ネットからお金を引っ張る方法

ネット世界では、欲求を満足させるための手段は常に複数提供されて、 たいていの場合、その中にほとんど無償に近いやりかたが隠れている。

何を販売しても「無料」ルートが存在する、そんな世界でお金を引っ張ろうと思ったならば、 対価を支払うことそれ自体が、自分の満足ではなく、 他者からの賞賛につながる仕組みを作らないといけない。

「機能の価値」と「目線の価値」

ものの価値には機能的な側面と、自意識的な側面とがある。

それが物体であれサービスであれ、対価を支払って何かを購入する行為は、 その人が持つ機能を変化させるとともに、その人に注がれる視線の質をも変化させてしまう。

目線からの自由がありえないネット世界では、自意識は常に他者からの査定を受ける。

ごく単純に「いい物」がほしい。それに対して対価を支払う。それだけの行為一つを取っても、 その「よさ」はネットでつながる誰かの査定を受けて、 対価を支払ったことが賢かったのかそうでないのか、 お金を支払った人の振舞いもまた、誰かの査定から逃れられない。

ほしい物が目の前にある。買えるだけのお金を持っている。目線が支配する現代社会では、 これだけではまだ不十分で、「購入」という動作は始まらない。

ネットワークでつながった誰かから「あいつ馬鹿じゃないの?」なんて言われる恐怖。 化学反応の「活性化エネルギー」に相当するこんな恐怖は、品物とお金との結びつきを妨げる。

広告の役割は触媒。購入にまつわる視線の恐怖を隠蔽したり、 あるいは「それを購入するあなたはかっこいい」なんて、購入という行為によい意味を持たせたり。

広告それ自体に否定的な目線が集まる現在、何かを販売することで対価を得る、 そんなやりかたを通じた集金は上手くいかない。

視線の価値はお金で変えない

承認欲求をお金で満たすことはできない。

金メダリストに何千万円だかの対価を支払って金メダルを購入しても、 残念ながらパレードは始まらないし、そんな行為をほめてくれる人なんて誰もいない。

メダルの持つ「視線の価値」は、あくまでも競技に勝った個人に付随する。

お金さえ払えるならば、事実上なんでも買える現在、「お金を出しても買えないもの」は、 極めて高い価値をもつ。

それはもちろん、買えないからこその価値なんだけれど、 もしも自意識を通貨で購入することができるなら、 そんな状況は、きっと効率のいい集金装置として機能する。

両替装置としての「公共」

視線の価値を決定するもの、優越感通貨を実世界の通貨で置き換えるのは不可能だけれど、 視線世界と機能世界との境界に、虚構としての「公共」を仲立ちさせることによって、 営利行為を正義として正当化することが可能となる。

金メダルを首からぶら下げて、市民の賞賛を浴びながら町中をパレードする、 そんな一連の行為それ自体、通貨を支払うことで購入可能だけれど、 正当化を伴わない「他者からの賞賛」には意味がない。

裏を返せば、賞賛の購入を正当化してくれる何かがあれば、自意識の貨幣というものは、 実世界の通貨で購入することができる。

「公共」とは、消費の意味を仮託できる上位存在。

「みんなのため」ではまだまだ漠然としすぎてて、 それはたとえば国家であったり、神様であったり、あるいはもう少し身近に、アイドルなんかでも。

公共を実装し得たコミュニティは、巨大な集金装置として働きはじめる。

具体案

たとえば次世代の「アイドルマスター」は、 各アイドルに国家元首になってもらって、 オンラインで戦争シミュレーションを行う設定があったりすると、面白いと思う。

プレイヤーは、兵士として各アイドルの国家に加入する。武器は現金で購入できて、 いい武器を持っていると、戦いはそれだけ有利になる。

ゲームの目標は、自分の名を上げるなんて個人的なものではなくて、 自分が支持したアイドルが元首を務める「国家」を勝たせること。 戦いの勝敗は、個人が支払ったお金の量と、 そのアイドルに入れ込んだユーザー、「国民」の数が決する。

国家は公共物。対価を多く支払って、味方を勝利に導いたプレイヤーは 「勇者」として称えられるし、ニコニコ動画で「参加兵士募集」の広告動画を作る職人とか、 大陸間弾道弾みたいな超高額兵器を購入するための募金活動などもまた、 コミュニティからの賞賛を受けることになる。

コミュニティ内での「勇者」の行動、職人の行動というのは、 つまるところ全ては会社の利益につながる消費活動なのだけけれど、 コミュニティの内部にとどまる限り、全ての消費活動は他者からの賞賛として正当化されるから、 利益は上がるし、ユーザーは消費を止めないし、 自ら広告を作ったり、参加者を増やす努力をしてくれるはず。

行動の対価は、査定不可能なものでなくてはならない。実世界のお金で買える「階級」や 「称号」などには意味がなく、特定のアイドル国家に対して消費を行うこと、それ自体が価値をもつ。

「こうすれば元首=アイドルが喜ぶ」、「これを買って戦いに勝てば、きっとみんなが喜ぶ」、 こんな公共幻想こそが、消費を維持する原動力となる。

コミュニティ創造による囲い込みと、その中で認められる「公共」の実装とが大切なのだと思う。

コミュニティに参加するときには、そこには昔ながらの反応エネルギー、 「購入の恐怖」があって、触媒としての広告の役割はやっぱり残るはずなんだけれど、 ネットワークの匿名性というものは、あるいはそんな触媒の助けなんかなくても、 ユーザーの興味を引っ張るインフラの存在だけで、案外上手くいくような気がする。

企画運営を行う「中の人」を利するユーザーのあらゆる振る舞いが、 「神」だとか「勇者」だとか、「信心深い」だなんて周りから賞賛される、 昔ながらの宗教組織が実装、運営してきたそんな仕組みが、これからきっと成功する。