いやな予感の伝えかた

集中治療室の仕事というのは、人間と機械との共同作業。

集中治療室の患者さんは、体中センサーだらけになってベッドに横になる。 患者さんは意識がなかったり、呼吸器につながれて鎮静されていたり。 体中電線だらけ、機械だらけ。診察もろくにできない。

集中治療室では、センサーが伝えてくれる数字の情報が頼り。 リアルタイムで変化する数字をモニター画面で追っかけながら、薬を調節したり、 人工呼吸器を調節したり。

「数字だけ見て何かするだけなら、この仕事は、完全に自動化できるんじゃないのか?」

みんな一度は考える。実際、インテリジェントICU の実験は論文になっているし、 人工呼吸器制御のインテリジェント化はもう実用にもなっている。

個人的には、これは絶対使わないだろうなと思う技術。

機械には致命的な弱点があって、それが克服されるのは、残念ながらもう少し先。 フィードバック制御をかけて、人体のいろんなパラメーターを 正常範囲に保つことだけならば、 たぶん人間よりも機械のほうが上手だけれど、患者さんを黙って見ていて「何かヤバそうだ」 と予感することだけは、人間じゃないと無理。 集中治療室はこれをやるために医師がいるし、 実際役に立っている。

患者さんが急変するその直前までは、患者さんの血圧や脈拍、 酸素濃度といったセンサーが伝えるいろんなパラメーターは、ほとんど変化しない。 そんな変化のないデータの流れを見て、機械が「患者さんは安定している」と判断するとき、 人間は「なんだかいやな予感がする」と危機を予感する。

こんな予知を可能にしているのは、人間が、患者さんの現状維持に 要した努力の積分値を「疲労感」として体感できるからなんじゃないかと思う。

たとえば、同じ血圧を維持するのにも、何もしないで勝手に安定する患者さんと、 何分おきかにいろんな設定を調節しないと不安定になる患者さんとがいる。

機械は疲れないから、血圧が安定して維持出来てさえいれば、黙って維持を続ける。 人間は疲れる。不安定な人を管理すると、もっと疲れる。 その疲労感を「なんかおかしい」という危機感として体感でき、急変を読む。

表に出てくる数字だけを見ていたのでは、予感は絶対に伝わらない。

国立循環器病センターのICUが崩壊したけれど、現場を維持するために払われていた 現場の努力というのは、きっと疲れない人達から見れば単なる「定常状態」としか 写らなかったんだと思う。おこった事はまさに急変だったけれど、事務方でそれを予感できた 人はいなかったのだろうか。

自動操縦の飛行機は落ちた

ずいぶん前、中華航空エアバスA300 が着陸途中で墜落する事故があった。

パイロットが自動操縦を切らずに着陸動作に入ろうとした際、エアバスの 自動操縦装置が水平飛行を維持しようとしてパイロットの操作と競合してしまい、 パイロットの「下降」操作にもかかわらず、機種は下がらなかった。

パイロットが着陸をやり直そうと操縦桿を「上昇」に入れた瞬間、自動操縦と パイロットの操作がいきなり協調してしまい、機体は急上昇して失速、墜落してしまった。

これは機械と人間の相互信頼が招いた事故。 パイロットは自動操縦を信頼し、自動装置もまたパイロットを信頼して、 お互いの動作が競合していることを相手に知らせなかった。

お互い「上手くやっているんだろう」と 連絡を取り合わないで、自分の仕事だけを続けていると、いつか大事故になる。

ところが、コミュニケーションをルールで強制するのは難しい。

自動装置がいちいち補正量を申告して、パイロットの許可をもらうルールにしてしまうと、 手間がかかって自動操縦の意味が薄れる。アラームだらけの操縦装置を作ったところで、 そのうちアラームがだんだん無視されるようになって、根本的な解決には至らない気がする。

「機械と人間との健全な相互不信」をうまく維持するシステムというのは、 バックグラウンドで行われている速度や方向の補正量を「コンピュータの汗」として統合して、 それが一定の閾値を越えた時点で「何かヤバいよ」というメッセージを乗組員に伝えるシステムだと思う。

飛行機はたしかにまっすぐ飛びつづけているのに、自動制御の仕事量が、この1 時間やけに忙しい。

「なんだかいやな予感がするよ。一度人間側に制御返すから、それを体験してみてよ」

機械がこんな反応を返してくれたなら、なんだかいい関係が続けられそうな気がする。

機械にも誤作動はあって、「いやな予感」は外れることも多いし、 場合によっては機械の故障が「予感」となって出てくるかもしれない。 「予感」を伝える機械というのは、お互いが自分の仕事をこなしながらも、 機械と人間とが、きっと同じ危機感を共有できる。

こんなシステムを作るときに問題になるのが、様々な制御を「機械の疲労感」として 統合するやりかた。バックグラウンドで行われている様々な仕事をどうやって重み付けして、 どんな数字でそれを表現して、閾値がいくつになったら「予感」として表現するのか。

このあたり、医学や生物学が役に立つかもしれない。

胎児性心拍の話

人間の脳は、心拍数を使って「予感」をアウトプットする。

患者さんが亡くなる寸前というのは、脈拍数が機械のように一定になる。

心電図モニターすらない大昔、診察といえば「脈診」だった頃の医師というのは、 脈拍のごくわずかな変動を知覚して、それが消失するときを「危ない」と感覚したのだそうだ。

生まれたばかりの子供の脈もまた、機械のように一定のリズムを刻むため、 こんな脈拍のことを「胎児性心拍」というのだという。

心拍変動というのは本当にある。たとえば1分間に80回で脈拍を打つ人が大きく息を吸い込むと、 脈波わずかに遅くなって、79回ぐらいになる。息を吐き出す瞬間、 今度は脈はわずかに早くなって、81回へ。

1分間脈をはかって、呼吸に合わせてだいたい12回から15回、 脈拍はわずかな変化を周期的に繰り返す。

心電図を1日記録して、脈拍変化をフーリエ変換すると、こんな変動が2つのピークとなって現れて、 人体に実装されている2つの自律神経、交感神経と副交感神経との 興奮バランスを評価することができる。

亡くなる寸前の人、生まれたばかりの子供というのは、見た目落ち着いていても、 バックグラウンドでは交感神経が活発に活動していて、体の制御に一生懸命。こんなときには 心拍の呼吸変動が消失してしまうので、脈拍を読んで危機を予感することができるらしい。

手先の感覚だけでこれをやるのはあまりに微妙すぎて、自分には無理だけれど、こんな話を利用して、 たとえば心不全の患者さんで突然死を予測しようとか、いろいろ応用されている。

ゴーストのささやきを感覚するまで

新人研修医は疲労を知らない。休まない。寝る必要もない。病院では昔から、そういうことになっている。

救急外来に来たばっかりの研修医は、心肺蘇生しながら担ぎこまれた 患者さんに「どうしましたか?」なんてインタビューをはじめたりする。

病棟デビューしたばかりの研修医にとって、彼らにできる最良のことというのは、 手順書を守ること。教科書に書いてある診察の手順は「まず挨拶から」と書いてあるから、 ある意味これはしかたがない。機械と同じ。

新人は手順を学んで、手順に従う。ベテランは手順を学んで、その上で予感に従い、手順を破る。

新人が、心肺停止の人に手順どおりに挨拶をしている傍らで、ベテランは、挨拶もしないで CPR を始めたりする。理不尽な思いを繰り返して、疲労することを覚えて、 みんなと予感を共有するようになった新人は、危機を読めるようになってようやく一人立ちする。

エビデンスとかガイドラインとか、現場を見ないで統計に乗っかる数字だけを愛好する 人達が作った「真実」が一人歩きする時代だけれど、それを単純に鵜呑みにしないで、 危機感覚とか、内なるお告げみたいなものを大切にしてほしいなと思う。

研修医の人達は、誰かが大切そうなことを伝えようとしたとき、少しだけ考えてほしい。

「これは直感が正しいと告げる考えかたなんだろうか? あるいはこれは、エビデンスやら、統計やら、それを信じたい人たちが勝手に作り出して、 そう信じるよう仕向けたものなのだろうか?」

そして、誰かが何かを本当だと言うとき、こう尋ねてみたらどうだろう。 「あなたの直感は、それが正しいと告げているのですか?」 と。