から始まった

小石川療養所レベルの大昔、たぶん病気というのは、具合が悪くて「床」につくところから始まった。

予防医学なんてない時代。症状のない人、普通に歩ける人というのは、病気と 認定されなかっただろうし、労咳で喀血するような人だって、普通に街を歩いてた。 だからこそ悲惨なことになったんだろうけれど、そもそもの病気というのは、 「人が床につく」状態だった。

もう少し最近、昭和40年代頃に、昔ながらの開業医師に対抗してたのは、「スクーター医者」 なんて呼ばれた人達。スクーターに乗って往診して、訪問診療という武器を使って、 昔ながらの医院から患者さんをさらう。この時代の開業医は、みんな自分のベッドを持っていて、 「スクーター医者」もまた、床についた患者さんから対価を受け取る。 経済の基本はあくまでも「ベッド」であって、ベッドに責任を負うことが対価を生んだ。

「無床」が成り立つようになったのは、まだまだごく最近のような気がする。

自分達が研修医だったほんの10年前、心不全は悪性腫瘍並に予後の悪い病気だったし、 当時の抗腫瘍化学療法は、副作用が強くて外来治療なんてありえなかった。 喘息をコントロールする吸入ステロイドだって出始めたばかり。いろんな病気を 「外来でコントロールする」なんて考えかたそれ自体、 たぶん昭和60年代以降にならないと、それを成り立たせる技術が揃わない。

名付ければそれは病気

病気が「床につく」ことを意味した時代は、 入院診療を行うためのベッドを提供できない人は、たぶん医師としての仕事が成り立たなかった。

医学は進歩する。血糖値が高い人。コレステロールが高い人。 高血圧とか、果ては腹囲が大きい人までみんな「病人」認定されて、 「歩く人」が生み出すお金は増えた。

パイを膨らませたのは、昔ながらの臨床医というよりは、むしろ疫学畑の人達。 当時、どんなパワーゲームがあったのかは分からないけれど、 「歩く病人」というパイは、医療でなくて保健行政とか、もっと別の分野が 持っていってもよかったはず。パイはますます大きくなって、 今では健康診断とか、たしか600億円近い規模のお仕事もまた、医療の取りぶん。

「ベッドが生む利益」と、「ベッド以外が生む利益」とは、たぶん どこかで逆転して、医師の仕事が大きく変質したのだと思う。

病床本位制と診療相場制

医療というのは、とりあえず苦しんでる人に「ベッド」を提供する行為

痛かったり、苦しかったりする人に、休むためのベッドを提供する行為は、 最低限、その人を少しだけ幸せにするけれど、普通に歩いてる人捕まえて、 「お前は病気だ。俺は権威だ。俺に従え」なんて命令するお仕事は、 誰かを幸福にするんだろうか ?

大昔はたぶん、医師という生き物は、自分が責任を持つ「ベッド」の存在と不可分だった。 外来だけの診療所というのは、だからこそ、進化の過程で消化管を捨ててしまったみたいな、 生き物として歪なありかたに思える。

実体としてのベッドが生んだ経済は、今では紹介状という「ベッドの為替」が出回って、 無床の診療所というありかたを許容した。為替は便利だったけれど、 みんなが乱発を続けたもんだから、その信用はだんだん落ちて、現場は息切れ寸前。

無床の診療所を開業している先生がたには、現状についてどう思うのか、 ぜひとも聞いてみたいなと思う。 なんで「ベッド」を捨てる気になったのか。「面倒」とか「疲れた」とか、 そんなぶっちゃけたお話ではなくて、もう少し公的な、前向きな論理をどう作っているのか。

「患者さんくるしんでまーす」とか、「この人がにゅういんしたいっていってまーす」みたいな、 馬鹿のふりした紹介状は本当に勘弁してほしい。能力的にも経験的にも、 自分なんかよりも圧倒的に上の人が瀬戸際外交をしかけてくるのは、 仕事してて何だか哀しい。ベテランはベテランらしく、 「俺は偉い。俺は面倒い。お前診ろ。今度奢ってやる」のほうが、 よほど気持ちよく仕事ができる。

まとめ

診療報酬が減額方向に改訂されたり、検診業務が医療機関から外されて、 民間の営利団体に移管されたり。

ネット世間で開業している先生がたは、行政側のそんなやりかたを「馬鹿なやりかただ」 なんて嘲笑ってるけれど、ベッド持ちやってると、逆に「もっとやれば?」なんて感想。

診療報酬を「ゼロ」にして、基幹病院に重税かけて、入院費用を今の3倍ぐらいにしてくれれば、 急性期病院から在宅医療までの流れは、もっとずっとスムーズになる。きっと巨大な税収が 発生して、あまつさえそのお金は、ノーパンシャブシャブ屋さんのお姉ちゃんの股ぐらに 吸収されちゃうんだろうけれど、それでもいいと思う。なんといってもそんな流れは、 本物のベテランを、ベッドサイドに戻す可能性があるはずだから。

もちろんそれは、そのまんま自分の収入が減ることにつながるんだけれど、 「利益はベッドから発生する」、昔ながらの医師のありかたにつながる流れは、 個人的には歓迎している。

開業している先生方の文章読んでると、勤務医の苦悩はよく分かるとか、 我々も現場を理解しているとか、温かい、でも何だか空虚な言葉。 みんな昔はベッド持ってて、自分なんかよりもはるかに多くの能力と経験を有してて、 なのにどうしてだか、それを生かすことを止めてしまった人達。

「分かる」なんて言われなくても分かってるし、世代が違うんだからこそ、 本当は「分かる」わけがないんだとも思う。言葉じゃなくて、ただ黙って1 床、 その日の最後の患者さんにベッドを提供してもらえたならば、 若手はみんな、滂沱の涙流して開業の先生がたに従うと思うんだけれど。